第2話 Voyager対策機構 後編

「外はなんの影響もないみたい。能力の範囲はこの体育館の中だけ。多分だけど、重力のベクトル向きが、変えられてる」

「でもよぉ、あの赤ん坊、なんか使ってる感じでも無かったぜ」

「多分アレに、能力を使おうとする意思は無いんじゃないかな。感情の強い揺れ動きとかで、誤作動に近い形で発動しちゃうんだと思う」


 今、幼体のボイジャーは比較的落ち着いている。しかし、「んなんな」と意味のない発音を繰り返しながら寝返りを繰り返しているのを見るに、目は完全に覚めているようだ。またいつ、さっきみたいな情緒の乱れが訪れるか分からない。


 現状この能力に直接的な攻撃力は無いにしろ、20分の制限時間がある以上、悠長にはしていられない。


 こういう理解もへったくれもない状況に置かれた時は、まずすべきことがある。能力には能力の応酬で対抗するのだ。


 ムゥはそっと閉じて、頭の中で願った先の光景を鮮明に思い浮かべる。星の園の効力は、ムゥのイメージにより左右される。こと現状においては、空間その物にかけられた呪いを解くような物だ。


 暫時の経過——準備は整った。


「星一つ!」


 そう唱えるや否や、星の園に浮かぶ星の一つが、激しい発光と共に消失した。願いは叶えられ、世界の理は正しい方向へ、強引に捻じ曲げられる——そのはずだった。


「えっ!」


 突如全身を叩く、凄まじいプレッシャー。まるで世界の秩序を正そうとする力の波動が、別の作用で弾き返されたような……。


 何か間違いがあったわけじゃない。ムゥだけに分かる確かな手応えが、それを証明している。星も間違いなく消えている。ムゥの星の園は、願われた思いに背くことなく、しっかりと効果を得たのだ。


 だけど重力は戻らない。


 そうか、そう言うことか。


 思えば、虻菜華小学校のバルコニーでも、星が消えたのに願いが叶われ無かったことがあった。あれをムゥは、決定的な情報の不足であると納得したけれど、あの事件にボイジャーが絡んでいたのなら、今の件と合わせて別の解釈が成り立つ。


 ボイジャーに対して『星の園』を使用する時、規律の一つである、「個人を対象とした願いは叶えられない」というのは当てはまらない。だけどその代わり、別の能力とぶつかり合って、効果その物が打ち消されるんだ。


「所詮頭でっかちは、専門家には叶わないってことね……」


 悔しいけど納得だ。でも、それならそれで、やりようなんてのはあるんだから!


 「時臣一旦——」


 ムゥより先の方にいるはずの時臣に、 合流! と呼びかける——いや、呼びかけようとして、時臣の奇怪な行動を前に言葉が詰まる。


「うりぃやあ!」

「ち、ちょ! 何してんのー!?」


 どうしてか時臣はその場で大ジャンプをしたかと思うと、何かに手を伸ばし……何も掴めないまま元の位置に着地した。


 一体何をしているのか。何がしたいのか。それを聞きたいムゥの声は彼の耳に入っていないようで、ジャンプしては着地を、何度もめげずに繰り返す。


 仕方なくムゥの方から駆け寄る。近寄ってみてようやく真意が分かる。見たところどうやら、聳える壁(もともと床だった面)に寝転がっている幼体のボイジャーに、手を伸ばそうとしているようだ。しかしギリギリのところで届いていない。


「時臣一回ストップーッ!」

「ちっ、くそっ……もうちょいでっ……届きっ……そうっ……なんだっ……よっ!」

「んもうっ!」


 わがままばっかり! ムゥが筋骨隆々だったら羽交い締めにしているところだ。それに見込みがないから止めて欲しいわけじゃない。時臣が着地するたびに、体育館中に強い振動と音が響く。これじゃあ幼体のボイジャーにストレスが掛かっちゃうよ。


「でぇ〜〜〜りゃあ!」


 時臣は力を振り絞って垂直跳びする……けれど、やっぱり拳2つ分ほどの距離が縮まらない。


 するとだった……。


「くっそおっ!」


 時臣は宙で右腕を後ろへ引いたかと思うと、悔しそうな声を上げるのと同時に、


 ガァアンッ!!!


 目の前の壁(床)を殴りつけたのだ。


 途端だった——。


「いっ、んぎぃん、んびゃあああああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っっっっっっっっっっ!!!!!!!!」


 また幼体のボイジャーが泣き出してしまった!


「あぁあん!?」

「んもう言わんこっちゃないんだから〜〜!!」


 鼓膜が痛いと錯覚するほどの騒音だ。


 それからほどなく、接地していた床からムゥと時臣の足が浮かび上がる。


「う、うわっ、うわわわ!」

「んだぁ!? か、体がぁ〜っ!」


 重力が、平衡感覚が、三半規管が、ちゃぶ台のごとくひっくり返る。


そして、

壁から————————————————————————————————落下。


「おうちっ!」

「あだぁあ!」


 ムゥたちはフロアを縦断するように落ち続け、ムゥはお尻から、時臣は頭から対面の壁に打ち付けられた。


 今度は丁度180度の、重力の変化。頭こんがらがる……。


 天井だと思っていたら床になって。床だった場所が今度は天井になった。


 ムゥは頭をブンブン振って、無理やり頭を平静に持っていく。


「時臣……大丈夫? 結構下手に落ちたけど……」

「くっそっ、受け身忘れちまった。流石に痛かったぜ」

「そっか、大丈夫そうでよかった……」

「くっそがぁ……いい加減にしやがれこんちくしょうがぁあーーーっ!!!」

「うぇ!? 時臣そんな叫んだら——」


 諫言かんげんも虚しく、


「ひぅぐんなぁあああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっ!!!!」

「あ、あぁ、ち、ちょっ」

「んだよくっそー、またかよぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」


 今度は接地していた壁に沿うように落下が始まる。正常な重力をテイに説明すると、体育館の天井の方角だ。およそ15メートルの距離を、無抵抗に自由落下させられる。


「いぎゅう!」

「あっだぁっ!」


 三角屋根の裏側に打ち付けられた身体は、それだけでは重力の支配は終わらず、中央の凹みに向かって滑り落ちていく。途中縦に横に体が回転する様は、どこかの国の坂をダッシュで下るお祭りを思わせる。おむすびころりん状態を続け、ようやく逆三角形の頂点で、運動は止まる。


「んもう……なんなの……」


 第一声がこれ。そりゃもう、うんざりもしますよ。


 仰向けで寝転がったまま、まだ揺蕩している三半規管の回復を待つ。上空(床)を眺めつつ、一応の義務感で、横で同じく倒れ込んでいるであろう時臣に尋ねた。


「時臣生きてるー?」


 万が一にも死んでるとは思っていないけれど。


「死んでるぜ」


 どうしよう、死んでいた。


「オレでなきゃなぁ」


 やかましいわ。


「あっそう……」


 自然と空返事になる。1Gの自由落下程度で大怪我するはずは無いという信頼の意味もあれば、よくもやってくれたなという冷たい感情も、その返事には含まれていた。


 しばらくしてのっそりと時臣が上半身を起こしたのが横目で見えたので、ムゥも「うんしょ」と上体を腹筋で持ち上げる。


 色々と言いたいことはあるけれど、とりあえずまた間違いを起こさぬように釘を刺した。


「これで分かったと思うけど、大声も、大きな音も、振動も、全部禁止。分かった?」

「あ? なんでだよ?」

「あーもう。なんでも何もないでしょうが。さっきも説明したけど、あのボイジャーは感情の強い揺れ動きで、能力を無意識に起こしちゃうの。本物の赤ちゃんだって、ちょっとのショックで大泣きしちゃうでしょ? それと同じだと思って、慎重に接して」

「あぁ〜? なんでそうやってあらかじめ説明しとかねえんだよ!」

「それくらい察してよっ。それに、とりつく島もなく時臣が勝手に行動しちゃったから、今こうなってるんじゃん。ていうか感嘆符付けて話すの禁止っ」

「んだとぉ〜? 戦地で一人頭ん中でごちゃごちゃ考えてるてめえが悪いんだろうがよぉ。指揮官気取りなら頭ん中具現化しろよバーカ」

「んえっ、バッ……」


 た、確かに最初能力を使われた時は、ムゥも混乱してたし、事態の把握とか、星の園の使用とかで、あんまり時臣に構ってなかったけど……。


「バッ、バカは言い過ぎだと思うんですけどっ。少なくとも時臣よりかはバカじゃ無いしっ。ムゥだって色々考えてますしー!」

「べーっ。聞こえねぇよバーカ! 考えてる事言わねえんならバカなチンパとおんなじだぜバーカ!」

「そっちこそバカバカバカ! 何も考えてないくせに独断専行ばっかして! この状況はどう言い繕っても時臣の責任の比重のが大きいから! ていうか感嘆符付けて話さないでって言ってるじゃん!! ボイジャー刺激しちゃうでしょうが!!!」

「きんきんきんきんかんだけぇ声でやかましいなぁ!! 結果が悪くなったからって全責任押し付けてんじゃねーよぉボケェ!!!」


 自分でも頭に血が昇っているのが分かった。後頭部の辺りが熱くなってきた。


 んもう完っ全にあったまきた!


