復讐者、地獄を灼く
狂
第1話 地獄の種火
小説『復讐者、地獄を灼く』第一話 地獄の種火
……また、今日も目が覚めてしまった。
薄暗い天井を見上げながら、俺は布団の中で動かずに呼吸だけを繰り返す。スマホはいつから充電してないだろう。もう時間も、曜日もわからない。ただ、隣の部屋から聞こえてくる食器の音が、俺にもまだ家族がいるんだと思わせてくれる。
あれから何年経っただろう。
月100時間の残業と連日連夜の上司の罵倒とに耐えていたあの頃。
なにをしても心躍らず社会に戻る手立てを考えることすら忘れてしまった今。
どちらが楽なのか、俺にはもはやわからなくなってしまった。会社を辞めてから、俺の時間は止まっている。止まっているどころか、後退しているのかもしれない。
――バカだな、俺は。
息を吐いて起き上がると、扉の外から「お兄ちゃん」と呼ぶ声がした。紗奈だ。高校生だった妹は、もう大学生になった。俺が時間を止めている間に、家族はそれぞれ前へ進んでいた。
「ごはん、できてるからね!身体壊しちゃうから…ちゃんと、食べてね」
俺は答えない。ただ、贅肉で顎も見えなくなった喉の奥でうんと呟くだけだ。
あいつは優しすぎる。誰にも言わず、俺が壊れてしまった理由も察して、ただただ寄り添おうとしてくれている。
あいつに俺みたいな出来損ないの兄がいることが申し訳なかった。親に迷惑だけをかけていることも申し訳なかった。
俺には─── 生きている価値なんてないとわかっていた。
そこまで考えたところで慢性的な絶望は俺の思考を鈍化させ、もたげた怠惰な本能が俺の意識をゆっくりとまた眠りへと引き摺り込んでいった。
真夜中。ふと目が覚めると気配がした。
廊下に出るとリビングからボソボソボソボソと話し声が聞こえる。いや、争っている?
俺は「…どうした?みんなまだ起きてるのか?」とドアを開けながらリビングに入る。
そこには、椅子に縛り付けられた両親と妹。
そして、それを取り囲む三人の覆面の男たち。
「な…なんだ!お前ら…!」
「お兄ちゃん!逃げて!」
紗奈の声を聞いた瞬間、側頭部に激痛が走り、俺は倒れ込む。頭をおさえてドアの影を見上げるとバットを振り下ろしたもう一人の男がハァハァと息を荒立てていた。
「ナイスっす。ほら、その人も縛って。早く」
「お、おう!」
リーダー格らしい男の指示で三人の男が俺を羽交締めにする。その手際はやけにたどたどしい。
「なんなんだ…!お前ら、一体!」
「う、うるさい…!」
ふと見ると椅子に縛られた父と母はぐったりしている。その顔は二人とも殴られたように腫れていた。
「お前らァ!俺の親になにしたんだよ!なァ!」
「あーもう…うるさいんで早く縛っちゃってください。早く」
手際悪く椅子に引き上げられ、手際悪く後ろ手に縛られた。暗闇に目が馴染むと、闇の中に見えるハンマーにバットに包丁。どこの家にでもありそうなものを振りかざす男たち。その怒鳴り声は震えて、どこか頼りなかった。
「お、お前ら!ど、泥棒か…!」
余りの事態に怯えながら、俺はなんとか震える声を振り絞った。
「う、うるさい!黙れ!」
包丁の男の声がその繊細な性格を表すように震えていた。
「か、金のありかを言え!」
「わ、わかった…!財布にあるだけの現金は払うから!」
「ち、違う!もっと大金だ!どこだ!」
「た、大金?な、何の話だ……」
父親は平凡な会社員だ。そんな多額の現金を家に置いてあるはずがなかった。
「とぼけんじゃねぇ!」
今度はバットの男の粗野な怒鳴り声が部屋に響く。
「この家は何千万も隠してるってわかってるんだよ!」
「なんのことだ!知らない!そんな金はない!!」
「嘘をついてんじゃねぇ!!」
怒鳴られてもないものはない。しばしの沈黙。
それを終わらせたのは紗奈のすすり泣きだった。部屋に響く嗚咽。
そうするとずっとやる気なさそうにだらだら突っ立ってたハンマーを持つ男が紗奈の身体を撫でながら猫撫で声をだした。
