-無-


「ねぇ、戻っておいでよ」



「――――……え?」


 誰か、呼んだ?





 ♦




 学校の聞き飽きたチャイムをBGMに、私は教室内の喧噪にひとつ溜め息をこぼした。そして力無く机に突っ伏し、窓に区切られた空をぼんやり見上げる。



「どーしたのー」

「んー?」


 ゆるい口調のまま口に期間限定のお菓子を咥えた友人が私の前の席に腰掛けた。続くように他にも仲が良い2人の友人が近付いてくる。


「ほら、苺味だよ」

「菫、苺味いけたっけ?」

「あーん」


 一つ貰いその甘さに笑って感想を漏らした。「苺味好き」なんて言えばまだ食べ終わってないのにもう一つ口に突っ込まれる。それに笑っていたが、思い出したように友人が先ほどの話題へとUターン。


「具合でも悪い?」


 その言葉になんと答えようか迷い、お菓子を食べ切るまでしばし悩む。具合が悪いって訳じゃないんだよなあ。


「体調じゃない? 悩み事?」

「うん、大したことないけどね」


 どうした? と友人達が私を見つめるのであまり重くならぬよう軽い口調で続ける。


「なんか変な話でさ。誰かと話してても前にもこんな会話した? とか。この本前も読んでない? とか」

「えっ、何それ怖くない?」

「でしょ。授業も先生が喋ることにどことなく覚えある感じがして」


 うわ、改めて自分で言葉にすると痛い子ぽいな。取り繕うようになんでもないと言ったけれど3人は案外興味津々で口々にはしゃぐ。


「それデジャヴってやつ?」

「あ、私も思ったー!」

「凄くない!? なんかに目覚めたとか」

「なにそれ、超能力者的な?」

「最近海外ドラマで見たからめっちゃ詳しい」

「知識浅くて笑う」


 取り留めのない会話に笑いあって、束の間の安心感に縋る。大丈夫。大丈夫だ、私はちゃんと笑えているはず。

 私の泳いだ視線を不意に掴まえた友人は、すっと笑い声を飲み込むと「でもさ」と心配そうに会話の流れを戻した。


「ちょっとじゃなくて常になんだ?」

「そう……うん、そうなんだよね」


 頬杖をついて自分の毛先を見ながらそう返すと思わずまた溜め息が出た。


「あんまり続くと疲れるね」


 本当その通り。私はぐたりと机に突っ伏してその言葉に盛大に共感したのだった。すると慰めるように頭を撫でられる。


「考え過ぎはよくないよ」

「うん、あれだったら一日くらいサボっちゃえ」

「うちらも付き合うし」


 ゆっくりと顔を上げ、私は小さく笑って頷いた。

 そして短い休み時間が終わる合図となる予鈴が響き、それぞれ席へと戻って行く。私も怠惰な動きで身体を起こして教科書を変えた。



 ──でもこれ、笑って済まされるレベルなんだろうか。


 この「〝日常に既視感を覚える〟ということ」でさえ、以前も感じたことなんじゃないかって思っているくらいだから。




 ♦




 その日をやり過ごし、私はいつものように帰路を少し外れてあの屋敷へと向かっていた。あまりにも通い慣れたせいで無意識のうちに足が進むまでになっている。


 気が乗らないのだけれど、私はどうやったって行く以外の選択肢を手に出来ない。目の前に構える古びた門をくぐると、毎回のことだが世界が反転するような違和感に包まれた。これは未だ慣れない。



「呉さーん」


 庭先から主人を呼べば数秒後、ゆらゆらと危うい足取りで顔を出した彼が面倒そうに眉根を寄せて私を見遣る。


「また勝手に入り込んで」


 それに笑う私は呉さんに駆け寄るのだ。



 縁側に腰掛けようとした私を呉さんは奥の部屋へと連れてゆく。いきなり腕をひかれて屋敷の中に連れ込まれた私は困惑と同時にまた、を感じた。


「(これ………、)」


 日除けがかかる部屋は少し暗く、ふと、昔見た景色と重なるような不思議な感覚に足が止まる──ことは出来ない。呉さんに手をひかれる身故に、とたとたとそのまま歩みを進めた。



「(知ってる、私、知っている)」


 この場面を、私は知っている。何故だかそう確信していた。怖いくらいの確信だった。呉さんはさっさと部屋を出て行ってしまい、しばらく待たされた後に戻った彼から手渡されたのは。



