第16話

今日は天気も穏やかで心地いい。冷たい風も気にならなくなるぐらいの気持ちよい青空。雪で覆われた大地はその光を反射し、積もった雪が風に流されて舞えば、それもきらきらと輝いていた。

 そんな日だからよいことがあると思っていた。掃除や洗濯を終えて、のんびりとお茶を飲む午後。ユキは外に出ているからたぶん練習かな。アッコロさんもそれについていったし、セタはお家でお昼寝中。コロちゃんたちもお出かけ。

 静かで、平和で、いい。

 このままわたしもお昼寝したいかも、なんて呑気なことを考えていたけれど。

 嵐というものは突然やってくる。


 最初に戻ってきたのはユキとアッコロさんだった。近くの森で練習していただろう二人は大慌てで息を切らせて帰ってきた。玄関に靴を脱ぎ捨てて居間に飛びこむ。


「三海。何かおかしい」

「え?」


 おかしいどころか平和だったのに。理由わからずきょとんとするわたしにユキが続けた。


「銀岩山の方で煙があがってる」

「煙っていうと……火事?」

「それだけじゃない。木もやたらと揺れている。なんだか落ち着かないんだ」


 襟の合わせ目に隠れていた土蜘蛛ことアッコロさんも、ひょっこりと顔を出す。


「ヤバいぞ。オレ、いやな予感がする」

「アッコロさんも?」

「うまくいえねーけど……力の強いやつらが集まってる時みたいに、頭の後ろがむずむず痒いんだ」

「……頭、ねえ」


 アッコロさんが人型を取っていたのならすんなり飲み込めたけれど、いまは蜘蛛なのでどこからどこまでが頭だろうと眺めてしまう。じいっと観察しているとわたしの視線を察したらしいアッコロさんが襟の中に身を隠してしまった。

 それだけではない。ぐーすか昼寝を決めていたセタも急に起き出した。いつもなら『よっこいしょ』と呟きながら立ち上がるのに、俊敏な動きで窓の方へすぐに駆け寄っている。

 人型を取ってはいるものの心の揺らぎや集中力が途絶えると白狼神の姿に戻ってしまうらしく、その前触れとして唇の上に大きな犬歯が二本。それで唇を噛みながら、山の方を睨みつけていた。


 何かあったんだ。

 みんなの動きからそれを察する。急いで銀岩山に向かわないと。そう決意すると同時にセタが振り返った。


「三海はここで待ってろ」

「え? いやだよ、わたしも行く」

「人間は足手まといになる。ここにいろ」


 次にセタはユキを見る。


「ユキ、行くぞ」

「おう」

「そこの蜘蛛もだ。人手はあった方がいい。万が一の時は、お前にも頼むと思う」


 アッコロさんは顔を出し、前脚を器用に動かした。


「アニキが行くなら当然オレも行く! 任せてくれ」


 わたしを置いていく方向で話がまとまっていく。

 人手が必要ならわたしも手伝いたいけれどだめなのかな。ついていきたいけれど『人間だから』と言われてしまえば覆せない。支度をして玄関に向かうみんなを眺めるけれど気持ちはどんよりと重たかった。


 せめて見送りぐらいはしようと庭に出た時、大きな影が地面に映った。

 ばさばさと羽根を動かしてゆっくり下りてくるのはフリーだ。いつもより気合いを入れて大きめになっている。そしてその背には――


「……パウチ姉さん!?」


 フリーの背に乗っていたのは、頭から血を流しているパウチ姉さんだった。慌てて駆け寄ると、パウチ姉さんの体が動く。意識はあるみたいでほっとした。


「三海……ごめんね、驚かせて」

「その怪我、どうしたの? 何があったの?」


 見ればフリーの瞳は血気に沸いて鋭く細められている。パウチ姉さんを下ろしても山の方を睨みつけていた。

 パウチ姉さんが住むのも銀岩山だ。銀岩山で大変なことが起きている。姉さんは頭の傷を押えながら言った。


「この怪我はたいしたことじゃないの。見た目だけよ」

「でも手当てしないと……」

「それよりも銀岩山に向かって。大変なの」


 パウチ姉さんは短く息を吸いこむ。その頃にはセタやユキたちも庭に出てきていた。そのみんなを見渡しながら、姉さんは告げる。


「天狗がきている。それも大天狗がきたの」

「……天狗が?」

「山のみんなが相手しているけれど、今回は数も多いし、羽団扇持ちの大天狗もきているから厳しいわ」


 これまでにハザマコタンに来ていたのはただの天狗。その首領である大天狗がきているのだ。前回はイワサラウスさんが追い返したけど怪我するぐらい大変だった。今回は数も増えて大天狗もきているとなれば状況は厳しいかもしれない。


