第6話 名前をつけてやる

「ねえ、パパ。ぼくの名前、だれがつけたの?」

朝、保育園に向かう道で、陽翔が聞いてきた。

つないだ小さな手は、春の風の中であたたかかった。

「名前?ママとふたりで、考えたよ。」

祐真は空を見上げながら答えた。

「おひさまの光を浴びて、元気に翔び跳ねますようにって。」

「ぼくの名前には、おひさまが入ってるんだね。」


「お店の名前はママが独断で、つけたけどね~!」

「どくだん?なんだそれ!」陽翔はうれしそうに笑った。


その日の午後。

佳澄は店の裏で、粉まみれになりながらバゲットを仕込んでいた。

「私の名前の由来、聞きます?」

不意に言ったその声に、祐真は手を止めた。

「“澄む”って字が入ってるのは、 体の中がずっと濁っていたからだって。母が言ってました。 小さい頃から病気で―ずっと病室の窓から、空ばかり見てたんです。」

祐真は何も言わなかった。

ただ、日の光に照らされている美しい横顔を見つめていた。


「病室で、一緒だった女の子がいたんです。少し年上で、よく喋る子で、変なことばっかり言うの。“朝の光の中で食べるパンが世界でいちばんおいしい”とか」

言い終えた瞬間、彼女の目から、ぽろりと涙が落ちた。

「その子の名前が、真帆でした。」

祐真は、小さく息を飲んだ。

「私は小さかったから覚えてなくて、彼女は私に、血液か、臓器なのか、とにかく何かをくれて、ドナー?たまたま適合したから手術をしたらしくて。

私の病気は完治したんです。…でも、それで彼女の寿命が、縮まったんじゃないかって―ずっと。」

「それで、うちに…?」


「入院中、真帆がいつも”私は将来パン屋になるの!店の名前はサンライト!”って。偶然このお店の看板を見て、まるで。

店に入ってみたら、バイト募集の張り紙があって、それで。」

佳澄は震える声で、でもまっすぐに言った。


「何も言わずにいて、ごめんなさい。でも、真帆にも、祐真さんにも、陽翔くんにも、ちゃんと“ありがとう”って伝えたかった。できれば、何かを返したかった。命の分だけの、なにか。」


祐真は、佳澄を見つめた。


澄んだ目は、どこまでもまっすぐで、真帆の目に、少し似ていた。

「…ありがとう、って言われたよ。」


「え…?」


「陽翔が、言ってた。“佳澄さん、すき”って。それで十分だ。俺にも、伝わってるよ。こちらこそ、ありがとう」

佳澄は、声を上げて泣いた。

祐真は、その場にしゃがんで、佳澄と目線を合わせた。


「うちのパンは、朝の光の中で食べると、最高だからな。…よかったら、これからも一緒に、焼いてくれませんか?」


夕方、陽翔が保育園から帰ってきて言った。

「今日ね、“陽翔くんは、いつも仲良しでいいよね”って言われた」

「誰と?」

「ひろきくん。でもさ、仲良しって、がんばるもんじゃないよね?」

佳澄が笑った。

祐真も、うなずいた。

「うん。たぶん、そうだな」


“仲良し”という言葉のなかに、真帆もいる。

いなくなっても、ちゃんとそばにいる。


サンライトベーカリーには「新しい時間」が流れ始めていた。

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