天才魔術師、オリジナル魔術【反重力魔術】で全てを置き去りにする

或る莫迦

完成

「ついに、完成した……!」


「本当ですか?! 先生!」


 ペンを置き勢いよく立ち上がる俺に、弟子であり愛娘でもあるリーリャが駆け寄る。


 伸びをして時間を確認するとすでに真夜中になっていた。

 この人里離れた魔術研究所に閉じこもってからもう半日経っていたということか。道理で背中と肩と尻がひどく痛むわけだ。


 苦節273年、もし18歳の時に人間を捨てる決意ができていなければ、俺はとっくに死に、この魔法も完成することはなかっただろう。


(はっきり言ってズルだよな)


 水晶に映るあの日からシワひとつ増えていない自分の顔を見て苦笑いする。


「まーた、自分のことをズルい人だ、とか思って責めてるんですか?」


「そんなことは……」


「そんなことあります! 先生は顔に出やすいんですから」


 リーリャが水晶に映る俺の顔を手で覆い隠しながらぷくっと頬を膨らませた。


「はは、リーリャに隠し事はできないか」彼女の膨らんだ頬を親指で軽く押すと、ポフッと音を立てて空気が漏れる。「この魔法の次はリーリャに表情を読まれないための魔法を作らなくちゃな」


「そんな寂しい魔法作らないでください!」


 リーリャは涙目になり、もう一度頬を膨らませる。


「冗談だよ」


 コロコロと表情を変えるリーリャが愛おしくなり、栗色の髪を撫でた。


 今でこそ喜んだり、心配したり、怒ったり、泣いたりしているリーリャだが、ここまで豊かな表情を見せるようになったのはここ数年のことだ。


 かつてリーリャには感情と呼べるものは見られなかった。ロウで作られた仮面かのように顔面をピクリとも動かさず、俺が話しかけても〈命令オーダー〉と解釈して忠実に実行するだけだった。


 「ご飯にしようか」という俺の言葉は「食事を準備しろ」、「お風呂空いたよ」は「風呂の掃除をしろ」、「もう雪が降ったんだ」は「庭の前の雪を片付けておけ」という〈命令オーダー〉と捉えられ、迅速に処理された。なにも〈命令オーダー〉がないときは部屋の隅で壁を背に気をつけの姿勢のまま微動だにしなかった。


「あの頃と比べたら、今は油を差すのにも恥ずかしがるようになって」


「な、にを……」


「あ、ごめん、口に出てたか」


 リーリャの白い顔がみるみる赤く染まる。もう耳まで真っ赤だ。


「あの頃のわたしは! わたしじゃないというか!」


「確かに、そうかもね」


 リーリャを宥めながら、紙上で完成させた魔法陣の設計図を見直す。


 273年間、練りに練り、いくつもの魔法陣を組み合わせたはずのそれは、細部が打ち消し合い、美しい単四重円型陣モノカルテットサイクロに纏められている。


「やっぱり俺はズルいよ」


「だから、そんなこと……!」


「でも、ズルくないととても成し遂げられないこともある。だから、俺はこのズルさを誇っていこうと思うよ」


「そう……ですね」


 まだ納得してはいないようなリーリャが魔法陣の設計図を覗く。と、彼女の目が赤く光り、魔法陣の機能を計算し始める。これは、彼女が意図しようがしまいが無意識のうちに行われる演算処理だ。俺たちが空を見て青いと感じ、外に出て寒いと感じるのと同じように、彼女は発火の陣を見て火が起きることを感じ、歌唱の陣を見て音楽を感じるのだ。


「複雑ではないですけど、見たことのない形の陣です」


 そう言いながら内側から外側に人差し指でなぞる。


「ここがスティールが学生の時に考案した魔法を組み込んだ部分だ」


 彼は武器や防具に魔方陣を付与する技術の研究をしていた。今でこそ付与エンチャントは一般的な技術だが、当時は画期的どころではなかった。彼が開発した魔術の中でも一世を風靡したものが、力を霧散させる魔術だ。防具の表面に付与すれば絶対に壊せない鎧の完成だ。要塞の壁にも、金庫にも、壊れては困るあらゆるものに付与された。


「こっちはオルグのパラメータ導入機構」


 オルグは町役場に勤めながら魔術の研究にも没頭した在野の天才だ。彼以前と彼以降では魔術の汎用性は段違いだ。役場の仕事を辞めてウチで教鞭をとらないかとスカウトした魔術校は数百を数えるという噂だし、俺も弟子入りを志願したものだ。残念ながらそれはかなわなかったが、つい数十年前まで文通を交わす仲だった。


 魔術の汎用性を上げた人物といえばもう一人、


「こっちはカチャカチャの多重構造補助機構」


 偶然行き倒れていたところを助けた東国人だ。その縁もあって魔術の弟子として取ったが、ものぐさな性格で魔術に関してもどうやってサボるのかばかり考えていた。そのものぐさの極致こそがこの機構だ。


