異世界政治学読本〜三角関係令嬢による内政のすゝめ。〜
暦
第1話 結婚か世襲か
「イヴ、お前ももう大人だ。そろそろ貴族としての身の振り方を考えねばな」
久々に領地に帰ってきたお父様に呼び出されて迫られた選択。それは私にとっては非常に頭の痛い二択だった。
「私の後を継いでクローデット辺境伯となるのか、それとも幼馴染のエドワードと結婚して彼に全てを任せるのか。自分で決めなさい」
私はイヴ・クローデット、もうすぐ十八歳。本当は長ったらしいミドルネームがあるけれど、それは今は関係ない。
アンダリア大陸の西の端、ノード連合王国の辺境伯夫妻の間に生まれた一人っ子の私は、間も無く成人の儀を迎える。それに向けて今後の方向性を決めろ、とお父様は言うわけだ。
「すぐには決めかねます。考える時間を頂けませんか?」
「勿論。お前は半年後がデビュタントだろう?それが期限だ。女子の身で爵位を継ぐ決心はなかなかつかないかもしれんが、あまり長いとエドワードにも悪いからなぁ」
最近長子相続が原則となった我が国では男女関係なく爵位を継ぐことができるが、まだまだ男子が跡取りというケースは非常に多い。
そんな中で爵位を継ぐ覚悟はあるのか、半年間で決めなければいけない。
「それは……あの、結婚相手はエドワードで決まりなのですか?」
「ん?他に相手がいるのか?」
「いえ、おりません。ですがエドワードの意思は」
「心配するな、上手く話はしてある。向こうもお前がその気なら構わんと言っておった。あとはお前の気持ち次第だ」
お父様の根回しの早さに思わず舌を巻く。
自分で言うのも悲しいが、私には四歳年上の幼馴染のエドワード以外に親しい男性はいない。結婚するなら彼だろうとお父様が考えるのも当然だ。当然なのだが……いまいち気が乗らなかった。
「エドワードは良い男だろう?紳士的で社交的で切れ者で、その上顔も良い。お前には正直勿体無い相手だ」
「だからです。エドワードが私との縁談に乗り気だなんて信じられません」
「イヴ、無理に結婚しろとは言わない。だが女の身一つで戦えるほど政治の世界は甘くはない。爵位を継ぐにしても、せめて伴侶は必要だろう」
別に私はエドワードのことが嫌いなわけではない、むしろかなり親しい。小さい頃から面倒を見てくれていた兄のような存在だし、お父様の言うように紳士で優しくて頭だって良い。
でも、完璧すぎるのだ。国内どころか国外にまでその美貌は知れ渡っているし、それはそれは女性にモテる。そのせいで私には女友達もほとんどいないくらいだ。
王子様よりも王子様みたいだと評判の男性と結婚するなんて、余程自分に自信がないと無理だろう。
戸惑う私の気持ちが通じたのか、お父様は仕方ないとでも言いたげに小さく溜息を吐いて困ったように笑った。
「ではこうしよう。半年後のデビュタントまで、お前に領主としての権限を委任する。一度このクローデット領を統べてみなさい」
「よいのですか?」
「仕方ないだろう?ただし今回だけだ。領主という仕事には人生を賭けた責任が伴う。それでも領主となるのか、ならないのか。伴侶を得るのか、一人で戦うのか。考えるのには自ら経験するほかないだろう」
「ありがとうございます!お父様!」
私は娘に甘いな、とぼやくお父様に頭を下げる。
兎にも角にも挑戦する機会を与えてもらえてよかった。ほっと胸を撫で下ろしていると、控えめなノックが響いた。
「旦那様、お嬢様。バトラー侯爵の使いの者が」
「エドワードの使いが?一体なぜ?」
「エドワード様が夕食頃にこちらにお見えになるそうです。急な来訪になって申し訳ない、と」
エドワードが突然約束も無しにやってくるなんて珍しい。不思議に思ってお父様の方をチラリと見ると、澄ました顔でお父様は咳払いをした。
「わしはこの後王都に戻らねばならん。イヴ、しっかりと頼んだぞ」
「お父様、もしかして」
「料理長に話は通してある。今後のことについてゆっくりと話す良い機会だ。さて、そろそろ出ねば会合に間に合わんな」
「お父様!」
出てった出てったとお父様に追い払われて、渋々メイドのナタリーと執務室を出る。
まったく、あんなことを言っておきながらお父様の中で私がエドワードと結婚するのは決定事項らしい。
「お嬢様、夕食でのお召し物はどうされますか?」
「うーん……あんまり気合を入れて婚約に前向きだって思われても困るし」
「あら、お嬢様は乗り気ではございませんでしたか」
「ナタリーだってエドワードのことは見たことあるでしょ?あのエドワードと結婚って言われて『はい喜んで』なんて応えられる女性がどれだけいるんだろう」
「私はお嬢様とエドワード様はお似合いだと思いますよ」
ナタリーは昔から私の面倒を見てくれている古株のメイドだ。第二の母親のような立場の彼女がお世辞を言ってるとは思わないけど、多少の贔屓目が入っていることは間違いない。
「私に任せてくださいますか?ばっちりと仕上げて見せますとも」
「じゃあ、お願いしようかな。あ、でもあんまり気合い入れないでね」
「わかっていますよ。では早速準備いたしましょう」
張り切るナタリーは私の部屋に入るなり他のメイドを呼びつけて、夕食に向けて身支度を始めてくれた。
忙しく動き回る彼女たちを横目に、私は鏡に映った自分をぼんやりと眺めた。
「お嬢様のローズブラウンのお髪と同じ薔薇色のドレスを持ってきて。そうそう、髪飾りは瞳と同じ薄藤色がいいわ」
くるくると癖の強い髪を丁寧に結われ、淡く化粧を施されるとあっという間にそれなりの見た目に整えられていく。プロの手腕は大したものだと感心すると共に、着々とエドワードを迎える準備が進んでいくことに憂鬱になった。
あぁ、エドワードに何で説明したら良いんだろう。私如きが選べるような相手でもないのに、考える時間をくださいだなんて。
「お嬢様、表情が暗いですよ」
「なんて言ったらいいと思う?領主体験をしてみたいからちょっと待ってとか?」
「お嬢様はそういうお気楽な性格ではないでしょう。素直に迷ってるから待ってほしいでいいのではありませんか」
「そんなものなの?」
「そんなものです。エドワード様はお嬢様には甘いですから」
「またまた。妹みたいに思ってるだけなのに」
こんなことを言ってる間にも少しずつ太陽は傾いていくし、メイドたちの手も止まらない。
そうして私が『婚約者に会う辺境伯令嬢』らしい装いになったと同時に、馬車の音と門の開く音が響いたのだった。
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