あの桜が咲くときには
ランドセルを背負った少年達が俺の後ろを楽しそうに走って行く。
「じゃあ、あとで公園集合な!」
羨ましい。
その言葉が、思ってもいないうちに口をついて出た。
春の暖かい日差しの中を冬の名残風が吹き抜けていく。
「おまたせ」
玄関を開けて、君が出てくる。
この光景を何年見ただろうか。
何度、君を待っただろうか。
「荷物、持つよ」
言葉が喉につっかえながらも、なんとか転がり出てきた。
それだけで、精一杯だった。
何を話したら良いのか、わからない。
心の雑音が鳴り響く。
「もっと勉強、頑張れば良かったかな」
君の声が俺の鼓膜を揺らす。
同じ大学に行こうと決め、2人で一緒に勉強をした。
塾にも通った。
合格祈願にも行った。
できることは全てした――。
「大学楽しみだね」
俺は、楽しむ事ができるのだろうか。
いつだって君が隣にいた。
次の花火大会は、俺の隣に君がいるだろうか。
次のクリスマスは、君とケーキを食べられるのだろうか。
次のバレンタインは、君にチョコレートをもらえるのだろうか。
君の存在が当たり前になっていた。
言葉にしないでも分かり合えると思っていた。
「いつもの桜は綺麗に咲くかな」
一緒に確かめに行こうよ。
思わず口から言葉が飛び出しそうになる。
「写真送ってね」
君が見てくれるなら何枚でも撮ろう。
君が笑顔でいてくれるなら何度でも送ろう。
君のいない写真を。
俺たちのアルバムは2人の写真で溢れていた。
今年の桜に――君はいるのだろうか。
「向こうでも1人でやっていけるかな」
君なら大丈夫。
いつでも、俺の太陽だった。
君がいるから努力もできた。
君が俺の希望だった。
「きっと、大丈夫だよ……」
君は、空を飛んで――遠い場所へ降り立つ。
いつまでも、隣にいてくれる存在だと思っていた。
ひっそりと君との結婚生活を想像していた。
子どもができて、3人でテーマパークに行く計画も立てていた。
幸せな老後も想像した。
君がいた時間が、俺の人生だった。
君との時間を過ごすほど、心の言葉は減っていった。
「駅に着いちゃったね……」
ここで行かせてはいけないと心の中が叫んでいる。
ぬくもりと共に優しい石けんの香りが俺を包む。
「私のこと忘れないでね」
「もちろんさ…」
情けなく弱々しい声がこぼれる。
夢の中にいるようにふわふわとする。
本当に俺が発した言葉なのだろうか。
気がつけば君に恋していた。
君の笑顔に。
君の香りに。
君の言葉に。
君の全てに恋をした。
離したくなかった。
君が離れて行ってしまうのだから。
「今からでも、付き合えないかな……」
俺の身体からぬくもりが離れていく。
涙で濡れた君の顔すら、今はとても愛おしい。
「遅いよ、バカ」
ホームに電車が滑り込んでくる。
君を連れ去ってしまう電車が。
君の後ろ姿が小さくなっていく。
あなたの影すら泣いている。
最後にもう一度笑顔を見せてくれないだろうか。
「またね」
遠くに見える君の口がそう動いたように見えた。
「じゃあね」
電車に乗った君に言葉を贈る。
ふと見上げた桜のつぼみは、まだ堅く閉じたままだった。
まるで、春を拒むように――。
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