「こっちはモートン、これはリザ、アデリーナとルカの理論も組み込んだのだけどお互いに打ち消しあってこの記号だけになった。あいつららしいといえばらしい」


「知らない名前ばっかりです」


 リーリャがむうと口をへの字に曲げる。


「ごめんごめん。リーリャが発見した技術もあるよ、こっちとこっちでは違うインクで書く予定だ」


「学生の頃の友人からわたしまで。まるで先生の集大成のような陣ですね」


「そう、その通りだ!」


俺には魔法陣の設計図からかつての友人やライバルたちの顔がありありと浮かんで見えるようだった。


「だからこそ、俺はズルい。何もかも、人からの借りものだ。彼らは、俺に自分の技術を使われたことを怒るかな、それとも、称賛してくれるのかな。そういえば、『空を飛びたい』という夢すらツバンの受け売りだ」


 よくやった、と手を叩く彼らの姿も、俺たちがたどり着くはずだった魔術なのに、と地団太を踏んで悔しがる彼らの姿も、どちらも想像できた。

 悔しがればいい。知を極めるまで生きながらえるという醜い決断をしたのが俺だけだったというだけの話だ。


「行こうか、リーリャ。試運転だ」


「はい、先生」


「あの天才たちの肩から見る景色がどんなものか、一目見てやろうじゃないか」


 真夜中だというのに、外は存外明るかった。巨大な満月が地表を照らしているせいだ。


 さすがにあそこまでは届かない、かな。


 考えてみればこのおよそ3世紀の間、魔術にしか向き合ってこなかった。あの月がどのくらい遠くにあるのかも、なぜ落ちてこないのかも、なぜあんな模様があるのかも、俺は知らない。


 この魔術を発表したら、魔術以外のことにも手を伸ばしてみるかな。


展開スペル


 スティックを片手につぶやくと、設計図に記述した通りの魔法陣が空中に広がる。魔法次元にしか存在しない物質から精製されたインクは他の何にも干渉せず音もなく空中にある種神秘的な幾何学模様を描き出す。


「いよいよですね、先生」


「範囲は俺を中心に半径1メートル、未設定、強度クラスイエロー、未設定、1分」


 俺の声に応じて魔法陣が僅かに揺らぐ。展開が完了したことを示す魔法文字が点滅する。


「じゃ、リーリャ、ちょっと行ってくる。しばらく留守番頼んだよ」


「はい、先生」


「【半重力魔法アンチグラヴィティマジック】────起動」


 体重が消えるのを感じる。高いところから飛び降りた時のような浮遊感が全身を襲う。地面をつま先で軽く蹴ると体が少し浮いた。

 成功だ!


 その高揚感はほんの一瞬だった。


「があっ──――!」


 視界がものすごい勢いでかき回される。感じたことのない強風を食らい、呼吸もまともにできない。手に持ったスティックが足にあたり真っ二つに折れる。パンッという音が聞こえた後、なにも聞こえなくなった。鼓膜が破れたらしい。


 四方八方から吹きすさぶ風に体重を失った俺はなす術もなく────そのままもみくちゃにされながら、吹き飛んだ。


 振り回される意識の中で、やっと俺は悟った。


 俺は、魔術以外を知らな過ぎた。願わくば。もし無事に帰れたのなら。魔術以外のことも学ばなくては。


 気が付けば暴風は止み、かつて俺が暮らしていた大地ははるか遠くにあった。


「ああ、この世界は丸くて、青かったのか」


 重力の影響を受け付けなくなった俺は、このままどこまで行くのだろうか。

 進む先を見やれば、驚くほど何もない空間が広がっている。


 あまりの孤独にめまいを感じ、俺は目を閉じた。


 いつか、帰れる日を願って、その日まで、おやすみ。







##########あとがき##########

「しょうもなくてもいいから一つのお話を完結させてみよう」と思って書いた小説です。

全てを置き去りにする=大気圏脱出

一人称視点だと描ききれなかった補足をば。

主人公が発動した魔術は自分の足元の周り半径1メートルの範囲内の物質に働く重力を消し去るものです。

この「1メートル」というのは横方向の範囲です。縦には頭上どこまでも、それこそ宇宙まで範囲内になっています。

魔術の効果を受けるのが主人公だけなら良かったのですが、範囲内の大気も効果を受けたために、主人公を中心にえげつない低気圧が発生しました。

このえげつない低気圧に周りの空気が吸い込まれ、えげつない上昇気流を発生させ、重力の軛から脱してしまっていた主人公は敢えなく宇宙まで飛ばされてしまったというわけです。

実際にこういったことが起きた場合どうなるのか、私の科学力では分かりかねます。


(追記)

続きを書きたくなったので書きます。

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