-口遊み-
回り道、
──遠回りの道のこと。
寄り道、
──他のところに立ち寄ること。
思いの道、
──深い思いの長く続くこと。
♦
失敗したな、って思っていた。
あの時は直ぐに呉さんに会えれば良いって、そう、思っていたからあの条件に頷いたけれどもう一度会って、また恋をしてしまえば、会えないことが更に深刻な苦しみを生むだけだった。
苦しい、押し潰されてしまいそう。いやいっそ押し潰してくれればどんなに楽か。
「(これは、)」
──後悔、だ。
そう後悔していたのだ。無知を恨んで歎いて、後悔していた。もう戻れはしないのに。
──と。
『馬鹿なやつらだ』
死神が現れたのか、声が響き渡る。
『後悔は受け付けないと言っただろう』
「分かってる」
『だがしかし、後悔している』
沈黙。そこにあるのは明らかな肯定で、死神は鼻で笑ったようであった。
愚かしいと思われているのかもしれない。
『でも。だから。そんな言葉ばかりだなお前たちは』
いきなり、脈絡のない言の葉が舞うので少し面食らいつつも「お前たち?」なんて精一杯の返し。
『肝心のことを伝えることもせず、菓子の話やしりとりばかり』
「え……?」
『本当に馬鹿だ』
お菓子、しりとり。それって。
繋がった先に見えたそれを、音にする。
「私と、呉さん?」
『他に誰がいる』
何が何だか分からず、ただただ彼女に会話を聞かれていたんだな、なんて思うのみ。だってあの頃は命の期限を知ることもなかった。
傲慢にも明日を確信して、関係性に変化を与えることを先延ばしにしていた。
ぼんやりと寂しがる私に呆れたのか、彼女は冷たい口調で続けた。
『何故、言葉があるのにすれ違う?』
「……それは、」
『そして結局、こんな世界で想いを告げてしまった』
そうだ、そうだった。私はその言葉に思わず苦笑をこぼし、勢いで告げた言葉を思い返す。
好きです、と。
そう言って体温を共有し、離れた。
「言い逃げしちゃった」
『言い逃げ?』
彼女の声がどこか笑っているみたいな響きをしたので不思議に思っていれば、続けられた言葉に不意打ちの衝撃を受ける。
『あの男、返事をしていたよ?』
「―――え、」
びっくり、した。意味が分からなかった。
記憶の中の呉さんが? でも待って、何で? 返事って、私が想像して勝手に作っちゃったのかな?
あれ、でもなんかそれは違うような。
『混乱しすぎだろう』
涼やかに笑う彼女のその声が、不思議と、鈴の音に似ていた。
未だ引き摺る混乱で、何から質問すれば良いのかと迷っているうちに先に彼女からまた話しはじめてしまう。
『この前言ったはずだ』
『私は嘘つきなのだと、ね』
確かに、確かにそう言ったけどそれがこの問題の解答じゃないはずだ。呉さんが返事をした、そのこと自体が嘘だと言いたいのだろうか? そう心に思えば彼女は声を上げて笑った。
『そっちに意味をとってしまったか』
『いいや、そうじゃない』
はあ、と息を吐くことで笑いを落ち着かせ、またいつもの冷たい口ぶりに戻す。
『まあ、確かめてくれば良い』
「確かめるって、」
誰に──、そう言う前に突然としてどっぷり沈み込む感覚に襲われて言葉は出なかった。
代わりに聞こえた、声。
『勿論、本人に』
私は沈んで、しずんで、シズンデ──。
「起きて」
まただ。また、あの声が聞こえる。
「いい加減にして欲しいんだけれどね」
寂しそうな声色が鼓膜を優しく叩く。なんだか、痛い──……痛い?
