第4話 ためいきのあとの

「…なんだっけ?」

焼きたての塩パンを並べている佳澄の背中に、祐真が呟いた。

「え?」 佳澄が振り返る。

「あ、いや。塩パンを初めて食べた店の名前。妻がすごく好きで。」

祐真は妻の話を出してしまったことに驚いて、店の名前を思い出すのを諦めた。


「お店のやつを買ってきて、まるパクリして。朝、ちょっとだけ早起きして焼いておくと、それだけでご機嫌だったよ。」

「…素敵な奥さんだったんですね。」

佳澄は微笑んだ。

けれど、その声の温度がほんの少しだけ変わったのを、祐真は感じた。

「真帆っていうんだ。意外と食にはうるさくてね。パンは絶対オーブンか蒸籠で温めないと食べようとしなかった。」


佳澄の手が、止まった。

「…真帆、さん。」

声は、落ち着いていた。

まるで懐かしむように、こっそりと名前を読み上げたようだった。

佳澄の視線はどこか遠くを見つめていた。


その日の閉店後。

片づけをしながら、思い出していた。

佳澄が落としたあの写真。

―どこかで、―

陽翔を寝かしつけた後。

祐真は、古いアルバムを引っ張り出した。


真帆が高校時代に部活で撮った集合写真。

卒業旅行の砂浜でのスナップ。

彼女が笑っている。

それが、あの写真の少女の表情に重なる。

「まさか、な」

ため息をつきながら、胸のどこかがざわめいていた。


声色。パンの好み。そして、写真。


翌朝。

佳澄は、いつもと変わらぬ笑顔で店に現れた。

「おはようございます。昨日言ってた塩パンの名店、インディゴ・ブルーですか?」

「そうだ!よく分かったね!」

祐真は、その笑顔にほっとした。

「スマホで調べたら、すぐ出てきました!今日はクリームパン、作ってもいいですか?」

「もちろん。君のカスタードクリーム、けっこう好評だよ。」


「ありがとうございます。」

佳澄が頭を下げた。


その髪の揺れ方、凛とした姿に、祐真はなぜか目を離せなかった。

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