 ムゥは前のめりになって、眼前の忌々しい顔に面と向かって抗議の声を——上げようとした、その時だった。


 広い体育館に反響した自分たちの声でも無い。施設の外から聞こえる環境音でも無い。


「みぎぃひゃぁああああああああああぁああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっ!!!!」


 鼓膜を鋭角に揺らす不快な泣き声が、上空から降り注いだ。


「……っ! し、しまったぁ!」


 しかし気づくのが遅い。


 散々時臣に注意してたのに。自分だけは間違わないようにと心がけていたのに……。 


 まさかしくじるとは! ムゥが自我を獲得して以来の、指折りな失態だ。


 ムゥたちの体は再び、変化した重力の向きに引っ張られる。


「んぅあ!? だぁ! くそっ! 何回やんだよちくしょおーーーーっっっっ!!」

「うぅわぁあ! 時じんっ! お願いだから静かにーーーっ!」

「ひぎぅぎゃああああああああ!!! あんああああああああっっっーーーーー!!」


 幼体のボイジャーの泣き声は、かつて無いほどに豪快で、凄まじく、そして終わらなかった。


 ムゥたちの身体は空中で為す術もなく、右へ左へ、上へ下へ、斜めへ、その対角へ——次第にどっちが上で、どっちが下かの判別もつかなくなってくる。まるで巨人の手のひらでお手玉でもされているようだ。


 いつまでも床がない。壁がない。天井がない。何にも触れない。宙でブンブンと振られ続け、揺さぶられ続け、そしてやがて————その動きは止まる。


 頭が重い。目はまだ回っている。とにかく静止したのだなと分かる、そんな感覚だけが感じ取れる。


 恐る恐る、ゆっくりと閉じていた目を開けて、事態の確認。


 思考が一瞬、停止した。


 視界はゆっくりと、円を描くように動いていた。ムゥがいるのは、床でも、壁でも、天井でも無かった。ムゥは……空中にいた。漂うでも、流れるでもなく、ただ空中の一点に止まり続け、宇宙空間から眺める地球の自転のようにゆっくりと、回転していたのだ。


「どういう事……?」


 なにこれ。なんでこんな事になってるの?


 何もかもが意味不明だ。ポカンと上の空になっていると、ふと背中に何かが張り付いている事に気づく。それを確かめるまもなく、背後から不機嫌そうな声が聞こえた。


「んあ……? おい、これどうなってんだ」

「え、時臣? 後ろにいるの?」

「ああ。つーことは俺ん後ろにいんのはプラか。なんかよく分かんねーけど、体が浮いてやがるぜ」


 首を背後へ向けると、やっぱり時臣がいた。ムゥと背中合わせでぴったりくっついて、ムゥと同じ方向にゆっくりと回り続けている。


 どうやらムゥと時臣は、空中の同じ一点で浮遊している状態にあるようだ。詳しい位置を把握するため、周囲を見渡してみると、床からおよそ8メートルほど浮いた位置だと分かった。


 そして、この訳のわからない状況を作り出している張本人——幼体のボイジャーまでの距離はというと、約17メートルほどだ。斜め下辺りで転がりながら、まださっきの啼泣ていきゅうの名残でぴーぴー言っている。


 ただ能力の誤作動を起こさない程度には落ちついたようだ。


 ある程度事態の整理がついてくると、自然とムゥの情緒も、平常に戻ってきた。


「くっそ、何がどうなってんだ。あの野郎の能力は、重力云々じゃ無かったんじゃねえのか?」

「いや、ムゥの考えでは、あのボイジャーの能力は重力操作で間違いない……と、思う」

「じゃああれか? こりゃ、無重力ってやつか?」

「ある意味それも正しいんだけど……厳密にはちょっと違う」


 ムゥは後方に引っ張られる力に逆らうように、腕を前に出す。そして指や関節の感覚を確かめるように、無作為に動かしてみた。


 手は……問題なく動く。足も、首も同様。ただ、時臣との間に磁石でも入り込んでいるみたいに、背中同士がピッタリとくっついて、離れようとしなければ離れる気配が無い。


「時臣、試したい事があるの。ちょっとお尻蹴っちゃうけど、許してね」

「あぁ?」


 ムゥは膝を曲げると、「ふんっ」と時臣を踏み台のように蹴った。お尻じゃなくて太もも辺りを蹴ってしまったのは許して欲しい。


 蹴った方向へ、ふわっと身体は浮かび上がるようにゆっくりと進む。しかし程なく、まるでゴムによる張力のように引き戻され、


「おうわっ! おいプラどういうつもりだ!?」

「やっぱり戻ってきちゃった」


 再び背中合わせで空中浮揚ふよう


 なるほど。今ので大体分かった。


「ムゥたちは今、あのボイジャーが定めた一点の重心に引っ張られている状態なんだよ」

「もっと分かりやすく言えよ」

「はいはい……。えっとその、つまり、今ムゥたちは球形の地球の、中心部にいるのと同じ状態ってこと。引力とか遠心力とか、細かいところは抜きにしてざっくり説明すると、地表にムゥたちが立っていられるのは、地球の中心部、つまり重心に体が引っ張られてるから。だから、地球上のどこにいても、宇宙空間に落ちる事は無い。あのボイジャーは、この体育館内にもう一つの重心を作り出したんだよ。今ムゥたちが留まっている”ここ”にね」

「要はどうしようが、絶対”ここ”に戻ってきちまうってことか」

「そういうこと」


 あのボイジャーの能力は、単に重力のベクトルを変えるだけだと思っていた。だけど厳密には、「指定した空間内の重心の位置を、自由に設定できる能力」だったんだ。


 時臣は舌打ちした。


「あの野郎こんなことも出来んのかよ。最強じゃねえか」

「まだ物心が芽生える前の臨界期で良かったよ。使われ方次第では戦いにもならなかったろうし……」

「今も十分戦いになってねえけどな」

「ほんとにね……」


 それはあなたが……と、言おうとして、やっぱりやめた。現状に関してだけ言えばムゥにも非はあるし、それに……。


「制限時間まであと7分……。悠長にしている暇も、口喧嘩してる時間も無い」

「なんか作戦あんのかよ」

「地に足着いてたら、色々とやりようはあったけど……浮き足立ってるし、あんまり良い案浮かばない……」


 視界の端を、時計がチラつく。刻限による焦りで、頭の回転が明らかに鈍っていた。考えろ考えろと自分を急かす度に、「考えろ」としか考えられなくなる。


 どうしたって、17メートルも先の相手に、一撃喰らわす術が思い浮かばない。


「良いこと思いついたぜ」

「んん……一応」

「プラが空を飛べば良いじゃねえか。スーパーマンみたいに。そんであいつをこっちに引っ張ってくりゃあ良いんだ。お前の力ならやれんだろ?」

「可能ではあるけど……」

「そんじゃあ早く行けよアンパンマン!」


 時臣はお尻突き出して、ムゥを空中へ押し出そうとする。


 ムゥをなんでも出来る意思の無いアンドロイドか何かだと思っているのか。悪いけど、それは大変に大きな間違いだ。


「そんなに揺らさないでよっ。それに、簡単じゃないの。いざ空を飛べます、はい飛んでくださいって言われて、上手く出来ると思う? 今まで使ったこともない神経無理やり繋げて、どこをどうすれば思ったとおり飛行出来るかなんて、ムゥには想像もつかないよ」

「あ? どういうことだよ。出来ねえってことか?」


 ほんっと物分かり悪いんだからっ。ムゥはぷいとそっぽを向いた。


「そうだよ。残念でした」


 時臣は「つまんねーの」と独り言のように呟いた。


 つまらなくて悪かったわね。


 ちなみに言うと、ムゥがムゥ自身に願いの効果を付与する場合、ベースの身体能力に左右される場合は多々ある。飛行というのはその筆頭。


 例えば世界記録を樹立するほどの俊足になりたいと願うとすると、ムゥの持つ筋肉や足の動きが、それに応えようとして無理に働き、ムゥの体は負荷に耐えられず破壊される。


 腕を後2本増やしたいと願った場合、生やすことは可能。だけど後付けされた神経をどうやって動かすかの感覚が分からないため、ただ脇の下から無意味に肉と骨の塊がぶら下がるだけになる。


 そんな通信交換を中断したカイリキーみたいにはなりたくない。


 ちなみに上記の例はムゥの過去の失敗からの引用。恥ずかしいから次のぎょうに向かう前に忘れて欲しい。


 ムゥは頭をブンブンと振る。できない事ばかり考えていても仕方がない。


 だけど、本当にどうしたら良いの……? このまま制限時間が来て、そのまま終わる……? ダメだ、そんなの。


 だけどまるで連続性のない歯車のように、いくら思考しても手応え無く空転するばかりだ……。


 はっ、そうだ。ムゥが幼体のボイジャーの元へワープ。こっちまで引っ張ってこられれば……。


 いやダメだ。ムゥたちとボイジャーの重力の向きは違う。そう簡単に引っ張っては来られない。それにもし上手く行っても、時臣の手の届く範囲に至る前に啼泣が始まって、また重力の向きを変えられる……!