「ッ、──!!!!」
身体が強烈な痛みで壊れそうになりながら、ゆっくりと、目を開ける。
そう目を開けたのだ。
何が何だか分からない中で、視界に入ったのはらしくもなく泣きそうな。
「く……れ、さ……」
二度と会えないと思った、私の好きな人。
あの白線の3つ先にあった手は、いつの間にか固く繋がれていた。
「すみれ、」
震える声で私を呼ぶ呉さんは今にも泣きそうだから、似合わないよと笑ってやりたかったけど上手く口が動かない。
重たい身体の中で随分と自由が効く目で周りを見渡す。するとその少しの間さえ怖がるように慌てて追いかけ、私の視界に入る呉さんが何度か頷いた。
「ここは病院だ」
病院? ああ、そっか、だから真っ白なんだ。
「2ヶ月と6日、意識を失っていたんだ」
そんなに眠ってたんだ。物凄い寝坊しちゃった、そう冗談を言いたくなった。
「話したいことは、山ほどある」
呉さんは私の手を握る力を強め、結ばれたそれを口許まで引き寄せると絞り出すように、言った。
「言いたいことは、ひとつ」
肌を伝い、呉さんの唇の震えを知った。
引き攣った呼吸。私は瞬きせずに待った。
「──俺も、君が好きだ」
悲しい悲しい、遠回りでした。
ただ逢いたくて、
苦しみを背負って逢いに行く
寂しい寂しい、寄り道でした。
互いを想い合って、
それ故にすれ違っていました。
辛い辛い、思いの道でした。
白線を3つ渡るのに、
とても長い時間をかけてしまいました。
「……あの、ね」
「なんだい」
「私、夢みたいなことがありました」
「俺もだよ」
「呉さんも?」
「死神に会ったんだ」
「私も、私も会いました」
「そうかい」
「それで、私、」
「……ゆっくり話せば良いよ」
「ゆっくり?」
「そう。だって、まだまだ時間はあるのだから」
「そっか」
「そうだよ」
呉さんは、泣きそうに笑った。
♦
──それから、半年後のこと。
「呉さん、呉さーん」
私の家から近場にある公園に行く途中大きな銀杏の古樹があり、そこを右折。
そのまま27歩進めば、左手にまるで石の塀で両脇を囲うようにされた細い坂が現れる。
夏になれば蝉の声降る木陰の道となり、幾分かひやりとした空気が首筋の汗を和らげる。
その道を上がると、やがて見えてくるのは木造の古びた古風な門。表札はない。でも、私は家の主を知っている。だからいつだって戸惑うことなくその引き戸を開ける。
置き石の上をローファーで跳ねるように歩き、中へと進んでいく。
そこに広がるのは、広い庭。
出来過ぎた日本庭園のようなそこは、よくよく見れば少し手入れに隙が見えて、ただの古い庭だったりする。
「呉さん、てば」
その庭に面した屋敷の縁側に座る、黒い着物を纏い煙管をふかす男。
「騒がしいねえ」
「あ、寝癖。また寝てましたね」
「寝癖じゃない、お洒落だよ」
私は溜め息をついて、その隣に腰掛ける。ふわりと独特の香りにつられるようにその横顔を盗み見た。
呉さんは、相変わらずだ。
病院で目覚めたあと、様々なことを話した。
事故の際、呉さんも私のほうへ飛び込んだためトラックに弾き飛ばされたと聞いた瞬間は驚いて気絶するかと思ったほどだった。
そのあと呉さんも死神に会い、条件を取り決めた。私はあの日々を過ごしたのが本人だったと知って驚いたと同時に、「リアル」と言った私を死神が笑った理由も明らかになった。
てっきり私は死んだものだとばかり思っていたので、目覚めた時もまた変な世界なのではとしばらく疑い続けていた。
けれど、呉さんがしれっと言った言葉に納得をしたのだ。
「あの子は、嘘つきだからねえ……」
そう、彼女は自分でも言っていたではないか。自分は嘘つきなのだと。納得しきれぬ私に呉さんは小さく笑って、更に続けた。
「俺も嘘つきだから、分かるんだよ」
なんて。じゃあ最初から死んでいないと気付いていたんですかと問い詰めたが「ふむ」と、良く言えば捉えどころのない、悪く言えば興味の失せた表情で静かに目を伏せる。
「なんとなく、ですよ」
言い終わると、呉さんは何かに納得したように笑った。私が世界を知るきっかけになったあのメモの書き方では、てっきり呉さんは全てを分かっているものだと思ったので、全体像を把握するにはもう少し時間と没頭が必要だ。
けれど、呉さんの性格を考えれば「なんとなく」さえも立派な理由になるようで、同じように私も笑ったのだった。
「何か」
不意にゆらりと呉さんの瞳が私へと向けられ、飛び上がる心臓と肩。
そんな私をくすくす笑う呉さんに、揶揄われていると分かって腕のあたりを叩くが笑いは止まらない。
「痛いなあ、本当に」
「嘘つき」
「嘘ではないよ」
絶対嘘だと睨むが、さすがにそれ以上は控えた。本当に痛がっている可能性もあるから。
私は目覚めた後にリハビリをし、やっと最近退院をした。幾つかの骨折と鼓膜損傷などが身体の自由を制限したけれど、幸いにも後遺症となるものはなく、主だった目下の課題は筋力を取り戻すことと、歩行だった。
その間も呉さんは私に会いに来てくれた。
彼自身もトラックと衝突したとは言え、豪雨での悪視界によって普段よりスピードを落としていたことが幸いし、骨折と打撲、少しの外傷だけで済んだ。
退院は早かったのに、リハビリ日程は私より長く組まれているあたりに普段の運動不足がうかがえる。
しかしそれを逆手に取って、さっきのように「痛い」「優しくしてくれ」と以前よりはっきりと甘えてくるから、とんだスケコマシ野郎だと思いながら強く出れないでいた。
