第七章 特別な一日

第26話

今日も慌ただしく動き回り疲労困憊だった。


「今日の入院患者の書類、受付までお願いできる?」


「分かりました」


退勤の時間まであと少しと自分を励ましながら、受付に向かって歩いていると突然名前を呼ばれた。


「――莉緒!」


驚いて振り返るとそこにいたのはスーツ姿の良太だった。


良太は嬉しそうな笑顔を浮かべると、私の元へ駆け寄ってくる。


「どうしてここに……?」


「莉緒に会いたくて来たんだよ。消化器内科まで行って莉緒がどこにいるか聞いたら、受付に向かったって言ってたから追いかけたんだよ」


「えっ!?」


わざわざ私を探しに消化器内科までいくなんて……。


ていうか、私が消化器内科で働いているってどうして知ってるの……?


まさか調べたの……?


「やめてよ、私まだ業務時間なんだから」


「だって、こうでもしないと莉緒は僕としゃべってくれないだろう?」


「だからってこんな風に来られるのは迷惑だから」


そう言って良太を無視して歩き出すも、彼は引き下がらない。


「護くんはどう?元気にしてる?」


「あなたには関係ないことですから」


「いや、関係あるよ。彼は僕の子だろ。男の子だし、行く行くは東山病院の跡取りになるんだから」


「本気で言ってるの?」


私は歩きながら良太を睨んだ。


「前にも言ったけど、あの子はあなたの子じゃない」


「五年前のこと怒るのは無理ないよ。僕もそれは反省してる。だからこうやって心を入れ替えて莉緒に会いに来たんじゃないか」


「あなたが林さんと浮気して私を捨てたことなんてもうどうでもいい過去の記憶なの。だから、こうやって付きまとうのはやめて」


「付きまとってるなんて人聞きの悪いこと言わないでくれよ。あっ、そうだ。今週の日曜日は護くんの誕生日だろう?一緒にお祝いさせてくれないか?」


「いい加減にして!!」


私は立ち止まり、良太にハッキリと言った。


「これ以上私に付きまとうなら警察を呼びますから」


「僕は絶対に諦めないからね!」


「二度と会いに来ないで!」


冷たく言い放ち私は逃げるように駆け出した。


この日を境に良太の行動は常軌を逸するようになる。


私の勤める病院に毎日のように顔を出すようになった。


それどころか、消化器内科までやってきては私に声をかける。


無視しても執拗に付きまとわれて業務に支障をきたし始めた。


師長や他の看護師にも『あの人また来てるけど……』と心配され、私はそのたびに『すみません』と頭を下げた。


外科医として日々忙しく業務に当たっているはずの彼がなぜこんなにも自由に行動できるのか分からず、私は美子を頼ることにした。



「良太先生、先月から休職してるみたいよ」


業務を終え更衣室で着替えた私と美子は裏口に向かいながら言葉を交わす。


「え……?なんで?」


「良太先生の2歳違いの弟も東山病院で外科医として働くようになったんだって。その弟が相当腕のいい外科医みたいで彼のお父さんである院長も弟に期待を寄せるようになって相当焦ってたみたい」


「そういえば前に弟がいるっていってたような……」


付き合っている時から彼は家族の話を嫌がった。特に弟の話題はほとんどあがったことがない。


「それで精神的に参っちゃってるみたい。莉緒とまーくんに執着してるのも、お父さんに跡取りができたっていうのを見せて挽回したいからじゃない?」


美子の言葉に私はぎゅっと奥歯を噛みしめた。


もしそれが本当だとしたら許しがたい。私と護を利用するなんて……。


「桐生さん、だっけ?彼に相談してみた方が良いと思う。弁護士さんならなおさら相談に乗ってくれると思うし」


「うん。そうしてみる。ありがとう、美子」


美子と別れてから自転車にまたがり護を迎えに保育園に向かう。


「護くーん、お母さん来たよ~!!帰りの準備してね~」


保育園に着き、室内で遊ぶ護に七海先生が声をかけてくれた。


「護くん、もうすぐ誕生日ですね」


「そうなんです。繋げられる電車のおもちゃが欲しいって少し前に言ってたので用意してたんですけど、あの子直前でやっぱり違うにしようかなとか言うので少し心配してて」


「あはは、あるあるですね。うちの子もサンタさんに頼んだプレゼント違うのにしてもいいかって聞かれてもうサンタさん用意しちゃったから無理じゃない?って言っちゃいました」