 いやむしろ良いのでは? わざと刺激して、都合の良い方向に重力を戻してもらえれば……。


 いやリスキィだ。相手が無意識で能力を使っている以上、可能性で論じることは絶対にできない。下手に刺激して、今回みたいな思いがけない事態を招くことはもう許されない。それに相手は臨界期のボイジャー。能力が発達途上であることを考えると、経験値を与えることは避けるべきだ。


 あくまでも刺激せず、尚且つ一撃で……。


「出来る気がしない……」

「あぁあん? おいてめえ、まさか諦めたんじゃねえだろうな」


 時臣の指摘に、つい肩が震える。そこでムゥは自分が、諦めかけていたことに気づいた。


「あ、諦めてないよ……。ただ、ちょっと……弱気になっただけ」

「諦めてんのと一緒だろうがっ。てめえオレの分の命背負って勝手に諦めてんじゃねえよ」


 時臣はがなりながら、頭と足をバタバタさせる。


「ち、ちょっと揺らさないでっ。分かったちゃんと考える。最後まで頑張るからっ」


 うぅ……でも、もう正直自信無いよ。良い案が浮かばなくても、ムゥは責任負わないから! 多分!


「小難しく考えてんじゃねえよ」

「……へ?」

「あいつをぶっ飛ばすのはこのオレって決まってんだかんな。それは誰にも譲らねえ。その後にあのターバン野郎もぶっとばーす。そのためだったらどんなことだってしてやる。好きに使えよこのオレを。なあ、プラ」

「…………」


 それを言われて、ハッとした。


 そうだ。そうだった。ムゥは言った、”どんな手を使っても”、時臣を必ず勝たせるって。


——その誘い、乗るぜ! 誰の願いでもなんでも、全部引っくるめてオレがぶっ殺し     

  てやる! それにプラがいた方がオレぁ強くなれるしな。にっしし、上手く使っ

  てくれ。


 そうだよ。ムゥたちは万人が理想とする、小綺麗なバディなんかじゃない。友情も信頼も、手段も志も、全ては血に染まっている。


 お姫様と騎士じゃない。時臣はムゥの、『護身用の弾丸』なんだ。暴発するのも織り込み済み。その上で、ムゥは目的を、夢を、この銃身で守り抜くんだ。


 なんだ。なにも回りくどいことなんか、しなくて良かったじゃない。


 ムゥは一つ、甘えを捨てる意味で、息を吐く。


「時臣聞いて。時間的にも、あなたの星の数で言っても、これがラストチャンス」

「とっとと言えよ。なんでもやってやるぜ」

「ふふっ。了解。時臣はあのボイジャーに向かって、ムゥの両足を支えに踏み込んで、真っ直ぐ飛ぶ。だけどそれだけじゃ絶対に届かない。そこでムゥが時臣を、あのボイジャーに向かって銃弾のように撃ち出す。いくら重力がかかっていようとも、一瞬の爆発的な推進力さえ与えられれば……」

「あの野郎をぶっ殺せるってわけだなぁ?」

「そういうことっ」


 早速、ムゥは身体を翻して、時臣と同じ方を向く。ツンツンした髪が顔に当たってこそばゆい。


 絶妙なバランス感覚で、幼体のボイジャーの方向に体の正面を固定。後ろ手に手を伸ばす時臣と腕を組みつつ、お互いの足裏を重ね合わせて、スターティングポジションは完成だ。


「せーので時臣のこと蹴っ飛ばすから、それと同時に時臣も前に踏み込んで。そこでムゥがあなたを射出する。相手とぶつかる一瞬のタイミングで拳を当てることが、あいつを一撃で葬る唯一の機会。大分時臣頼りになっちゃう作戦だけど……」

「はぁ? 随分と余裕だな。自分は失敗しねえつもりかよ」時臣は楽しそうに言った。

「え……。ふふっ、そうだね」


 ムゥも応酬する。


 時臣は首にかけていたゴーグルを、目にあてがうように付けなおした。


「時臣、絶対に決めてよ」

「てめえこそ、絶対に外すんじゃねえぞ」


 込められただんがんはたったの一発。失敗の可能性なんか、端から作戦の勘定には入ってない。


「せーーーーの———」


 その合図に合わせ、ムゥは時臣を、時臣はムゥを蹴り飛ばし、ムゥは後方へ、時臣は前方へ、それぞれ押しやられる。


 その拍子に、ムゥは少し平衡感覚を失いそうになったけれど、なんとか気持ちで持ち直し、目標を見据える。


 時臣方へ、さらには幼体のボイジャーの方向に向かって、手銃——人差し指と中指を伸ばし、その2本より親指を直角に伸ばした形——を向けた。


 親指をスコープに見立て、ちょうど、ボイジャーと重なるその、一瞬のタイミング……。


 今だ————ムゥは叫んだ。


「射出っ!!」


 ボッフゥッ!!


 その瞬間、空気が火薬によって破裂するような、切り裂く、けたたましい音が反響した。


 押し返されるほどの風圧が全身を叩く。ムゥは瞬きせず、時臣の弾道を見届けた。


 ものの数秒……。いや、1秒もなかった。勝負は文字通り、一瞬にして片がついたのだ。


 床が抉れた跡の、その先で、


「あ……あぎ、あんばぁ……」


 幼体のボイジャーは、胸部から頭までの半身を削り取られていた。力ない呻き声はやがて完全に途絶え、ほどなく紫色の気体となって霧散した。


 そして時臣は、


「べー、きんもちわりぃ。よだれ付いちまった……」


 一瞬の錯綜から、アッパーカットでボイジャーに致命傷を与えつつ、あの速度と衝撃から自力で生還を果たしていた。


 着地と同時に片足で踏ん張りを利かせ速度を落とし、絶妙な体重移動で衝撃を地面に逃したのだ。


 言葉にするのは簡単だ。だけどそれを、ぶっつけでやってのけてしまうのだから、時臣はすごいんだ。


「や、やったぁああ、ああ、あ、あれ、あれれ!? うわ!」


 喜声も束の間、ムゥは突如浮遊感に襲われたかと思うと、体育館の床に落下した。なにかと思ったけど、ボイジャーが消えたことで重力が正常に戻ったんだ。


 痛くないけどびっくりはするよ……。


 ムゥは安堵のため息を漏らす。20分足らずの間だったけど、重力がこれほどまでに恋しくなるとは。この安心感を取り戻せたというだけでも、この戦闘で得た報酬は大きい。


「時臣! 怪我とかしてない?」


 駆け寄ると、「おうっ!」と力強い返事が返ってきた。


「どーだプラ! やってやったぜ! あっはははは!」

「スゴいよ偉いよ〜! やったじゃん!」


 頭の上でハイタッチ。


 紆余曲折はあったけれど、終わりよければ万事良いのだ。


「へっへへ、でもありゃあ、オレじゃなきゃ死んでたぜ。星使っちまったら生き返れねえのに無茶しやがんな。んま、オレぁ優しいから許してやっけどな」

「ああそれは、時臣がちゃんと一撃で倒してくれると信じてたから」

「あ?」


 時臣が疑問符を浮かべながら首を傾げる——その直後、ムゥの中にある予感が走る。そう、星の開花の予感だ。


 ムゥはヒラっとその場で一回転して、時臣に向かって星の園を広げて見せる。


「じゃーん、ほら、時臣の分の星。時臣が倒してくれたら、どうせムゥは感謝しちゃうんだろうなーっていう自己分析だよ」フンスッ〜。


 得意げにそう説明してみせる。だけど時臣は口をへの字に結んだまま、


「いやどれだよ!」


 そう語気を荒げて叫んだ。


「えー! なんで分かんないのここだよ。自分の星でしょ?」

「分かるかよ! 前にもあっただろその星!」

「いや無いよ〜!」


 そうこう、いつまでも不毛な言い争いを続けていると、体育館の入口の方向から痺れを切らしたような声が飛んできた。


「おーいパスファインダー、クソガキ〜。痴話喧嘩なら後にしてくんなーい」

「ち、痴話……っ!?」

「クソターバン野郎……」


 青年は横開きのドアの片側に寄りかかりながら、どうやらムゥたちのやりとりの一部始終を盗み見ていたようだ。


 しかし痴話喧嘩とは心外極まる発言だ。殊更に揶揄うつもりで言っているのだろうとは想像がつくから、敢えて反論してやることもしないのだけど。


 時臣と顔を見合わせて、うんざりした気分で青年の元へ向かった。



       ◯



「やーやー、おめでとうおつかれご苦労さん。残り2分。すっごくギリギリだったけど、まあ合格は合格。これでとりあえずの潔白は認められるだろうさ」


 バンダナの青年は、わざとらしく手のひらを打ちながら、形式的にムゥたちを賞誉しょうよする。


 だけどこの人に愛想の良い事を言われても、あまり真に受ける気がしない……。


「どうも」

「死ね。間違った、殺す」

「うわ冷た〜。オレ嫌われる事なんもしてないのに。矢面に立たされるのは、いつも現場の人間なんだ。やんなっちゃうよねぇ〜、あっははは!」


 空虚な哄笑の後、青年はつま先を翻し、外へ続く出入り口の方へ歩いて行く。その最中にも、「俺なら40秒で片付いた案件だったけどね〜」と、ヘラヘラと与太話を続けている。


