第35話 無限ループ


「ヨウヘイ、出番だ」


静かに、しかし容赦なく告げられたその声に、世界中の空気が凍りついた。


今やヨウヘイを煽るコメントは無い。たった一人の人間にどれほどの重圧がかかっているのか、もはや、どの選択肢にも絶望しか無いのが誰の目にも明らかだったからだ。



A:アメリカ人の半分と日本人を見捨て、それ以外を助ける

B:日本人の半分とアメリカ人を見捨て、それ以外を助ける

C:選択を放棄して次の人に委ねる

制限時間:1分



「え……え……?」

ヨウヘイは呻くように声を漏らした。


自分の心臓音が耳の奥で大音量で鳴り響いている。膝がガクガク震え、手足が痺れる。さっきで、すべてが終わったと思っていた。もう自分は責任から解放されたはずだった。


だがそれは――甘かった。


再び〝責任〟を背負わされた。今度は国の命運をも左右する選択肢。前回の比ではない。桁が違う。次元が違う。


何千万人、あるいは何億人。どちらかの国の人間を見捨てろと?それを俺一人の責任で選べと?


その命の計り知れない重さに、ヨウヘイの理屈も哲学も倫理もすべて崩壊した。


この極限状態でヨウヘイの本性が露わになる。


「……誰だ……!誰がこんな取り返しのつかない状況になるまで……放置したんだ……!責任を――」


声にならない叫びが喉から飛び出した。だがその刹那、ヨウヘイは理性で悟った。


人は極限状態になり、感情が麻痺すると恐ろしいほど冷静になる。


――責任を取るのは、最初にAを選ばなかった俺自身だ。


(そうだ。ニックも清美もタツマも、俺が選ばなかったから、皆がより残酷な選択を迫られることになったんだ……)


その時、ヨウヘイは容赦なく断罪してきたあらゆる〝悪〟に今の自分を重ねていた。


超越者に頭を下げて国債を引き受けてもらった日銀の苦渋の決断、容認し難い超越者の要求に民主主義で誠実に向き合った日本政府。


それらを俺は「売国奴!」「無責任!」と糾弾した。


――だが自分が同じ立場だったらより良い選択ができただろうか?


「…俺がやってきたことって…なんだったんだ……」


視界が歪む。頭が回らない。思考が千切れていく。心拍が跳ね上がり、世界が遠ざかる。


あー地面が天井に……


そして、ヨウヘイは泡を吹いてその場に崩れ落ちた。


――タイムアップ。選択権は、「2度目のタツマ」に移る。



「A:お前の支持者とアメリカ人の半分を見捨て、それ以外を助ける」

「B:お前と日本人を見捨て、それ以外を助ける」

「C:選択を放棄して次の人に委ねる」

制限時間:1分



画面に表示された新たな選択肢を、タツマはただ呆然と眺めていた。


身体が重い。頭がグラグラ揺れている。


(どうして……どうしてこうなっちゃったんだ……)


何度も問いかけるが、答えなどどこにもない。ここでは誰も助けてくれない。


かつて、自分は弱者の味方だった。タツXとして社会に復讐し、声なき声を代弁し続けた。


俺はみんなに必要とされる「タツX」だ。俺がみんなを助けてあげないと……


「俺が……また逃げたら……次は清美だ……あの人は〝選べない人〟だ……」


彼女に次の選択を委ねちゃいけない。俺がここで終わらせなきゃ。


自分の支持者か、自分自身か。

日本か、アメリカか。


タツマの中に、「壊したい世界」と「壊したくない世界」が混在していた。


俺を受け入れない社会もあった。

でも、俺を受け入れてくれた社会もあった。


(俺が……みんなを助けなきゃ……俺が……)


その時、タツマから絞り出したような声が漏れた。


「誰か助けて……」


(奪われるのが、こんなに怖いなんて……)


自分はかつて〝何もかも奪われた可哀想な人間〟だと思っていた。社会に守られて当然だとさえ思っていた。だが、社会はそんな俺を見捨て、無視を決め込んだ。


だからこそ、社会を恨み、壊そうとし、強者に復讐してきた。


「全てぶっ壊れろ!」

「何もかも奪われてしまえ!」


そうやって社会に牙を向けたタツマは、”新たな強者”となった弱者を扇動して、”弱者に転落した元強者”を数の暴力で叩き潰してきた。


「誰か助けて……」

さっきの俺の言葉は、”弱者に転落した元強者”もあの時確かに言っていた――


タツマは己の行いを反省した。


「……ごめん……なさい……」


それは、かつて憎んだ社会に対する謝罪。

そして、声を上げられなかった“かつての強者”への贖罪だった。


「……ごめん……なさい……」


その言葉は、歪んだヒーローの“完全敗北”を意味していた。



「制限時間だ。次、清美」

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