 ──……見たこともないはずの、真紅の蝶々が飾られた鈴の腕飾り。


 呆然とそれを見つめる私に、彼がぽつりと。



「似合っていますよ」

 ──『似合っていますよ』



 私は、前にもこれを貰ったような。

 そして全く同じ台詞を聞いたような。


 肌を伝う冷や汗。呉さんは私の動揺した様子にすっと瞳を細めただけで何も言わず、ただ「待っていて」と頭を撫で再度部屋を出た。


 残された私は、腕に存在する確かな鈴を鳴らしてみる。



 ちりん。



「……私、どうしちゃったんだろう」


 ちりん、ちりん。鳴る度に胸の底が不可解な靄に包まれて苦しいような重いような、そんな感覚に襲われた。けほ、と紛らわすように咳をこぼすが詰まる胸は変わらず。


 ここまで既視感って続くもの? なんだか毎日気が張って疲れてきちゃった。

 ぐったりとその場に寝転がり畳の香りに目を閉じた。ああ、心地好い。




 ──と。


「…………何?」


 寝転がった拍子に制服のスカートから何かが落ちてするりと畳の上を滑った。それが視界の端に入り込み、私はなんの躊躇いもなく指で追う。

 レシートでも入れていたんだと思ったからだ。本当に何も深くは考えずにそれへと手を伸ばして、私は。



「――――…っ」


 呼吸を、止めた。

 否。呼吸が、止まってしまったのだ。


 それは文字の羅列が書きなぐられたくしゃくしゃの和紙。





『忘れないで下さい

 君には、帰る場所があるのだから

 忘れないで下さい、あの夜を


 それから、

 もう、戻ってきてはいけませんよ』





「この……、もじ」


 呉さんの字だということは目にして直ぐに気付いた。右肩上がりで払いが長め、筆圧は強くなく、「あ」のバランスが独特。間違いなく呉さんの字だった。


 けれどこんなメモを貰った記憶はない。和紙は随分と草臥れた様子で、まるでの書物のような色手触りをしていた。

 しかし不思議なことに、和紙自体の状態は非常に良かった。角が丸まってもいない、しわくちゃでもない。


 どうしてだろう? 制服なら定期的にスクールのクリーニングに出しているから最長でも一週間の内には入り込んでいたはずなのに、全くもって記憶にない。




「──……え? 記憶、がない……?」


 これの記憶はないの? 私。

 変、変だよこんなの。

 どういう意味なのかも分からない。

 帰る場所って、私にはきちんと家が――……





「家?」


 私、──家に帰った記憶が、まるで無い。


 学校と呉さんの記憶はあるのに。家はどこにあるの? いつ帰った? 分からない、覚えていない。

 脂汗が伝う肌を、初夏の訪れを感じさせる空気舐める。薄暗くも清々しいはずの室内で私は苦痛に胸を押さえた。



 頭、いたい。

 割れそうに痛い頭を抱え、奥歯を噛み、こめかみに力を込めて紛らわそうとするが効果は皆無。鈍く痛む頭部と訳の分からないメモに追い詰められた私はポロポロと情けなく泣き出した。


「夜……、なん、てッ……知らない、」


 分からない、知らない分からない。



 ──と。庭の奥の池の水音が、やけにクリアに耳元で、響いた。

 ぽちゃん、そう聞こえて──……





「―――――?????????????」





 禁忌を犯した夜が、走馬灯のように駆け巡る。

 濁流に飲み込まれたような過度な情報の供給に、いっそ正気を失ってしまえたら楽だったのに。


 秘めやかで、清潔で、悩ましくて、甘やかで、それから少しの後ろめたさ。取り戻す記憶達から齎される感情が体内に溜まって、重くなり、どんどんと深い場所に沈んでいく気さえした。