 今すぐ彼とは反対方向へ走って行きたい。けれど、出口は正面の1つだけだ。それに頑張ってボイジャーを倒した意味もなくなってしまうので、仕方なくその背中を追うようにムゥたちも歩き始めた。


 建物を出ると、少し西へ傾いた太陽がお出迎え。


 敷地に敷き詰められた砂利を踏み締めたその時だった。ムゥの隣の歩いていた時臣が、突如前方に走り出した。驚いて、ムゥは「え」と声を漏らしてしまう。


「おうらぁ!」


 助走をつけて斜め上に飛びあがり、突き出した右拳が向かうのは青年の後頭部だ。しかし青年は後ろに目でも付いているのか、時臣の奇襲を最小限の動作で躱すと、


「ふっ」振り向く腰の回転を予備動作に、掌底撃ちを放った。


「んぐぅ!」時臣は間一髪、腰をのけ反って躱す。


 すぐさま間合いをとって、次の一手のための構えを作る。


 どっちの動きも、まるで倍速にしたかのようだった。ものの数秒で何が行われたか、集中していないと意織すら置いていかれる。


 青年は肩をすくめると、殊更に嘲るような口ぶりで言った。


「どうしたの。お兄ちゃんに構って貰いたくなった?」


 時臣は「ぺっ」と唾を吐く。


「言ったろ。あのボイジャー片付けたら、次はてめえを殺すってな。オレんこと雑に扱った事、うやむやにしてんじゃーよインド人」


 青年は嘲笑を崩さない。


「わーこわーい。ぜんぜん、かてるきがしないよー。うわーん。……はは、ごめん、もっと分かりやすい演技した方が良かったかな?」

「てめーんのホームビデオの再現か? わりぃな、ママのおまんま食わせてやる時間はねえぜ! 遺書の準備はできてんだろうなぁーっ!!」


 時臣は青年を圧するように、また、己を鼓舞するように威勢を張ると、再度先制攻撃を仕掛けた。姿勢を低く疾走し、一気に間合いを詰める。


「芸が無いなぁ」


 青年の呟く通り、確かに真っ向勝負は一辺倒だ。ましてや時臣には、リーチのディスアドバンテージがある。少なくともこのままじゃ、以前の二の舞は目に見えている。


「でぃりゃあ!」斜め上空へ飛び上がる。


 まさか本当に、さっきと同じ!? 


 そう思った。ところが違った。青年に向かって真っ直ぐ飛び込むのでは無い。跳躍の角度は、さらに上。


 青年の頭頂部を片手で押して、跳び箱の要領でを飛び越える。上空から背後に回った。


「虚をついた……!」


 油断から反応が遅れた青年が、振り返る動作を始めた時にはすでに、時臣は方向を切り返して向かってきている。


 単純な瞬発力も見事だけど、身軽さを最大限活かした戦い方には、青年も反応できていないようだ。


 青年までの距離は、すでに数メートルも無い。そのまま攻撃に転じるのかと思ったがしかし、時臣は青年の股下をスライディングで通過した。二重のフェイントだ。


 砂利の上で痛いだろうに、そんなの瑣末事であるかのように、時臣の眼に宿る殺意には一切の揺るぎが無かった。


 無駄のない流れるような動きで、低い姿勢から青年を見上げる。


 曲げた膝と足首をバネにして、真っ直ぐ青年の目線の高さまで飛び上がると、力一杯握りしめた硬い拳を————前へ。


「うっらぁあ!」


 パァアンッ!


 青年が咄嗟に首だけを振り向かせたところに、眉間への右フック。文句なしのクリンヒット。皮膚同士がぶつかり合う快音が響いた。


 時臣の攻撃には一切の容赦はない。ボイジャーに向ける拳と全く同じ、確実に相手を葬るための一撃だ。


「…………」


 なのに。


「ははっ」

「あっ!?」


 なんで吹っ飛びもしないどころか、立っていた位置から1mmも動いてないの!


 しまいには、まるで本当に甥っ子でも相手にしているかのようにせせら笑っている。


 吹く風の向きも質も、一瞬にして変わった気がした。


「んあっ!?」


 青年は伸ばされた右腕を乱暴に掴んだ。その腕を右へ左へ容赦なく振るたび、時臣の身体は軽々と振り子のように揺さぶられる。


 たとえ子供といえど、ひと一人だ。そんな、おもちゃでも扱っているみたいに……っ。


 それから青年は、掴んだ腕を頭上に持ち上げると、さながら野球のピッチャーの投球モーションのように、振りかぶった腕を力いっぱい——真下へ。


「ふんっ!」


 ダァアアァーーーーーーーンッッ!!!!


 手加減無しに、時臣を地面に叩きつけた。


 「あがぁっがっ!!」 時臣の口から多量の唾液が吐き出される。


 舞い散る砂利と砂埃。衝撃により発生した轟音は、とても人が鳴らしていいレベルじゃない。


「時臣!」


 青年が下ろした腕を上げる。時臣はまるでシメた魚のように、力無くぐったりとぶら下がっている。


 青年は奇妙なほど明るい声色で言った。


「あっはは、君すごいすごい! よく俺のこと出し抜けたね、偉いぞ〜! 優秀! 賞状を贈呈しよーっ! でも惜しかったぁ、お兄さんはちょっとだけ硬いんだぁ」


 最前の行いからの、屈託のない猫撫で声。ピクッと、一瞬筋肉が無意識に痙攣するほどに、ムゥの目にはその姿が、とても不気味に映った。


「あ、あぎっ、て、てめぇ……く、くそ……」

「ん〜? なに? 何て言ったの? ま、いっか! それよりも、お兄さんが君のために一つお手本を見せてあげるよ。え、なんのかって? もちろん半殺しのだよ!」

「……っ! 待ってやめて!」


 時臣が売った喧嘩に、ムゥが口出しすべきじゃないと思ってた。だけど、とてもじゃないけど見ていられない。ムゥは堪らず制止の声を上げる。 しかし青年は歯牙にもかけなかった。


 空いている左手を顔の横まで持ってくると、そこで右手の力みを解き、空中に時臣を解き放った。狙いを定めるその眼光は、猛獣というより鬼を思わせた。次の瞬間、高速で腰を回転させ、長い左腕を時臣のみぞおちに叩き込んだ。


「が——」


 痰が絡んだような短い声。


 Uの字に折り曲がる身体。


 パンチに吹っ飛ばされた肉体は、瞬く間にムゥの真横を通り過ぎて行き——鉄が変形する鈍い音、ガラスや金属が割れる鋭い音、硬いものがぶつかり合う爆音と、それらを一緒くたに混ぜ込んだような異音を背後に感じ取り——即座に振り向いた時にはすでに、縦に潰れたペットボトルのように変形した軽自動車の窪みの中で、ぐったりと項垂れる時臣がいた。