「泣かないのー♡大丈夫だから、ね?」
「妹に…!紗奈に触るな!!」
ハンマーの男の触り方と猫撫で声におぞましいものを感じた俺は怒鳴った。
「3番さん、やめろっす。目的履き違えないように」
後ろでゆったりと佇むリーダー格がピシャリと言うと、ハンマーの男は紗奈に触れてる手をゆっくりと離した。
「はーい…チッ」
「え、えっと…どうします?」
包丁の男がおどおどしながら言う。
「…そうっすね。あの、お兄さん」
その男は縛られた俺の前に立って、やけに落ち着いた声をかける。
「僕たちの目的はこの家にある現金です。それをもらえれば、それ以上はなにもせずに帰ります。だから、場所を教えてください。教えてくれないとああなります」
そう言いながら最後に親指で俺の両親を指した。その口ぶりからは、必要十分の要件だけ伝えようとする意図が伝わってきた。その淡々とした“慣れた”雰囲気に俺はむしろ怯えた。
「わかりましたね?じゃあ、聞きます。金はどこですか?」
「だ、だから、そんなものは知ら…」
特殊警棒で左の横っ面を殴られる。人生で初めて感じる痛みに呻くしかなかった。
「 いやァ!お兄ちゃん!」
暴れて叫ぶ紗奈をハンマーを持った男が嬉しそうに羽交締めにする。
「お兄さん、僕が言ってることわかりますよね?」
即座に暴力を振るう容赦のなさ。その淡々とした口ぶり。他のやつらが持ってるのがいかにも「家からとりあえず持ってきた凶器」なのに、この男が持っているのは一人だけ特殊警棒という「人を傷つけるためだけの凶器」。
このリーダー格の男が醸し出す雰囲気は、どうも他の素人くさい三人とは一線を画すなにかがあった。
「もう一度、聞きます。金はどこですか?」
「い、いや…だ、だから…」
今度は逆側の頬に激痛が走る。理不尽に繰り返される激痛でのたうち回りそうになる。
「2番さん。このお兄さん、床に座らせて」
「なんだよ!なにするんだ…っ!」
叫んだ瞬間、特殊警棒でまた殴られる。
「に、2番…あ、俺か」
バットの男が俺を床に座らせて抑えつけ、特殊警棒の男は俺の後ろに回る。
「あんまり頭は殴りたくないんすよね。殺したい訳じゃないんで。えと、2番さん。この人の右の手の平を上にして地面に…そう、後ろ手のままです。えと、お兄さん。金の場所を教えてください」
「だから…何の話…」
右の手の平を貫くような激痛。特殊警棒が突き立てられた手の骨は確実に折れていた。
「頼みますよ、お兄さん。お父さん達があんなだからあなたに聞くしかないんすよ」
「な、なんの話…」
情けないことに俺の声には、すでに涙が混ざっていた。
「どこです」
「知ら…」
激痛。
「どこです」
「なんのこと…」
激痛。
「どこです」
「や、やめ…」
激痛。
─── 質問と激痛の繰り返しが何度繰り返されたかわからない。しかし、特殊警棒の男がため息をつく頃には、俺の右手がぐしゃぐしゃになっていた。
立ち上がった特殊警棒の男は俺の横の椅子に目をやる。紗奈の顔が強張る。
「じゃあ、4番さん。このお姉さん、抑えて。」
俺にされていた拷問から目を逸らせていた包丁の男がビクッと震える。
「な、なんで俺じゃダメなんですか!」
紗奈を意味もなくベタベタ触っていたハンマーの男が不服そうに言う。
「3番さん、なんかキモいからっす。4番さんはちゃんとするんで。ほら、早く」
3番と呼ばれたハンマーの男は不満そうに横に退き、代わりに包丁の男が顔を背けながら紗奈を抑えつけた。その左手が持つ包丁が紗奈の顔に震えながら向けられる光景が目に焼きつく。
「お、おい! やめろ!!紗奈に触れ…」
今度は顔を足蹴にされた。口の中がズタボロになってるのが見てもいないのにわかった。
「で、お兄さん、金。どこに隠してます?」
「知らない! 本当に知らないんだ!!!」
「はぁ……」
男は呆れたようにため息をつくと、紗奈の腹に容赦なく特殊警棒を叩き込んだ。声にならない叫び声が漏れる。
「紗奈ァ!」
