布団商人と虎獣人
藤之恵
第1話 スーヤとトランの出会い
Q.人間嫌いで知られる虎獣人の集落で罠にかかってしまった商人はとどうすべきか?
A. 布団を売る
「あはは〜、皆さんこんにちは〜」
木から吊るされたような状態で、私は目の前にいる虎獣人さんたちを見つめた。
濃い緑の木々に囲まれた空間は癒やされるのだけど、行商には向かない。ただでさえ足場が悪くてここまで来るのも大変だったのに、こんな格好になるとは。
どうしようもなくて、私は愛想笑いを浮かべた。
まぁ、沢山の人がいる。すべて私を睨んでなければ壮観だ。
「人間だ……! 何しに来た」
「そのー見ての通り布団商人でして」
「布団? なんだ、それは!」
虎獣人さんが声を上げる。そんなに大きい声でなくても聞こえるのに。
黄色い目を爛々と光らせ、毛並みのいい尻尾が膨らむのが見えた。
弓やら槍やらをを握りしめているのが怖くて仕方ない。獣人の身体能力は高い。
人の中でもちんちくりんで、貧弱とされる私に勝ち目はない。
私は背中に背負った布団を見せようと身体を捩った。
「布団は素晴らしいですよー。ぜひ紹介しますので」
「いや、人の作るものなど碌なものではない」
「ここで殺すべきだ」
足元で獣人さんたちが騒ぎ始める。
私の真下にいるのが恐らくリーダーさんのようで、周りの言葉を耳をピクピクさせながら聞いている。
気が立つにあわせて耳や尻尾が逆立ち、ざわざわとした気配が広がる。
議論の前に下ろして欲しいんだけど、とても言い出せる雰囲気じゃない。
「布団の良さを知らないなんて、人生損してます! 何も危害は加えませんし、この通り武器も持っていませんっ」
手をバタバタとさせて、下ろしてアピール。
その動きに縄が軋み、葉のこすれる音がかすかに混ざる。
荷物ごと宙吊りなせいで、肩の部分に紐が食い込んで痛いのだ。
どうにかこうにか下ろしてもらい、宙吊りは脱した。けれど、周りを囲まれている状況。
獣人たちの筋骨隆々とした身体が近く、動けばぶつかりそうだ。
ギラギラとした瞳がこちらを刺すように見つめていた。
「人間、何の用でここを通った?」
「えー、私はスーヤ。布団を主に扱う商人です。ここへは布団の良さを知ってもらおうと来ました」
にっこりと丁寧に愛想良く。人間関係は商売の基本だ。
嘘は言っていない。あとは、布団に良さそうな材料がないか調査もしたいだけで。
獣人が使う寝具はあまり知られていない。が、彼らの生産する毛皮がとても気持ちいい。
極秘の方法があるはず。私はそれを布団に使いたい。
「……布団とはなんだ?」
「寝具です。寝る時に使うことで、体力向上、活力向上が見込めます」
「ほう。それだけか?」
リーダーさんが威嚇するよう口角を引き上げた。牙の並んだ笑顔が焚き火の赤に照らされてやけに禍々しい。
かかった。私はニヤリと笑い返す。
私の布団はそれだけじゃないのだ!
「なんと、私の布団には傷の治りを早くする効果があります!」
「なんだとっ」
「嘘だ」
「ただの道具にそんな効果があるわけない!」
反応は上々。
周囲の空気がぐっと変わり、獣人たちの視線が一斉に布団に集まる。
私が売るのはただの布団じゃない。私のスキルで回復能力をつけた布団だ。
「それがあるんですよ! どんな傷だろうと一日で治してみせます」
効果はお墨付き。ただまる一日は寝てもらわないといかないけれど。
元の世界でいう酸素カプセルみたいなものだろうか。あれよりは確実なのだけれど。
いや、スキルって分かんないよね。付加できるのが布団だけっていうのも。
「では、見せてみろ」
「はい。もちろん!」
リーダーさんが値踏みするようにこちらを見ながら、顎を動かす。
私はすぐに荷物を下ろして広げようとした。
こうなればいつもの商売と同じ。そして、勝ったも同然。だって、効果は確実にあるのだから。
命もかかってるしね!
「連れて行け」
そう、思ってたのに、どうやらお披露目はここでじゃないらしい。
目を白黒させていると、虎獣人さんに抱き上げられる。
「え、え、歩けますよっ」
「こっちの方が早い」
まさかの小脇に抱えられる形になった。
ふわっと視界が持ち上がり、木々の隙間から青空が見えた。
いくら小さいからって完全な荷物扱いに悲しくなる。
※
連れてこられたのはみすぼらしい家だった。
木と土を組み合わせた質素な造り。壁には亀裂が入り、屋根はところどころ藁が抜けている。
軒下に干された獣の骨や、風に揺れる薬草の束が、ここが歴戦の戦士の住処であることを物語っていた。
だけど、入りたい場所かと言われれば否だ。
「えっと、こちらは?」
リーダーさんに尋ねる。すぐに答えは帰ってきた。
「天下無双のトランが住む場所だ」
「戦闘狂の間違いじゃないか?」
「違いない」
小さなさざめきが、私を連れてきたリーダーさんのひと睨みで消える。
どうやら強いけど、あまり仲間内で評判が良くない人らしい。
それ以上の情報を得ることも出来ず、私は布団を背負ったまま足を進める。
獣人さんたちに見つめられながら、壊れそうな扉を開けた。
「失礼しまーす……」
「誰だ」
ギシリと床が音を立てる。抜けないよねとこわごわ足を乗せたら、それより早く鋭い声が飛ぶ。
私は動きを止めた。
低いが女の人の声だ。意外に思いつつ声のした方向を眺めていると、奥の暗がりで身体を起こす気配がした。
「あなたを治療しに来ました……布団で」
「なんだと?」
ちょうどよく薄暗い室内に、太陽の光が差し込む。
古びた木枠の窓から漏れた光が、室内の埃を照らしてチラチラと揺れていた。
木の床を反射して、身体を起こした虎獣人さんの顔が見える。
「あわぁ」
そこにいたのは、まぁ美しい女の人だった。
金と黒の髪は波打ち彼女の顔周りを豪華に彩る。はっきりした目鼻立ちは獣人の特徴を備えつつ、人から見ても十分に美しいと判断されるだろう。
だが全体的に血に塗れているのはいただけない。身体のあちこちに巻かれた包帯にも血が滲んでいる。
まともな治療を受けているようには見えなかった。
張りつめた空気の中で、かすかに聞こえるトランさんの呼吸音だけが静寂を破っていた。
こんな人が天下無双だの、戦闘狂だの言われるなんて。獣人って分からない。
これが私スーヤとトランの出会いだった。
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