 車に付着した血を擦ったような跡。よく見ると頭や口からどくどくと流血しており、腕や足には細かい傷が増えている。


 まずい、治療しなくちゃ……! 幸い星は、さっき一つ手に入れた。


 ムゥが駆け寄ろうと足を前に出したところで、青年がムゥの前を歩いていく。


「ちょっと待って! もう戦える状態じゃないのは見て分かるでしょ! もうやめて! これ以上は許さない!」


 正直少しムゥも怖い気持ちあったけど、必死にそう呼びかけた。ところがまたしても、ムゥの言葉なんか取り合わないといった様子だ。


 口惜しい気持ちに駆られたムゥは、意を決して前へ出る。


「いい加減にして!」


 青年の上着を両手で掴み、渾身の力で引っ張った。だけどムゥの膂力なんてたかが知れている。青年が軽く腕を振っただけで、


「きゃっ!」容易く振り払われてしまった。


 項垂れたままの時臣の頭を、青年は足を使って上を向かせた。ピクピクした瞼の中では、まだ生気を宿した瞳が青年を見上げていた。


 けれども、かつては無尽蔵で、不死身に思われた負けん気も、活気も、勇気も、狂気も、自信も、何もかもが息をしていなかった。


「なんで生きてんのに、死んだふりなんかしてんの? まあそりゃ戦意も喪失するよね。全能感ってやつ? それを真っ向から叩き伏せられたらさーあ」

「っ………………」

「もしかして、たかが臨界期のボイジャー2体倒したくらいで良い気になっちゃった? 気持ちよくなっちゃった? 甘いねぇ、初恋より甘いねぇ」


 足の裏で時臣の額を踏みつけながら、弄ぶように縦に揺らす。


「てか、勘違いしてるみたいだから言うけど、最初の大通りのボイジャー、アレに君は勝ってないじゃん。ダメだなぁ過大評価は。君は勝ったんじゃねえの。4回負けて、生き延びたんだよ。残念でした、賞状はあげられないね。それになに、今日の戦い。なんでパスファインダーがいてさ……18分も掛かってんのさっ!!」

「んぐっ!」


 額に当てていた足で、そのまま地面に押し付けるように踏みつけた。


「君が足引っ張ったからだよねぇ!! 足手纏いだったからだよね!! 君が肥大化した自尊心とお門違いな全能感引っ提げて、下手に動いた結果がピンチを招いた! あの程度のボイジャー、どう間違えようが5分で片は付いていたハズだよ。そろそろさ、お遊戯会も卒業しようよ。パスファインダーは君が漏らしたくそを片付ける幼稚園の先生じゃないんだよ!」


 ガンガンと容赦なく、時臣の額を踏み続ける。


 その行動がパタリと止まったかと思うと、腰を落とし、地面にへばりつく時臣の髪を徐に引っ張り上げた。


「どうする? これは進路相談だよ。自殺するか、俺に殺されるか。君って生きてても仕方が無いし、死んだ方が世のため人のためだなって、お兄さんは思いますっ。ママに相談するのはダメだよ? 大事な決めごとは自分一人でしなくちゃ、立派な大人にはなれないんだ。3秒で決めてね。はいさーん、にー、いーち——」

「ふんっ!」


 パァーンッ!

 

 ムゥは青年のこめかみに向かって、SSKの金属バッドを振り抜いた。フラッと青年はよろけると、そのまま背を向けて立ち上がった。


「時臣が足手纏いだなんて……役に立ってないだなんて、ムゥ以外の誰にも言わせない! それはムゥが決めること。生かすも殺すも、あなたが勝手に決めないで!」


 青年は肩越しに、冷たい目線でムゥを見下ろしている。対抗するようにムゥも、なけなしの勇気を瞳に込める。ついでにバッドも、上向きで構える。


 すると「フッ」と、青年は静かに微笑んだ。


「んま、パスファインダー様がそう仰られるのなら」


 そう言って、後ずさるように時臣の側から離れる。すかさずムゥは駆け寄った。


「時臣大丈夫? 今治すから」


 星の力で、全身の傷、および体力を回復させる。その間も、青年は何をするでもなく、ただムゥ達を遠巻きで眺めていた。


「うぅ、んん……。別に星、使わなくてよかったのによ……」

「馬鹿なこと言わないで」


 治療が終わったと見るや否や、青年はゆっくりと近寄ってきた。


「終わった?」

「だったら?」


 青年は「ふん」と、空を見ながら鼻を鳴らした。憤られる筋合いは無いのに、と言いたげな反応だ。


「だったら、車に戻ろうって話。15時に待ち合わせがある」


 スマホの画面を見下ろしながらそう言った。


「ムゥ達に関係あることなの?」

「だから急かしてるんでしょ。失った時間の分急がなきゃ」


 それはあなたのせい……と、反論の言葉が出かかったのをすんでで飲み込む。


 元はと言えば時臣が売った喧嘩。同じたねで言い返されるに決まっている。


 だけど、同行者をここまで痛めつけておいて、澄まし顔で事務的な話が出来るだなんて、ふてぶてしいなんて物じゃない。ムゥは強気に言った。


「どこに行くの。事前に言って」

「用心深いなぁ。もうドッキリしたりしないって」


 そんな事言ったって、あなたの車に乗るのがもう怖いんだよ。


「まぁなんて言うんだろ。ボイジャーの研究をしている場所。もとい、アンタ達のこれからの活動拠点になる場所」

「活動……拠点?」


 なんの?


 まあ実際見てみるまでは、端的な質問も浮かばないから、付いて行くしか無いわけだけど。



        ◯



 法定速度をギリギリ超過しながら、車を走らせること約10分。


 やがて停止したのは水追市のビジネス街側。雑居ビル群が目立つ一峰町いちほうまち二峰町にほうまちを通り過ぎた先の、公共施設が密集している三峰町みつみねまち界隈の一角だった。


 路肩に停めた車から歩道側に降り、広めに取られた歩道を横断すると、そこで青年が足を止める。


「着いた。ちょっと時間オーバーしちゃてるけど、まあそんくらいで怒る杓子定規な奴でもないし大丈夫でしょ」


 ムゥは見たままを形容する。


「…………大学?」


 広い敷地を茶色い煉瓦の壁が囲っている。ムゥ達が立つ壁の間隙かんげきには立派な鉄扉てっぴが設けられていて、昼間だからか開け放されていて、フリーダムな行き来が可能となっている。


 入口付近には緑色の表札で、『水追大学みずおいだいがく』と大きく掲げられていた。


「ここに何があるの?」

「さっき言ったでしょ、君らの活動拠点」


 それは覚えてる。だけどまさか大学に連れてこられるだなんて思わなかったから。


 ムゥはともかく、時臣は小学生。まさか飛び級でキャンパスライフに勤しめと、そういうことだろうか。日本に飛び級の制度があるのかは知らないけれど。


「入ろうか」青年が先立ち門を潜っていく。


 ムゥは「行こ」と時臣に声をかけ、彼が歩き始めるのを待ってから足を動かした。


 車にいる時から時臣は、まるで終わりかけの電池のように元気も覇気も無い。漠然とうつむきながら、ただ周囲の変化に身を任せているといった、そんな様子が続いていた。


 よろよろと、へべれけのような覚束ない足取り。ぐんぐん進んでいく青年に置いていかれそうなので、手を取って大学生の往来の中を引っ張っていった。


 大学構内はぱっと見、緑と自然が多い印象だ。


 敷地内を巡る舗装された道の脇には、背が高かったり低かったりな樹木が多く植樹されている。


 幅の広い道から枝分かれするように伸びる小径こみちの奥には、さらに深い森林のような場所があって、『クスノキ』や『杏の木』、『スギ』といったポピュラーな物から、『ヒメシャラ』、『メタセコイア』、『サワグルミ』のような、あまり聞かない種類の木々も見ることが出来た。


 構内マップによると、一角には『竹』も生えているそう。気になるけれど、今は我慢だ。


 しばらくして、『理工学部4号棟』という2階建ての建物に入る。ロビーは結構広かった。横に長い施設で、入構してすぐ、左右には長い廊下が続いていた。


 玄関口の正面にある階段を上がり、2階へ。廊下を進んだ先で、ようやく青年の足が止まった。


 『形而上学科けいじじょうがっか 三峰キャンパス研究室 304号室』の扉は、木造の両開きの扉だった。青年はノックもせずに扉を開け、室内へズカズカと入室していく。なんとなく、慣れない部屋に入るのは気後れしてしまう。


「失礼しまーす……」と一言、誰にとなく言ってから、足を踏み入れる。カーテンが締め切られていて、日差しの入り込まない室内は薄暗かった。


 なんというか……雑多。いの一番に抱いた印象はそんな感じだった。


 部屋自体はそこまで狭くない。20畳はあるだろうか。壁際の書棚にはまばらに本やファイルブックが収められているけれど、その2倍ほどの量が床のあちこちに積まれている。


 特に散らかっているのは、窓際にあるデスクの周囲。


 机上には整理されていない裸の書類が無秩序に折り重なっていて、ブックスタンドにはむしろ何も立てかけられていない。元々無いに等しい机上の余白を圧迫するように、手のひらサイズの天体模型や光る月の水晶玉みたいなのが置かれている。唯一のスペースとなる中央には、電源が入ったままになっているノートパソコンがあって、いよいよていの良い物置と言われても誰しもが納得する。