 嗚呼、忘れたなんてなにを馬鹿なことを。

 私は何度も思い出していたのに。


 いや違う。『禁忌』という事柄については幾度も思い出してはいたが、いざ、何を犯したかと考えた時は全く覚えてはいなかったように思う。



 でも今、はっきりと思い出した。

 薄気味悪いあの事実を思い出した私はよろりと上半身を起こして額の汗を拭う。

 この世界がどんなところかも、分かった。思い出した。


 酷い虚脱感にぼんやりしていると、──ふっと間近に立った気配に心臓が跳ね上がる。


「どうかしましたか」

「ッ……!!!」


 まるで温度がない無表情の声音がいきなり響いたことに声なき悲鳴がもれた。全身が脈打つようで、微かに指先が震えてしまう。

 ごくんと息を呑み、恐る恐る振り向けばそこには怠惰な立ち姿でこちらを見下ろす呉さんがいた。



「顔色が悪いね」


 一歩一歩、見えない何かを踏み潰すように私に近付く姿に腰が引ける。呉さんの形をした別の何かが息づいているように思えて仕方ない。

 しかし私の警戒心がそう見せているだけであって、実際私を覗き込んだ呉さんは「うん?」と気遣う眼差しさえ浮かべるいつもの彼だった。



 綺麗な顔も、漆黒の髪も、黒曜石に似た瞳も、嘘ぶく唇も、冷たい指先も、全て全て――……



「(嗚呼、なんで……)」



 呉さんを呉さんたらしめるものの確認作業は、どうしてだか、私を泣きたくさせた。

 眼球の奥が不用意に熱くなっていけない。瞬きをすれば睫毛を伝って涙が落ちそうだ。



「呉さん」

「はい」

「呉さん……」

「はい、俺ですよ」

「……逢いたかった」

「どうか……、したのかい」

「……ごめんなさい」

「謝ったりして、なんだ」

「呉さん、」

「うん」

「私のせいで、ごめんなさい」

「……」

「こんな世界に付き合わせて、ごめんなさい」

「……」

「ごめんなさい、呉さん」




















 だって、私、

 ────もうこの世にいないのに。




 呉さんが優しく、でも酷く泣きそうに微笑むものだから私は、私は。


「呉さん、」

「……はい、聞こえているよ」

「泣かないで」


 呉さんは困ったように、それから本心を隠すように笑うから、反対に今度は私が泣き出してしまった。その頭を存外不器用な手つきで撫でる呉さん。

 その指先が痛いくらい好きで、けれど本物ではなくて。


 その事実は救いのようでもあり絶望でもあった。



「私、こんなことになるなんて、思っていなくて」


 だから、だから私は『あの夜』あんなことを約束してしまった。

 まさかこんなことになるとは、予想もしなかった甘い私。


 呉さんはゆっくりと首を振る。


「君のせいではないよ」


 また呉さんの手が私を撫でて、瞳の端から涙が落ちた。ぽたり、落ちては、消えた。



「君に泣かれると、俺はどうして良いか分からないな」


 ちょっとだけ揶揄うように、悪戯な色を孕んだ声音で私を擽りながら目尻の涙を拭う呉さん。その低い温度に身を任せながら私は静かに息を吸い込んだ。



「──壊れる」


 呟いた言の葉は無意識のもので、それに呉さんの指先もぴたりと止まった。

 この不安定で存在しないはずの世界が、壊れていく。その揺れを感じながらも何をするでもなくそっと呉さんと見つめ合った。



 二人だけの世界に終止符を。



 呉さんにもう会うことは出来ないのかもしれない、そう確信に近いものを心で感じていた私は目に焼き付けるよう見つめる。

 瞬きさえも、惜しい。



「呉さんに会いにきて、本当に良かったです」


 友達などではなく呉さんを選んだ私は薄情かもしれないけれど、後悔は、ない。むしろ呉さんを選んで良かったと心の底から思えている。


「俺も、……会えて良かったです」


 この呉さんは私が作り上げた虚像の呉さんだとしても、恋い焦がれた人に最後の最後こんなことを言ってもらえるなんて。



「(私、)」


 なんて、幸せなんでしょうか。


 思わず笑いながら、初めて自分から呉さんに抱き着いた。驚いたように「なんだい」と慌てる呉さんが新鮮で声を上げて笑った。



「呉さん、あのね」


 これを言ったら、もう、ばいばい。



「好きです」





 ──いつの間にか外は夜の帳が落ち、庭は静けさと闇を共存させている。

 泣きはしなかった。

 叫んでしまいたかった。

 呉さんが私を強く抱きしめたことを最後に、順当に世界は壊れ消える。



 何もない。そこは無色が広がる、酷く穏やかで残酷なところになった。




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