エピローグ
第55話
鈴奈は、刺された二日後に息を引きとった。殺害したのが息子だけに表立った葬儀は行われなかった。彼女の罪は暴かれず、彼女は事件の加害者ではなく純粋な被害者として報じられ、人々はそれを信じた。
一旦、速水家に引き取られた瑞希は、三日後に父方である宝田家の祖父母のもとに引き取られることになった。鈴菜の母親は一人暮らしで貧しく、瑞希を育てられないだろうというのが宝田家の主張だった。瑞希のもとには十分な配当金が支払われるから、経済的なことは理由にならないはずだった。つまるところ、孫の親権を、あるいは彼女が相続した遺産をめぐって宝田家と速水家が争い、女性一人の速水家が押し切られた形だった。
システム・ヤマツミは大株主の突然の死にざわついた。加害者の誠治は相続権を失い、鈴奈が所有するシステム・ヤマツミの株式は瑞希が相続するからだ。
「小学生が大株主とはなぁ」
亀田が羨ましそうな声を上げた。
「成人を迎えるまで、宝田社長のご両親が後見人になるそうだよ。わが社の運命は、結局、宝田一族に握られている。とはいえ、ある意味ソフトランディングだ」
都留は安堵の様子を示した。
「部長、ソフトランディングなんて、奥様が亡くなられているのに不謹慎です」
都留の軽口を真子がたしなめた。
「そうだった。すまない」
彼が謙虚に反省してみせた。
事務室のドアが開き、木藤が綾子を連れて監査部に向かってくる。
「アッ、社長……」
「社長、お疲れ様です」
監査部員は立ち上がって木藤を迎えた。
「座ってください。剣さんにお願いがあって来ました。他の人は自分の仕事に戻りなさい」
彼はそう言うと打ち合わせテーブルを指した。
「呼んでいただけたら、私がうかがいましたのに……」
法子は、並んだ木藤と綾子の正面に座った。
「頼む方が訪ねるのが筋だろう」
「ハァ……」心にもないことを、と心の内で苦笑した。
「大株主の要請があってね。宝田社長のマンションを引き払うそうだ。その後かたづけを五十嵐さんと剣さんに頼みたい……」
また私?……正直むかついた。木藤が続ける。
「……本来の業務ではないから断ってくれてもかまわない。しかし、お客様が神様なら株主は仏様だ。剣さんは大株主と親しいだろう? 手伝いを買って出てもいいくらいだと思うのだよ」
瑞希さんが? 確かに彼女なら私を名指しするだろう。……ため息がこぼれた。
「……分かりました。やらせていただきます」
「ヨッシ、それでこそシステム・ヤマツミの社員だ。詳細は五十嵐さんに聞いてくれ」
木藤はニッと笑うと席を立った。
「剣さん、よろしくね」
残った綾子がメモを差し出した。すでに宝田家との打ち合わせは済んでいた。日時が記載されている。【××日 am8~】
「午前八時からエンドレスですか……」
「エンドレスじゃないわよ。終わりが分からないだけ。場合によっては二時間で済むかもしれないし……」
宝田家のリビングを思い出す。自分の住まいとは比較にならないほど高価そうな物質に満たされた空間だ。
「とても一日で荷作りが済むようなお宅には見えませんでしたが……」
「心配しなくていいわよ。梱包や運搬は専門業者がやるから。買い取り業者も頼んでおきました。私たちは物を確認して指示を出すだけだから楽な作業よ」
業者が入るなら法定労働時間の壁もある。エンドレスはない。……胸をなでおろした。
「それなら八時間は越えませんね」
「さすが監査人。そうよ、きっと大丈夫。頑張りましょう」
綾子は力強い笑みを作って席を立った。
三日後の午前八時、法子は宝田家のマンションを訪ねた。引っ越し業者はまだ来ていなかったが、綾子はエントランスの前で待機していた。
「社長の父親が来るはずだったのだけど、急に来られなくなったって……」
綾子がスマホのメールを示した。
「ドタキャンですか……」
「もともと来る気はなかったのかもしれないわね。だからこれを先に預けていた」
彼女は電子錠を使ってエントランスのドアのロックを解除した。
「いいのですか、私物を勝手に選別してしまって?」
「全部、法子さんに任せるって、所有者が言ったらしいわ」
「所有者?」
「大株主の瑞希さんよ。ここの部屋も中の家具や宝石も、瑞希さんが相続するのよ」
「子供の言うことを真に受けるのですか?」
「それを後見人が認めたのだから、それでいいじゃない。売れるものは売って、相続税の支払いに充てるらしいわ」
二人はエレベーターに乗った。
駆けてきたマンションの住人が乗り込んでくる。法子と綾子は口を閉じた。
扉が閉まり、エレベーターは静かに動き始めた。
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