 座る箇所のスポンジが行方不明となっているチェアの周囲には、飲料の空容器が散乱している。お茶に栄養ドリンクにエナジードリンクに微糖のコーヒー。それら以外の種類はあまり無いけれど、なんでこんなんばっかり飲むんだろう。健康的とはあまり言えないけれど……。ムゥには分かりかねる好みの傾向だ。


 青年はカーテンを乱暴に開け切ると、部屋の中央にあるL字のソファを見ながら口を開いた。


「ヤタガセー。起っきろー。おーい」


 ソファの台をガンガン蹴りながら呼びかける。こちらからは背もたれで死角になっていて見えないけれど、ヤタガセという人物がいるらしい。


 まもなく、うわ事のような声が聞こえてきた。


「ん、んぎぃ……んん。愛しのジェレミー、みんながワシの研究を馬鹿にするんだ……。宗教的だの心霊主義だの……この間2回生の頃のクラスメイトに枯れ尾花研究会と揶揄された。教授もレポートを自作の小説呼ばわりさ……参っちゃうよ」


 まるで疲労困憊といった様子だった。


「俺はジェレミーでも無ければ、お前に愛おしむ相手なんかいないだろ。いい加減起きないと職務怠慢って本部に連絡することになるけど?」

「んん……………………………」


 長い沈黙の後、ようやく貧血気味だった声に血が通った。


「……なんだ君か……シリウス。何度も言ってるだろ、ここはお前の休憩所じゃない」

「今日は違うよ。ていうか、その呼び名やめてくれよ、小っ恥ずかしい。なんで寝てんの。15時に行くって連絡があったはずだけど? ファックスもしたし」

「あぁ……? そんな知らせ、ワシは受けとらんぞ」

「してるって。どうせ昨晩からスマホ一回も確認してないんだろ。そろそろお叱りメールが来るぜ」

「明け方まで課題に追われていたのだよ。大学の授業なんぞに今更関心など無いが、それなりにはやらんといかん」

「それなら大学辞めれば良いのに。どうせボイジャーに関わってる以上、普通の人生は送れない」

「家族に面目が立たんのだ。浮浪人同然の君には、理解できんだろう義理の話だがな」

「できないね。要はしがらみでしょ」

「古今由緒のえにしという奴だ」


 ヤタガセと呼ばれた人物はうつ伏せの状態から、「よいせっ」と勢いをつけて起き上がった。


 現れた人物は、異様に背が高い、痩せた青年だった。ボーダーのTシャツの上に、汚れた白衣を羽織っている。髪型は天然のパーマと思われ、あちこちがくるくるとハネ散らかっている。


 いかにもものぐさそうな腑抜けた目で、周囲を見渡し、手に取ったのは丸メガネだ。レンズが大きく、フレームは細い。それを掛けるといよいよマッドサイエンティストの風情が漂う。


 ジトッとした瞼の中で、ギロッとまなこを転がして、入口付近に立つムゥ達を横目で見た。


「うっ…………」


 ちょっと緊張。姿を見られるのはこの人で4人目だけど、まだちょっと慣れない。


 するとヤタガセは、わざとらしくため息した。


「用ってのは、子供のお守りか。確かにあまり成果をあげられていないのは認めるが、本部はワシを暇人だとでも思っているのか」


 いやお守りって……。


 全力で否定したいところだったけど、そこのところの釈明は青年がしてくれた。


「まあそう言わないでよ。ベビーシッター代は支給されるってさ」

「さっきより表現が幼くなってんですけど!」


 全然釈明してくれなかったし!


「あのねぇ、ムゥはアナタ達より年上だし、時臣は……んまあ子供だけど、お世話が必要な程幼くないんですけどっ」

「あはは、ごめんごめん。さっきのはアメリカンジョーク」


 ここまで謝罪に謝意を無くせるのも才能だ。


「ヤタガセ、空きのある研究員の派遣を要請してたでしょ。彼女らが今日から、この支部に所属する新人研究員たち」

「なんだ、それを早く言いたまえ。しかし子供は子供ではないか、新人研修ならもっと大所帯の支部に回すべきなのではないか。こんな人も足りてない、いつ崩壊するかも分からない支部ではなく」

「新人って言ってもちょっとアブノーマルなコンビだよ。ヤタガセならきっと気にいるし、なにより絶対に必要になる」

「なんかきな臭いなぁ」


 若干怪訝そうな表情になるヤタガセ。しかしもう一度ため息すると、


「まあ人も足りてないし、わざわざ寄越すってことはそれなりの理由があってのことだろう」


 そう言ってソファから立ち上がり、猫背の姿勢でムゥ達の元に歩み寄ってきた。


 立ち姿をそばで見ると、まるで巨人だ。ニョっと伸びた長い腕を、こちらに伸ばしてくる。


「どうも。ワシは八田ヶ瀬やたがせ百々瀬ももせ。形而上学科の学生。および、Voyager対策機構第4支部 三峰キャンパス研究室、Orbital ・period(オービタル・ピリオド)の実質的な部長をしている」

「んえ、あ、ああ……ど、どうも……」


 恐る恐る、白い手袋をした手を握る。大きな手の平に、すっぽり包み込まれるた。


「お、おーびたる……ぴりおど? 公転周期?」

「意味的にはね。よく知ってる。まあ好きなバンドのアルバム名から取ってきただけなのだけど。にしても君、なかなか変な格好をしているね。遊泳後の小学児童か」

「いや……その、これはただの大人用のポンチョで、巻き巻きタオルじゃない……」


 しかし、そう言われると主観的にもそうとしか思えなくなる。今まで気にして無かったのに。ちょっと恥ずかしくなってきたかも。


「まあ……前衛的なファッションなのだろう、くちばしを入れるマネはせんよ。ところで、その髪の色は地毛か? それにそのインナーカラーはどうなっている。光を反射しないベンタブラックの下地に無数の星々のような点描……。是非美容院を紹介して頂きたい。満天下にいて、この病的な肌の白さはなんだ。目の色も、この奥行きはカラコンではあるまい……」