「すぐに行こう」


 ユキが言った。これにセタも頷く。

 フリーもこれを予見していたらしく待っていたのは増援を乗せるためのようだ。身を屈めて、みなが乗りやすいようにしている。


「アタシも行くわ。道案内がいないとだめでしょ」

「怪我してるのに悪いな」

「平気よ。さっきも言ったけど、これは軽いから大丈夫」


 ユキとパウチ姉さんがフリーに乗る。次はセタ、というところで振り返ってこちらを見た。


「三海は家で待ってろ」


 念を押している、けれどわたしは頷けなかった。

 わたしはここで待っているべきなのかもしれない。けれど、見上げた銀岩山に煙があがっている。わたしの大好きなハザマコタンのみんなが大変な時に、家で待っていて本当にいいのだろうか。

 これでユキが戻らなかったら。セタとフリーが帰ってこなかったら。誰も家に戻ってこなくて、ひとりぼっちになってしまったら。

 いやな想像ばかりしてしまう。お守りのチョーカーをぎゅっと握りしめるけれど力は湧いてこない。


「……わたし、」


 家で待っていてみんなが戻らなかったら、わたしは後悔すると思う。どうして着いていかなかったのかと悔やんで、きっと泣いている。

 ひとりぼっちで施設にいた時のこと。みんなに嫌われていたこと。

 そんなわたしに手を差し伸べて居場所を与えてくれたハザマコタンが大好きだ。だから後悔なんてしたくない。わたしは人間だけど、役に立てることがあるかもしれない。


「わたしも行く」


 その結論が、声に出ていた。


「やっぱりみんなと一緒に行きたいよ。困ったことがあるなら手伝いたい。わたしじゃ弱くて役に立たないかもしれないけど、でも――」


 ハザマコタンと、みんなの笑顔。この居場所を守りたい。


「わたしも行きたい!」


 わたしの叫びに、いまにも飛び上がろうとしていたフリーの羽がぴたりと止まる。その背からセタが顔を出した。


「だから! お前は人間なんだから家に――」


 牙を見せながら怒るセタだったけれど、誰かにその肩を叩かれて言葉を飲みこむ。見れば、ユキだった。


「セタ。三海も連れて行こう」

「正気か? お前だって銀岩山から漂う妖力がわかるだろ。そんなところに三海を連れていけない」


 セタは怒っているのだと思う。牙だけじゃなくてふさふさとした白い狼の耳が見えている。人型を維持できないほど感情が荒れているのだと、わたしにも伝わった。

 でもユキは落ち着いた様子で首を横に振る。


「確かに役に立たないかもしれない。でも三海はハザマコタンの住民だ。連れて行こう」


 パウチ姉さんも頷いていた。反対しているのはセタだけらしい。

 ユキは「それに」と言葉を続けてわたしの方を見る。フリーの背に乗りやすいよう、こちらに手を差し出した。


「置いてったところで着いてくる。三海はそういうやつだろ――ほら、来いよ」

「ありがとう!」


 手を掴むとぐいと引き上げられる。わたしも乗ったことでフリーの背には四人。少し重たかったのかフリーが「グクゥ」と呻いた。


「……そこまで言うなら仕方ない」


 セタがため息をついた。渋々、というのが表情から伝わる。


「責任持ってお前が守れ。俺が言えるのはそれだけだ」

「任せてくれ」


 ユキが頷く。そこでセタは言葉を遮り、不満そうにしながらも銀岩山を見上げていた。

 フリーの羽が動く。大きくはばたいた後、大地を蹴って空にあがる。空から見下ろした銀岩山は煙があがっていて、それはいつもより恐ろしく感じた。

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