第6話 テレ
朝の目覚めは信じられないくらい爽快だった。
木製の窓を開けて目に飛び込んできた朝日が眩しくて、思わず呆けてしまった。
これまでも視力が良いというか、彩色に意味を感じるというか、前世なんか比べ物にならない視覚を感じていたが、人体構造的に地球人と差があるせいかもしれないと理解していた。
眼球というカメラの性能、それを入出力する視神経、そして視覚情報を統括する脳の出来が違うのだろう。
もっとも単純に、前世の自分が近視や乱視などに慣れていて、健康な体を手に入れたというだけの話かもしれないが。
そうやって目に入る全てに感動している時間は、長女と三女が母に起こされるまで続いていた。
「おはようございます」
焼いたチーズを載せたパンと味の無いスクランブルエッグ、温めた牛乳の朝食を済ませているとテレがやってきた。
母よりも若い十代後半くらいの穏やかな顔をした小柄の女性は、これでも私たちの乳母だった。
だった、というのは私たちが乳離れをしたからなのだが、驚いたことにこの少女のような女性の胸から我々は母乳をいただいていたのだ。
ちなみに私たちより二つ上の男の子と、私たちと同い年の女の子、二人の子どもがいるとのこと。けしからんね。
「それじゃあ、あとはよろしくね」と、朝食を済ませた母は公舎に繋がる扉を潜りながら私たちとテレに声をかける。
「行ってらっしゃいませゼーリムさま」とテレも雇用主に頭を下げる。
ちなみにゼーリムが母の名前だ。亡くなった父の名はシンというらしい。
乳母としての役目を終えたテレはそのままベビーシッター兼、ヘルパーさんのような立場として通ってくれている。
公務に忙しい母よりも私たちにとって触れる機会の多い存在だ。
とても好ましく思っているし、薄幸そうだし、貴重な情報源だし、うっかり私たちの秘密を漏らして彼女に気味悪く思われて退職などされてしまうわけにはいかない。
それは単純にやめてほしくないとか、彼女の家の家計を支えたいといった人情的な側面だけじゃなく、彼女の代わりにウチに来てくれる奇特な人はいないだろうという現実的な理由なのだ。
この世界で三つ子以上の多子出産は忌み嫌われている。
医療事情などもあるのだろうが、多胎児の死亡率は高い。またその後の生育率も低く、多くの場面で家庭崩壊につながるのだとか。
だからだろう。三つ子の家庭は呪われる。または、呪われている。といった感覚が一般的な常識なんだそうだ。
そういった情報は誰かに聞いた話じゃない。
この村の規模や文化進度の割に、不思議と我が家には多くの書物があり、それらの文献から集めた情報だ。物語の中でも、格言でも、歴史書のようなものでも、そこに残る一般的な三つ子のエピソードは基本的にネガティブな表現が多かった。
村人にとっても、村長家に三つ子が生まれたことで大いに困惑したことは想像に難くないが、相手が村長ということで尊重してくれたのかもしれない。なんちゃって。
まあでも、今のところ実害もないのでその辺りの迷信や逸話はどうでもいい。
テレがいないと困る。というのが切実な問題で、逃げられることを防ぐために転生者であることを悟られずに子どもらしく振る舞うのが肝要だ。というわけで、朝食前、イーチェとサーファにテレの重要性を説き、くれぐれも日本語を口走らないように言い含めておいた。
せっかく同郷者であることが分かったこともあり、もっとたくさんの情報共有をしたいところでもあったが、昨日得た情報だけで今の生活が劇的に変わらないから焦る必要もない。
なのでこれからはテレが不在の時か、夜間の就寝前に前世を復習しようと二人には声をかけておいた。
楽しそうに笑うサーファと対照的にイーチェは少しだけ嫌そうな顔でしぶしぶ頷いていた。
まあ、イーチェの気持ちも分かるよ。
前世を思い出せば現状との差が明確になっちゃう。
そしてその差を埋めることができないから現実を受け入れるしかない。
逆にサーファの時代は私たちの時代よりも物質的には恵まれていなかったために、何かが人の作業を代替してくれるという実感は少ないだろう。
食器を洗う、床を掃除する、外出先からエアコンの電源を入れる。そういった便利さを追求した果てに科学技術はヒトから仕事を奪い、一人では生きられないようにヒトを調教したのかもしれない。きっとイーチェの抱える絶望感みたいなものは、私以上に深刻なんだろうな。知らんけど。
食後の片づけが終わると私たちはテレと一緒に家事を行う。
トイレの排せつ物を庭のたい肥小屋に移し麦藁と混ぜたり、井戸から水を汲み上げて厨房の水瓶に入れたり、自宅で飼っているコッケの世話などを行う。
サーファは楽しそうに、イーチェは虚無の表情を浮かべて、そして私はそんな益体も無い思考に囚われながら体を動かした。
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