今度は指示もなくバットの男が俺を殴る。
「あの…わかりましたよね。妹さんのためにも早く教えてください」
「なんなんだよ…お前ら…何の話をしてるんだ…」
「だから金の話です。どこです?」
「本当に…知らない…親父はただの会社員だし…俺は無職なんだ…そんな金、ないよ」
「なに?あんた、無職なの?ニートってこと?ねぇ?」
ハンマーの男がニヤニヤしながら言う。
「ぶはは…髪も髭もボサボサでなんの仕事してるのかと思ったら底辺のゴミだったか」
「……」
バットの男が腕組みしながら見下ろす横で、包丁の男は居心地悪そうにしていた。
こんな最悪の状況で蔑まれて俺の心はとうに死にたくなっていた。
「ふぅ…」
ため息が終わる前に特殊警棒がまた紗奈に叩き込まれる。その後は、さっきの俺の右手と紗奈の身体が入れ替わっただけだった。
質問。殴打。紗奈の叫び声。
質問。殴打。紗奈の叫び声。
質問。殴打。紗奈の叫び声。
「や…やめろよぉ…なんでこんなことするんだよぉ…」
「誰なんだよ、お前たち…なんでこんな…」
「なんで…なんで…俺たちがなにをしたんだ…」
涙でぐじゃぐしゃになりながら返ってこない問いを俺は何度も何度も繰り返した。
それでも暴虐は繰り返された。淡々と。容赦なく。何度も何度もーーーー
紗奈の叫び声が声にもならなくなった頃、包丁の男が恐る恐る声を出した。
「あ、あの…1番さん。これ、本当に知らないんじゃないですかね…?」
「……」
1番と呼ばれた特殊警棒の男が考え込んでいるのが覆面越しにもわかった。そして、彼はおもむろにスマホを取り出して、通話をかけたようだった。
「…アルファさん。1番です。依頼されたタタキの現場来てるんですけど…ええ。こいつら金の在処吐かないんですよ。…はい。…ええ、はい。もちろんキツめに聞いたんですけど。だから、念のため、顔を確認してもらえますか?…あっす。スピーカーにしますね」
そして、特殊警棒の男のスマホのカメラがまず親父に向けられる。どうやらビデオで繋がってるらしい。
『え?あれ?ちょっと顔、こっちにちゃんと見せて?』
特殊警棒の男が無造作に親父の髪を掴み、顔をカメラに向けさせる。その次に母、俺、妹…と順番に顔を照らされた。
『うぅわっ。ていうか、いったっそぉ。みんな顔面ボッコボコじゃん。かわいそうに。えーと、ね。それでね。くはっ、くははっ』
「…はい」
通話口の特徴的な笑い声になにかを察したようなため息を含みながら、特殊警棒の男が返事をする。
『くははははは!これ人違いだねぇ!!!くは、くははははははは!』
「…アルファさん、勘弁してくださいよ」
『いや、でも依頼のメッセージにあるのとその人たち、全然違うじゃん』
「さっき、変更のメッセージしてきたじゃないですか」
『え、したっけ?あれ?ごめん、俺、案件抱えすぎててごっちゃになってるかも』
「ちっ…」
『ごめんてぇ。撤収で!撤収でお願いしまーす!』
「…っす。じゃあ撤収します」
なにがどうなったのか分からないが、どうやらこの理不尽で意味不明な暴力は終わるらしい。
と、安心した瞬間ーーーー
『あ、そうそう。後始末はちゃんとしといてね』
俺の背筋にでかい氷の氷柱が突き刺さるような衝撃が走る。
「…マジですか?」
『当たり前じゃん』
おどけた声がスピーカー越しに部屋に響く。
「どういうことだよ?」
あまりに冷えた声に、自分の声だと気づかなかった。しかし、止まらなかった。
「おい!どういうことだよ!なんだ、後始末って!おい!」
『ほらほらほら。ね?こうやって騒ぐじゃん。生かしといても厄介なだけでしょ。無理心中に見せかけて殺しちゃいなよ』
「…っ!ふざ、けんなよ!!お前ら!いきなりやってきて!なんだ、何を言ってやがるんだ!』
特殊警棒の男は俺をチラッと見て、やはり淡々とスマホの向こうの男に答えた。
「…っすね。わかりました」
「お前らァァァ!」
絶望を通り越した怒号。しかし、それでも事態はなにも止まらない。