これが、惚れた弱みか。
まだ戻らない握力を確認するみたいに右手を握ったり開いたりしていると、呉さんは小さく息を吐いた。
「けれど、不思議な体験だったねえ」
「……はい」
思い出すのは、あまりに鮮明な記憶として刻まれた少女のこと。
「彼女は、一体何者だったんだろうね。」
結局最後まで彼女が何者で、あの制約がどこまで真実なのか、そういったことは分からずじまいであった。
ただ確かなのは、私も呉さんも、彼女に実際会って話したということ。
「(……池、)」
そう、退院して真っ先に屋敷の池を見に来たのだけれど、そこにはただ葉が浮かぶ水面があるだけで朱は見つからなかった。
そしてもっと不思議だったのは。
「……く、呉さん、ここの鯉って」
驚きながらそう問う私をじっと呉さんは見つめたあと、ゆっくりと首を傾げた。
「──……その池には、鯉なんていない」
呉さんが言うには池はもともと空っぽで、鯉なんていなかったと言うのだ。
でも私は確かにここにいた時に、たまに鯉が水面をつつく音、泳ぐ姿、それを見ていたのだ。
「また嘘ですか?」
そう言ったけれど本当に知らないと言う呉さんは、嘘をついてるわけではなさそうだった。
なんだか不思議なことばかりではあったけれど、それを無理に解き明かそうとは思わなかった。
いつか知る時がくるのかもしれないし、こないかもしれない。
ただ、あの少女がいた。
それだけは事実なのだから。
「なんだったんでしょうね」
私の呟きに、ふうと紫煙を吐き出してから呉さんも同意するような相槌をうつ。
「妖怪に揶揄われたのかねえ」
「……案外、そうかも」
「はは、否定しないんだ」
だってそう思うしかないじゃないか。呉さんはそんな私の心を見透かしたように穏やかに微笑み、そっと頭を撫でた。
言葉を持つ私と呉さんが、気持ちを伝えあうまでにたくさんの意味のない会話をしてきた。
だけれど──無駄な言の葉など、ひとつもなかった。
「呉さん」
「なんだい」
見上げた先にいるのは、酷く綺麗な顔立ちをした嘘つきな人。
私を見下ろし、瞳を細めては笑みを深める。
「呉さん」
その名前が世界一甘い愛の言葉かのように、私は響きを確かめながら再度呼ぶ。
呉さんは小さくしょうがないな、なんて言い、私の髪に指先を絡めそっと耳へかける。そして顔を顔を近付けると、少しかすれた声音で囁くのだ。
「菫、愛してる」
そうして重なる唇の熱は、以前よりも甘美に感じた。
ぽちゃん、と遠くで水音がするのは空耳か、それとも――――?
♦
「ねぇ、知ってる?」
そう声をひそめたのは友人だった。
事故からきちんと日常に戻った頃、噂話として、あの横断歩道で過去に一人の少女が亡くなっていたと聞いた。
横断歩道周辺の土地を、随分と古くからいる地主の一家が所有していることは地元の人間ならよく知っていることだった。
その家の息子が隣のクラスに在籍していて、事故を知りこの話に辿り着いた、と。
亡くなった少女は呉さんの屋敷が昔、料亭だった時によく入り込み、池を覗いては泳ぐ鯉に餌を与えていたらしい。
当時としては有名な話だった、と。
何故そこまで詳細かと不思議に思えば、何世代か前にはその少女と面識がある人間がまだ健在だったため、実際に少女と面識のあった女性から彼の祖母は話を聞いたと言う。
「……それ以外なにか言ってた?」
「委員会で一緒になった時に菫は大丈夫かって聞かれた流れで聞いただけだから、今の話以上は特に」
「そっか。……うん、ありがとう」
鯉と、少女。
身に覚えのある組み合わせが不思議な旧懐へと意識を手繰り寄せる。
そこで亡くなったという少女が鯉となり私にだけ姿を見せていたのか、それは定かではない。けれど何かしたくて。その週末、近くの花屋に寄ったあと横断歩道へと向かった。
事故の後も何度も通った横断歩道。
ゆっくりと見渡せば、白線3つのあまりの短さに少しだけ切なくなった。
「………ありがとう」
そっと脇に花を置き、あの時と同じようにそう言うと――――……視界の端を、朱が、通り過ぎた気がした。
慌てて振り向くがその姿はなく、私以外に人の影はなかった。
「み、まちがい……?」
それにしては鮮やかだった。
考え過ぎかな、と呆然としていれば静かな声が私を現実に引き戻す。
「もう終わった?」
振り向けば横断歩道の先に呉さんが立っている。曲がり角で待っていてもらったのだが待ちきれなかったらしい。
私は立ち上がり、呉さんのほうへと横断歩道を渡る。
その時――、
『後悔しないようにね』
あの上から目線で、冷たくて、懐かしい声がしたと同時に私の横を少女が通り過ぎたように見えた。
思わず振り向くが、やはり居らず。
「………」
彼女は後悔があったんだろうか。だから、私と呉さんのなんとも見ていて苛立つ距離に喝を……、なんて思ったところで苦笑い。
深読みはやめよう。
くるりと呉さんに向き直り、ふと足元を見ればその距離、白線3つ分。
私はもうその距離で後悔をしないように駆け出す。
1つこえ、2つこえ、最後。
「呉さん」
たどり着く先は、恋焦がれる彼の元へ。
大きな屋敷にたったひとりで住み、着物を身につけ、煙管を嗜み、たまに嘘をつく呉さん。
屋敷の庭の池には、もう、あの鯉はいない。
伸ばされた手を、今度こそ掴んだ私は。
二度と離さぬようにと、力をこめた。
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