「あ、あえ、あ、ああ、あの、ち、ちちょ……」


 ジロジロと見つめられる事にムゥが戸惑っていると、「おっと」とヤタガセは握った手を離し、きまりが悪そうに後頭部を掻いた。


「ごほん、すまなかった……。子供と言えど女性に対して、失礼な言動をとってしまった」

「え、あ、えっと……」


 彼の潔さに、ムゥはむしろ少し困惑してしまった。


 今までの初対面の相手は、ムゥの体を無遠慮に観察してきたり、動きを封じてきたり、拘束した挙句に怒鳴り散らかしたりで、まるでムゥの意思など度外視だった。


 だけどこの人は、ムゥのことを初めて意思ある存在として接してくれた。


 すごく紳士的な人だぁ……! と、感動で涙が出そうになった。出なかったけど。


 ムゥの中で、この人の好感度が爆上がりした。


「君も、よろしく」


 ヤタガセは時臣にも握手を求めた。だけど依然、時臣は俯いたまま動こうとしない。


「うぬ、人見知りなのか……?」

「ああえっと、この子はその、色々あって今は……」

「ふむそうか……。子供の気分は変わりやすいからな。なら挨拶は、日を改めるとしよう」


 時臣の場合、日を改めたとしてもどうなることやら。


「そうだ、名前だけでも聞いとかんと」

「ていうか、2人についての情報はファックスした資料に書いてあるから、まず目を通しなよ」


 青年は部屋の隅に置いてある固定電話から、紙ペラを2枚ヤタガセに手渡した。彼が上から目を通していくのに合わせ、青年が情報を読み上げていく。


毒蝮時臣どくまむしときしん11歳。出生地不明。学歴も不明。生後1ヶ月の臨界期のボイジャー一体を討伐実績あり」

「……っ。毒蝮って……」


 ヤタガセは表情を僅かに引き攣らせる。まあ、ムゥも変な苗字だとは思うけどね……。


「まあいい……」

「ああ一応、その討伐実績に一体追加しておくよ」

「ん、ここに来るまでにイレギュラーでもあったのか?」

「昨日飛来したボイジャーを2人に対応してもらったんだよ」

「だから15時予定が少し遅れたわけか。察するに、貴君が二人の送迎のついでに任された職務を、二人に投げたわけか」

「そういうこと」

「……ぬぅえ! ち、ちょっと待って!?」


 何気ない会話に混じっていたから、つい聞き逃しそうになった。


「あ、あのボイジャーを倒すのは、ムゥたちの罪を精算するためとか、そういう理由じゃ無かった?」


 だからムゥたちは甘んじて受け入れたし、九死に一生を得る思いで討伐を成し遂げたんだ。


 青年は白々しく言った。


「あっはは、即興の建前にしてはリアリティあったでしょ」

「え、つ、つまり……ムゥたちは……そもそも騙されてたってこと!?」

「だってあんな雑魚にこの俺を当てるなんて、役不足も良いとこでしょ。張り合いの無い仕事したってダルいだけだし」

「んな、な、ななな、んな!」


 怒りが、納得できない気持ちが、沸々と胃の奥で煮え立っていく。


「む、ムゥたちがど、どんな思いで戦ったと思ってるのよーっ! なにも、騙すことなかったでしょうが!?」

「え〜、だって俺が面倒くさいから代わりに戦ってって言って、アンタたち納得したの〜? 俺のことが大嫌いらしいアンタたちがさ」

「んっ……か、簡単に納得は、しなかったでしょうね……」

「でしょ? それに俺が戦うよりも、新人に簡単な仕事を任せて実務経験にする。賢い選択だと思うけど?」

「物は言いよう。どうせ後付けの理由なくせに……!」

「おいおい君たち、人の研究所に押し入って、外部の争いごとを持ち込まんでくれ」


 ムゥと青年の間にヤタガセが割って入る。


 今はヤタガセに免じて、この感情の起伏を収めてやる。だけど次その顔を見た時が、青年の最期だ。


「はぁ……シリウス。貴君は生来、身の回りを敵だらけにする性分らしい」

「あははっ、なんでだろ。散歩中の犬にも、よく吠えられるんだ」

「まあいい……。

 ところで彼の経歴だが、異様に穴だらけだな。機構にはワケありも一定数いるが、ここまでだともはやUMAの類だぞ」

「まあまだ砂利ガキだし、出生届けの出されてない捨て子って線もあるでしょ」

「まあ、有り得なくは無いが……。実質保護者になるワシの苦労や心労も考えてほしいものだ……。討伐実績が記載されているということは、研究者というよりは、調査員、戦闘員の枠か。それで、こっちの少女の方は…………」


 ペラの紙を2枚目に入れ替えて、同じように上から目を通していく。


 ところが、時臣の時とは違い様子がおかしい。表情が、段々と青ざめていく。書類を握る手には力がこもるのと同時に、額には冷や汗が滲む。


 プルプルと震える唇をゆっくりと動かしながら、


「おいちょっと待て……。これを我が研究室で受け持てと?」


 鬼気迫る声色でそう言った。


僥倖ぎょうこうだろ?」

「ふざけるな。ワシは研究員を寄越せと言ったんだ。研究対象ボイジャーを寄越せだなんて言っていない。それに……そんな、そんな馬鹿な、あり得ない」


 ヤタガセついに声を張り上げた。


「『極超巨星ハイパージャイアント』なんて等級、アーバンレジェンドでしか聞かないぞ!」

「だから言ったでしょ。ヤタガセにとって、絶対に必要になるって」

「もっと良い環境で、より精密に、確かな技術を持った者が扱うべきだ。ワシには荷が重いぞ」

「ハイパージャイアントって?」

「うわぁ!」


 聞き慣れない言葉だったから、誰にとなく質問してみた。するとムゥが発声した側から、まるで横転でもしかね無いほど大袈裟にヤタガセが驚いた。


「喋った!!??」

「さっきも喋ってたよね!?」

「意思疎通が可能なのか!?」

「さっきの会話はなんだったの……」


 何この反応……。サルにでも話してるみたい。


 ……じゃあなに、さっきのは、ただの少女だと思って接してたから、あんなに紳士的だったってこと? 相手がボイジャーだと知れば、対応は変わるの?


 なんか最初から失礼こかれるよりよっぽど不愉快なんですけど。


 ムゥの中でコイツの好感度が著しく低下した。


「アーカイブNo.0。1万4000年の歴史を持つ最古のボイジャーをこの支部に預けるのは、ヤタガセに生態調査を依頼したい訳じゃない。このボイジャーは、飽くまで研究員だよ」

「研究員……。確かに、他のボイジャーと比べて、気性も知性も、人間と大差無いよう思えるが……」

「別にボイジャーを役員として据えるのは彼女が初めてじゃない。本部にもボイジャーはいるしね。ヤタガセには彼女、およびそこのクソガキと協力して、組織が結成される以前の、ボイジャーの歴史についての解明を依頼したい。早急に成果を上げなければいけないこの研究室にとって、地に足つくような話だと思うけど」

「ボイジャーの……歴史。1万4000年の、叡智を以て。……クックック」


 青年の話に焚き付けられたように、ヤタガセは口角を上げた。手に持った書類を片手で握り締めると、「よかろう!」と声を励ました。


「このワシが、今まで誰しもが明かすことの叶わなかった、ボイジャーの出自を詳らかにしてみせようでは無いか! 今に見ていろ、ワシの研究を小馬鹿にした者たちよ。貴様たちが枯れ尾花になる日もそう遠くはあるまい」


 なんかムゥたちの預かり知らないところで、ムゥたちを中心とした何かに、約一名やる気になってしまった……。


 ていうか大学では大学の研究しようよ。ボイジャーの研究に現を抜かしてるから馬鹿にされるのでは……? 同回生の人たちには多分ボイジャーは見えてない訳だし。


「貴君たち! ワシの成果のため、ひいてはおのの解明のため、ぜひ協力してくれたまえ!」

「話はまとまったみたいで何よりだよ。それじゃあ邪魔者はここらでお暇しようかな」

「んえっ、ち、ちょっと待ってよ」


 ムゥが青年を呼び止めると、「ん〜?」と気取った笑顔で振り向いた。


「どうした、寂しいの? お兄さんがもう少し遊んであげようか?」

「そういうの良いから。そうじゃなくて、なんの説明もないじゃんってこと。ムゥ達が研究員って、どういうこと」

「なに、シリウス、概要は君から話したのでは無いか」

「だからその呼び方やめろっての。ていうか、そこどうでもよくなーい? もうここまで来ちゃって、ヤタガセにも顔見せしたし、そのまま流れでいっちゃってよ」

「そういうわけにはいかないから! そもそもその……なんだっけ、Voyager対策委員会? みたいなのに、入るだなんて言って無いし!」

「Voyager対策機構ね。えーでも、ボイジャーに関わる人間は秘密保持のために、もれなく組織に所属することになってる。アンタの処置は例外だって話はしたよね。もし組織に入らないってんなら、危険因子は抹殺って事になるんだけど、それでも良いの?」

「……っ。…………卑怯だよ」

「卑怯なもんか。動物園で飼われているライオンも、飼育員を殺したら殺処分だ。自分が傍から見たら殺人生命体であることを自覚しなって。イノセントであることを証明し続けること、それが唯一の生存方法だよ」

「………………」


 何も言い返せなかった。多分ムゥが何を言ってもきっと、ライオンが喉を鳴らしているような物だから。きっと彼らはムゥを、そう見ているだろうから。


 ムゥが何も言わないのを認めると、青年は「ふっ」と笑みをこぼした。


「それはあくまで公的な名目だよ。別に檻に閉じ込めたくて、アンタをこんなところに連れてきたんじゃない。さっきヤタガセも言ったけど、協力すればアンタの知識欲は満たされる、ひいては己の出自が明らかになるかも知れない」

「え……」

「ボイジャーに性別があることを、ボイジャーであるアンタは知らなかった。ボイジャーの研究機関の渦中に入れば、まだまだ知らない事実が盛りだくさんだ。アンタには興味があるはずだ。それでもアンタは、こっから出たいわけ?」


 それを言われて、ムゥは返答に迷った。


 そう容易く、この人の言葉になんか乗せられてやらない。そんな反抗意識とは裏腹に、肯定してしまう思いがあったから。


 ムゥが知らないこと。それはすなわち、ムゥが知りたい事に他ならない。知らないことを順に辿っていけば、いつか故郷に帰る方法が、明らかになるかも知れない。


 自分で一から見つけていくよりも、組織の持つ情報を、ノウハウを、歴史を、頼った方が近道なのは火を見るよりも明らかだ。


 悔しい。ムゥの弱みとも言える部分を的確に射抜かれたことが。だけど認めなくてはならない。


 ムゥの目的のために、この組織は必要だ。


 ムゥの表情を見て、何かを察したのだろう青年は、何も言わずに踵を返し、出口の方へ歩いていく。


 きっとしばらくは会わないだろう。ムゥはその背中に、皮肉を込めて呼びかけた。


「シリウス……」

「はぁ……アンタまで毒されないでよ」

「じゃあなんて呼べば良い」


 青年は「うーん」と天井を見上げながらしばらく考えた。


破壊王はかいおうとでも呼んでよ。そっちの方が俺好みだ」


 なんだか肩透かし。それはボケ……? それとも本当にカッコいいと思ってるから? んん……まあいいや。


「分かった。あと最後に一つ」

「ん?」

「ムゥはパスファインダーって名前じゃない。夢寐・プラネタリウムっていうちゃんとした名前があるので、そこのところよろしく」

「ふーん。ボイジャーなのに一丁前に名前があるんだ。夢寐・プラネタリウム、ね。次会う時に覚えてたら、そう呼んであげるよ」


 そうして片手をヒラヒラさせて、


「じゃ、ヤタガセ、プラネタリウム、ああそれと、クソガキ。みずおちの痛みを忘れた頃に、もう一度喧嘩しようぜ」


 その言葉を捨て台詞に、青年——破壊王は研究室を後にした。


 なんだか取り残された感覚のある3人の間には、しばし静寂と夏の温い風が漂っていた。


 その静寂を打ち破ったのは、ムゥの何気ない疑問だった。


「そういえば、なんで破壊王は、シリウスって呼ばれるの嫌がってるの?」


 膝をついたままだったヤタガセが、腰をあげつつ答えてきた。


「もともとシリウスというのは、戦闘員の二つ名のような物なのだ。主に勇猛果敢で我を貫く、肉弾戦に特化した戦闘員に与えられる。こういった二つ名は襲名制なのでだが、アイツは忽然と姿を現し、先代のシリウスを半殺しにしたことで、その名を与えられたとか。だけどその名を名乗るということは、強さの誇示。そういうひけらかすような事を、アイツは嫌っているのだ」

