Chapter1-2 境界線を超えるもの

 すっかり日も落ちて夕暮れ。いわゆる黄昏時だ。人々が住む所に帰りたくなったり、あるいは帰りたくなくなったりする、この時間。


未来都市ルクス・ルインズ、第一都心区域。海沿いに位置する公園。


都心からは離れていて人の通りは少ないが、雰囲気ムードは良い。桜並木の下を歩く、男女のカップルが多数。


ショウは海がよく見える道を、なんとなく歩いていた。ただ、公園を散歩するのが好きだったから。


「はー。超カッコよかったなぁ、あの人」


ライブでのエヌエットの勇姿を思い出し、ほうけている。気づけばショウは……彼女から目が離せなかった。


「あの『滾る焔が震える』の『る』の部分とかもう、思わず胸を抑えるほど熱かった」 


 まずは、完璧なまでに洗練された歌唱力。飛翔する竜の如く力強き声量。そして草原に吹く爽やかな風のような息遣い。更にはさざなみを想起させる、波打つビブラートの繊細さ。


そこに、人々の魂を震わせるような感情が込められていた。魂は胸に存在すると、そう思わせるほどに。


才能だけではない。確実に努力の証が刻まれていた。


「しかも歌が上手いだけじゃなくって清く正しく、芯の通った性格の人だった」 


そして気高き信念。他の候補者といえば『全民税を減らします』や『資金の透明化を徹底します』と、選挙に勝つためだけの建前たてまえの一言。 


 時に。普通では考えられない、他者に対する暴言が正当化されるように飛び交ったりもしていた。


 だが、彼女は違った。


 ――ありのまま政治情勢や財政の状況をつまびらかに話し、みなさまに届ける。そして、将来みなさまと共に、国の代表を担う者としてるべき政策を掲げますわ


 国民に事実を開示し、信じてもらおうと。手を取り合って助け合おうという道を示した。己の熱い心情をありありとさらけ出した。そして誰もが言いにくい政策を打ち出すと言い切った。


最後には、竜族の同志ファンへの感謝の意を伝えるための深い一礼。


燕雀鴻鵠えんじゃくこうこく。見ている景色が彼女だけ遥か遠い未来なのだ。


「……課題で憂鬱ゆううつになってた訳じゃないんだよな」


この時、彼の頭の中をさいなんだのは……だ。


「『宣誓コール騎士ナイト』か」


この六大国では、『宣誓』と『騎士』という言葉に大きな意味をもっている。


前者は名称の通り、誓い。夢を叶える第一歩。絶対の意味合いがあるため、人々は軽々しくこれを口にしない。


後者は多くの者にとって関わることがない。三権女英傑候補者に『宣誓』をする事で成立する、位階いかいだ。


紅蓮の竜姫は、『宣誓』。自身の夢を絶対に叶えると、平気で言ってのけた。 世間や、周囲の声を振り切って。


彼にとって、彼女は眩しすぎる。


(……あの時から、今の僕は変わっていない)


あと一歩、踏み出せなかった海辺の砂浜こころのきょうかいせんで。


――微笑みはもう、二人の夢をみないのよ


そんな言の葉を受け取った過去を思い出した少年。立ち止まって、下を向く。


……感情がい交ぜになって。ふいに出た言葉は。


「僕もあんな風に決断して、誰かを助けられるカッコイイ人になりたい」


憧れのそれだった。それを願って、顔を上げた時。


ふと。


「え」


目の前に、白いワンピースを着た長い黒髪の女性が目に止まった。


麦わら帽子は目深まぶかに被っており、誰かは分からないが……。


なぜか、彼女から目が離せない。フェンスに寄りかかって海を眺める、憂鬱ゆううつそうな姿。


それは頼りなく、今にも消えそうな炎の灯火のようだ。


(どこか……似てるような。或いは……?)


ショウは黒髪の女性をしばらくの間、眺めた。


周辺から奇異きいの目で見られようが。頭と肩に鳩が止まろうが。直立不動。ただ見つめ続ける。


しばらくすると、黒髪の女性がスマホを取り出して画面を眺めた。溜め息をく。


同時、それは起こった。


「あっ」 


 女性はあろうことか手が滑り、スマホを海に落としてしまったのだ。


嗚呼ああ、試されている。ショウはそう確信した。ここで動けない自分が、何者かに成れるだろうか。


いな――!


「僕に任せて!」 

「えっ?」 


少年は、衝動に任せて。フェンスを超えて海に飛び込んだ……いや、飛び込んでいた、という表現が正しいだろう。


「ちょっとあなた、大丈夫なんですの!? 溺れているように見えるのだけれど!?」 


口元に手を添え、あわあわとあわてふためく黒髪の女性。かなりの高さから飛び込んだので、心配になるのも当然だ。


「うぐ、おああっぷ」


ショウは口に海水が入る。しょっぱい味がした。彼は勿論、水泳なんて習っていない。人並みには泳げるが……。


(うわっ! 海ってこんなに身動き取れないのか……!)


学校の授業とはワケが違う。海流かいりゅうに身体を持っていかれる。このまま陸に帰れないのでは、という恐怖が頭の中をよぎった。


(やばいやばいやばい! 踏ん張らないと!)


  懸命に、泳ぐ。泳ぐ。ようやく、スマホを手につかんだ。


 (よし! 後は岸に帰るだけ……なんだけど)


 岸まであまりに遠い。絶望に固まってしまうショウ。


(やっば、どうしよう。怖くて動けないや)


 ほうけていると、どんどん海に流されていく。少しずつ血の気が引いていき、己の軽率けいそつな行動をいた。


 (なぁ、自分。普通に考えて、誰か泳ぎが得意な人を連れてくるとかすれば良かったんじゃないのか?)


 ただ、あの時の自分を超えたかったんだ。ならここしかないと思った。予感がしたんだよ。


 どうしよう、こんなところで――。


「諦めないで!!!」 


 突如響いた、オオルリのように透き通る美声びせい


「――っ」 


 ハッとして顔を上げると、黒髪の女性がフェンスから前のめりになって声援エールを送っているではないか。彼女から、水入りのペットボトルも投げかけられている。


 どこかで聴いたことのあるその声に、少年は一瞬だけ戸惑ったが――。


「っ、あああああ!!!」 


 無限に生きる力が湧いてきた。


 作戦なんてものは無い。だから先日テレビで見た水泳選手の泳ぎ方を思い出しながら、ペットボトルにしがみついて気合いで泳いだ。


 …………無事に、公園にい上がったのは十分後であった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る