「えっと、じゃあ、3番さん、持ってきたロープを天井のとこから吊るしてください」
淡々と進む準備。俺と、父と、母と、紗奈を殺そうとする準備。
俺は止めようと何度も叫んだ。その度にバットの男に殴られた。場の空気に慣れたのか染まったのか。この粗暴な男は殴ることに手慣れてきているように思えた。
天井にロープを吊るし終えると、特殊警棒の男は特殊警棒を傍に挟んで、懐から出した拳銃を父に向けた。
「お、おい!待て…!待てったら!」
「アルファさん、拳銃使いますよ。多少不自然ですけど、なんとかなりますよね?」
『うん、“あの人”に頼んどく』
「…っす」
殴られすぎて目が虚の父。
パン…ッ
渇いた銃声。跳ねる父の頭。
パン…ッ
呻き声が止まり、同じく跳ねる母の頭。
床に滴る血。あまりにも淡々と訪れる絶望。
「親父!母さん!」
当たり前のように流れる子どもの頃の思い出。結局見放さないでいてくれた二人の優しさ。いつか、いつか働いて楽させたかった二人。
俺は自分が叫んでいることすらわからなくなっていた。
そして、銃は流れ作業のように紗奈に向かう。
「お前!殺す!殺すからな!それをやったら…」
『ねぇ、うるさいからとっとと済ませて。』
紗奈は固まったまま銃を涙目で見つめている。
「お、お兄ちゃ…!」
パン…っ
「紗奈ァァァァ!!!」
こんなに情けない俺をずっと応援して励ましてくれた妹。子どもの頃から成長を見てきた唯一の家族。いつも守りたかったのに。自慢の兄になりたかったのに。
「えっと、じゃあ後は三人でこの人吊るしちゃってください」
銃を懐に戻しながら特殊警棒の男は淡々と指示を出す。
「あ、あの、本当に殺すんですか?」
包丁の男の間の抜けた言葉。だらだらしていたハンマーの男は震え、粗野なバットの男ですら硬直していた。
特殊警棒の男以外、誰も事態に追いついていなかった。
「え、今更すか?」
「いや、あの…」
「言わなきゃわかんないやつですかね。えと、三人死んでます。ここ、もう殺人現場です。皆さん、共犯です。身分証も顔写真ももらってます。逃げられません。…えと、いいから吊るしてください」
『くはははは!みんな、がんばろうね。お金のない君たちを殺しても仕方ないんだからさ』
三人は諦めたようだった。
暴れ狂う俺の両脇をバットの男と包丁の男が抱えこむ。俺はあらんかぎりの力で暴れる。
「痛ェ!こいつ!噛みやがった!」
俺の歯が右手に食い込み、バットの男が叫ぶ。
「いいから、とっとと吊るしてください」
「クソォ!痕がつきやがった!こいつっ!」
バットで殴られる。力尽きる俺。
天井のフックにかけられたロープにハンマーの男が両脇を抱えられた俺の首を無理矢理通す。奴等の手際は相変わらず悪かったが、ついに足元の椅子が俺の命を繋ぐ最後の支えとなった。
「いいっすね?ちゃんと吊れてます?」
「おい…!お前ら!…電話のやつも!」
死を前にして俺は最後の力を振り絞って叫ぶ。
『え、なになに?呼んだ?』
「ちっ…なんすか?」
「お前ら…!絶対に殺してやる…絶対に!地獄の業火で!焼き尽くしてやる!!!」
「………いや、殺すのこっちなんで」
『くはははは!それなァ!あとね、お兄さん』
電話の向こうの男が少し間を取る。
『人生に絶望して、家族全員殺して自殺。悪いけど今のあんた見たら世間の誰もが納得だよ。あんたは生きる価値なんてなかったんだ。とっとと…死ね♡くは!くはは!くははははは!』
スマホの男が爆笑した瞬間、椅子が蹴られる。足が宙を舞う。首が締まる。地獄を見下ろしながら、俺の意識は瞬く間に闇に沈んでいく。
ああ…そうさ。俺には生きる価値なんてない。お前たちを地獄を叩き落さないかぎり。
沈みゆく闇の中、俺の心には復讐を誓う黒い炎が種火のようにゆっくりと静かに灯っていた。
【第二話に続く】
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