「そうなんだ……。でも、なんでそれを知ってて、ヤタガセはシリウスって呼ぶの?」

「そりゃ、ワシはアイツの本名を知らんからな」

「え〜、あんなに知己みたいに会話してたのに……」


 まるでネットのオフ会みたいだなと思った。



       ◯



 その後、夜に親睦会を兼ねて外食をしようとヤタガセが提案し、当の彼は夜まで眠ると言い出した。20歳を超えると徹夜の疲れは半日では取れないのだと言うけれど、ムゥにはあまりピンと来なかった。だって激しい運動をしたわけでも無いのに……。


 極超巨星ハイパージャイアントとはなんなのか、眠ってしまう前に訊いてみたけれど、すぐ説明し切れる物では無いらしく、後で授業をしようと約束した。一言で良い表すと、「ボイジャーの危険度を表す値」とのこと。


 字面と、ヤタガセの反応からして結構良い線行ってる気がするけれど、ムゥほど常識的で、温厚で、賢くて、優しくて、博識な存在、人間にもそうそういないと思うから、危険かどうかで値が高くても、ちょっと微妙なところだ。


 19時までに戻ってくれば何してても良いとのことなので、ムゥは大学構内を探検することにした。


 時臣のことも誘ってみたけれど、返事もなくただ佇んでいるだけだったので、心配に思いながらも一人で部屋を出ていった。


 そして18時半、ムゥが部屋に戻ると、ベランダへの扉が開いており、欄干から中庭を寂しげに眺める時臣がいた。


 いつからこうしていたのだろう。4時間近く座っていないとなると、足腰が心配だ。


 なにより、ここまで塞ぎ込むだなんて……。今までにないことで、どうして良いかムゥには分からなかった。


 怪我が治っても、体力が戻っても、さっきの圧倒的な敗北がメンタル的に尾を引いている事は分かっていた。


 とりあえず見切り発車で、ムゥは時臣の隣に並んだ。


 すでに陽は落ち切っており、今日は雲で月も隠れているので、光源は各校舎から漏れる蛍光灯と、構内の街灯だけだった。


 なんて声をかけたら良いか……。そんなことを考えているうちに、ポロッと、


「時臣……」


 名前だけが口からこぼれ出てしまった。思いがけないことでつい「あっ」と言ってしまう。両手で口を押さえる。


 拾って口の中に戻したくても、出てしまったものはどうしようもない。ムゥはしまったという感情で頭が真っ白になった。


「あ?」

「…………ん、へ?」


 ところが、思いがけず時臣から返しがあった。何か気の利いたことを話さなきゃと意気込んでいただけに、逆にあっさりと返されると困惑してしまう。


「なんだよ」

「あ、あえ、あぁ……」


 いくつか用意していた言葉が全てどこかへ消え去った。すぐに、改めて話題をこしらえようと頭を回す。するとムゥの一番訊きたかった質問が、考えるよりも前に口から出ていた。


「時臣は……どうしたい?」

「……なにがだよ?」

「あ、あの、組織に入るか……どうか」

「………………」


 時臣は迷うというより、少しムスッとした感じで、口を窄めている。


 あまり耳触りの良い質問じゃ無かったのかも知れない。ムゥは訥々と後を継ぐ。


「その……ムゥは、この組織にいることで、故郷に帰るっていうムゥの目的の近道になるんじゃないかって……そう思ってて……」

「………………」

「あっ、ああ、で、でもっ、時臣が嫌ならムゥも同意するよ! そしたらなんとかして、組織を抜けれるよう頑張るよ。だから、時臣がしたい選択をして。破壊王と同じ組織にいたくないって気持ちは、分かるから……!」


 この組織にいた方がムゥのメリットにはなる。だけど時臣との約束を無碍にするほど、どうしてもしがみ付きたいチャンスって訳じゃない。


 時臣が嫌がるなら、無理強いなんて出来ない。


「オレは……」

「時臣……?」

「オレぁ、こんなに屈辱的な思い、したことなんかねえ。こんな思いをすることになるだなんて、今まで、考えてもみなかった」


 欄干におでこを押し当てながら、柵をギュッと握りしめる。


「オレは誰にも負けねえって思ってた。ボイジャーともやり合えて、ちょっと歯応えが出てきたって、そんくらいで……。まさかどう頑張ったって倒せねえ奴がこの世にいるだなんて、全然思ってなかった……ちくしょう……」


 時臣は歯を噛み締める。多分、ムゥに言っている訳じゃない。誰かが聞いているという状況を盾に、現実を、自分に言い聞かせているんだ。

 

「もうこんな思いしたくねえ……! もうあんな痛い思いしたくねえ……。お前は勝ってないって言われて、オレは何も言い返せなかった! 勝ちたい。勝ちたい。負けたくねえ。負けたくねえ。誰がどうオレを見たって、オレは勝ってやったんだぞって、そう言えるように……オレは……」


 握りしめた柵が、ぐにゃりと変形する。ガンガンと頭を打ちつけるたび、欄干が頭蓋の形に凹んでいく。


 全てはどこにも向きようのない、自分自身への怒りの表れだ。


「……っく!」

「っ! 時臣!?」


 突然何を思ったのか、時臣は欄干の上に飛び乗ると——そのまま2階の高さから飛び降りてしまった。


 時臣なら無事だと分かっていても、藪から棒に行動に移されると心臓に悪い。


 目下の芝生に着地した時臣は、間髪入れずに「すぅ〜」と息をお腹いっぱいまで溜め込んだ。そして、三峰キャンパス全域に届くほどの大声で宣言した。


「オレはぁあああーーーーーーーーーっ! ここでぇえええええーーーーーーーー!! ぜってぇえええええーーーーーに強くなってやらぁああああああああああああああーーーーーーっっっ!!!!! こんちくしょうがよぉおおおおおおおおおおおおーーーーーーーっっっ!!!!」

「はっ!」


 今、確かに”ここで”って言った。それってつまり、そういうことだよね!


「はははっ! 時臣! 絶対になれるよーっ!」


 2階から下にそう叫ぶ。時臣の馬鹿でかい声に蹴散らされるように、空には月が見えてきた。しばらく時臣は月を眺めていたけれど、やがてその場で垂直飛びをしたかと思うと、難なくベランダに戻ってきた。


「うわっ、戻って来られるんかい」

「プラ」

「は、はいっ」

「あいつの二つ名、『シリウス』っつったっけ?」

「あ、う、うん」

「オレがアイツをぶっ倒して、『シリウス』を奪い取ってやる! それがオレが、この組織にいてやることだ。文句ねえよな」

「あぁ…………」


 今まで彼は、本当になんとなく戦ってたんだと思う。ムゥと出会う以前も、その後も。


 破壊王に完敗して、時臣がどれほどの思いを得たのか、ムゥには推しはかる事しか出来ない。だけど、


「……はははっ。時臣にやることに、初めから文句なんてないって。ムゥはあなたを使うだけ。あれくらい強くなってくれるなら、願ったりだよ」

「おうっ! まかせろっ!」


 まだ口径も、火薬の量も、十分ではないけれど。今日流した血液が、受けた傷が、痛みが、いつかのあなたを強くする。ムゥは、それを信じてる。


 そして本物の矜持と自信を得た時、シリウスという茨の冠が輝くんだ。


 時臣は雲の合間に浮かぶ月に向かって叫んだ。


「ぜってぇ強くなるぞーっ! うぉおおーっ!」


 ムゥも鼓舞するように叫んだ。


「うぉ〜! 強くなるぞーっ」

「強くなるぞぉー!」

「強く〜なるぞ〜!」

「諸君、そろそろ焼肉行き——」

「「行くっ!!!」」

「なんでワシ怒られたの……」


 各々の道程は、まだ一歩を踏み出したばかり。




                                    続く

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