七海先生が明るく笑う。


「どこもそんな感じですよね。ちなみに護、保育園でプレゼントは何が欲しいとかそういう話してました?」


「あっ……、えっと……」


何故か急に困ったような表情を浮かべた七海先生に首を傾げる。


「護、なんか変なこと言ってました??」


「いえ、そうじゃなくて。これは……うーん、どうしよう。言っていいのかな……。いや、でも……」


「ママ~!」


七海先生が言いよどんでいる間に荷物を持った護がやってきた。


先生は助かったというようにホッとした笑みを浮かべる。


「護くん、さようなら」


「さよならー」


お世話になりましたと頭を下げて園を出ると、自転車の後ろの椅子に護を乗せてから自転車にまたがる。


もう夕方だというのに日差しは強く、ジリジリと肌を照らす。


「ねぇ、護」


「なに~?」


「先生にお誕生日プレゼントの話した?」


汗ばむ汗を拭いながら私は問いかけた。


「したよー!」


「そうなんだ。なんて言ったの?」


七海先生のあの反応が何故かとても気にかかった。


「ナイショ」


「えー、いいじゃん。教えてよ」


「だめだめ」


こういう時、護は父親の桐生さんに似てとても頑固だ。


「まあいっか」


今日は桐生さんも早く帰ってくると言っていたし、美味しいご飯を作ろう。


「よーし、しゅっぱーつ」


「しんこー!」


護の合図で自転車を漕ぎ始める。


護の送迎を始めてから体重が1キロ減った。


誤差の範囲だといわれればその通りだけど、これを続ければ産前の体重まで戻るんじゃ!?


太るのはとんでもないぐらい簡単だけど、痩せるのは血反吐を吐くほどに大変だと私は身を持って実感していた。



その日の夜、桐生さんは予定通り早く家に帰ってきた。


食事を終えると護と一緒にお風呂に入り、歯磨きを済ませてベッドまで連れていく。


完璧なるパパぶりを発揮している。


「今日は寝かしつけも俺がしていいか?」


「もちろんです。でも、疲れてないですか?」


「護と一緒にいると疲れが吹っ飛ぶんだ。それに、これはリベンジでもあるからな」


「リベンジ?」


その言葉に首を傾げながらも護を桐生さんに任せることにした。


シンクの掃除をしていたとき、テーブルの上の桐生さんのスマートフォンが震えた。


急ぎの仕事の電話だったら大変だと思い、スマートフォン片手に寝室へ向かう。


「あのっ、桐生さん……電話が……」


もしも護が寝ていたら起こしてしまうかと思いゆっくりと寝室のスライドドアを開ける。


二人はベッドにうつぶせの状態で横になり絵本を読んでいた。


「すると、子豚のトン子ちゃんが言いました」


ゆっくりとした低い声のあと、「わたしと一緒に遊びましょうよ?ねぇ、いいでしょう?」と甲高い声がした。


「……!!」


思わず口元を押さえて肩を震わせる。


今の、なに?


その後も桐生さんの声は七変化を遂げる。


桐生さんは登場人物になりきって低い声や高い声を出し、さらには抑揚をつけオーバーリアクションで絵本を読んでいた。


しばらく黙って聞いていたものの「ぶっ!!」と吹き出すと、二人が驚いたように私の方に顔を向けた。


「なっ……!!き、聞いてたのか!?」


桐生さんの顔がみるみるうちに赤くなる。


「すみません、電話があったみたいで……。それで来てみたら……」


思い出すだけで肩が震えてしまう。


「あ、あとで折り返すから大丈夫だ」


恥ずかしいのかすぐに私から顔を背けた桐生さん。


「ママはやくでてってー!」


「ごめんごめん。もういくね」


よほど楽しんでいたのか護に邪魔者扱いされ、私はさっさと退散した。


それにしても……桐生さんってばあんな風に絵本読んだりできるんだな。


護が生まれた瞬間に立ち会ったわけでもなく、ついこの間護と顔を合わせたばかりだというのに桐生さんのパパぶりには驚かされる。


「……寝かしつけの時に入るときは必ずノックをしてくれ」


リビングに入ってきた桐生さんは照れ臭そうにそう言った。


「分かりました。すみません」


「謝らせようと思ってるわけじゃないが、やっぱり……恥ずかしいからな」


そう言うと、桐生さんは冷蔵庫からビールを取り出した。


「莉緒も飲むか?」


「私は下戸なので」


「そうか」


照れているのを隠すためか、グビグビと喉を鳴らしてビールを一気に流し込む桐生さん。


「……実は桐生さんに相談があるんです」


私は良太のことを思い切って桐生さんに話すことにした。


「それは立派なストーカーだな」


話を聞き終えた桐生さんの顔が険しくなる。


「ストーカー行為を証明する為には証拠が必須になる。話しかけられた時の音声を録音したり、その男にいつどこで何をされたのかということを記録に残すことも大切だ」


桐生さんの言葉に頷く。


「警察に被害届を出してもすぐに捜査が開始されるわけではないが、被害を裏付ける証拠があれば早々に何らかの対応を取ってもらえる確率があがる」


「なるほど……」


「だが、警察は民事には積極的に介入しようとはしない」


すると、桐生さんは私を真っすぐ見つめた。


「俺と護のDNA鑑定をさせてもらいたい」


「え……?護の父親は桐生さんです。元カレじゃありません!」


「頼む」


「……分かりました」


私は渋々承諾した。100%間違いなく護の子供は桐生さんだ。


もしかしたら……護が良太の子供だと疑われた……?


心の中にほんのわずかなモヤモヤが広がった。

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