第32話 不幸の拡大


「C。選択を放棄する」


ヨウヘイのその一言に、世界中の空気が凍りついた。期待され、称賛され、無責任を非難していた側の男が、最後の瞬間に選んだのは「責任の放棄」。


誰もが叫んだ。

「何のためにお前はあれほど正義を語ったんだ!」と。


しかしその罵倒の中に、ほんの一瞬、タツマは自分の過去のコメントを見つけた。


「A以外あり得ないwwはよww」


軽く、何も考えずに、放った言葉。

だが次の瞬間、超越者は自分の名前を読み上げたのだ。


「次の選択者はタツマ。お前だ。」


「え、俺ェ?」


照れ笑いを浮かべるタツマに世界中の視線が集まった。


「これがあの有名なタツマックス……?」

「うっわ、きも。」


手入れのされていない粘土のような髪が額にへばりつき、アデノイドのせいで口が常に開いていた。そんな彼の姿を見た世界中の人々は彼に非難を声を浴びせた。


だが、そんな非難に”タツマックスの支持者”が立ち上がる。


「それは俺ら弱者を敵に回すってことで良いよな?」

「タツマックスを非難する奴は俺が許さねぇ!」


それはタツマにとって心強い援護射撃だった。


―超越者が提示した選択肢はこうだった。


A. お前の“支持者全員”が不幸になり、それ以外すべてが恩恵を享受する。

B. お前だけがこの国から抜け出して幸せになる。

C. 選択を放棄して次の人に委ねる。


制限時間:1時間。


タツマは提示された選択肢を見て、すぐに異変に気づいた。


「……おかしい。前の人の時と、Aの内容が変わってる」


タツマの心臓が鼓動を強めた。

さっきまでの「お前だけが不幸になる」だった選択肢が、今は「支持者全員が不幸になる」に変わっている。


不幸の範囲が拡大していた。しかも、俺が最も大切な人たちをピンポイントで狙って……!


「ヨウヘイがCを選んだから、選択肢が悪化した……?」


そう考えた瞬間、喉の奥に何かが詰まるような感覚を覚えた。


―Cを選べば、また選択肢は悪化するんじゃないか?

―次に指名された者が選ばなければ、さらに不幸の範囲が広がる……?


ぞわり、と背筋を這い上がるような戦慄が走る。

選択肢は“次へ”進むごとに残酷になっていく。超越者は選択を放棄したことを“責任逃れ”とみなし、罰を強めているのだ。


「Cは……逃げ道じゃない。罰なんだ……」


思考が追いつかないまま、タツマの中で警鐘が鳴り響いていた。


次に選択を放棄したら、次の選択者は「支持者全員」どころか、「国民全員」が不幸になるような選択肢を突きつけられるかもしれない。


もはや「自分を守る」ことは、「次の誰かを殺す」ことと同義になりつつあった。


Aを選べば、犠牲になるのは「支持者全員」。

自分を信じ、支えてくれた人たちだ。これだけは絶対に選べない……!


タツマの手のひらにじっとりと汗が浮いた。額からも背中からも、汗が止まらない。


―昔の自分なら、迷わずBを選んでいた。

世界なんてどうでもよかった。憎しみしかなかったから。世界が滅亡してほしいとさえ思っていた。


だが今は違う。弱者のヒーロー「タツX」だ。支えてくれる人がいる。俺にも守りたいものが出来た。


タツマが決めかねていると、スマホ画面にコメントが流れ始める。


「タツマックス……信じてるよ」

「お願い、私たちを見捨てないで」

「頑張れタツマックス……!」


涙が出そうだった。応援の声が胸に響いた。


「こんなことになるなら第二の選択の時に、B(10倍の富を貰う権利)の選択肢なんか推奨しなきゃ良かった。」


社会をぶっ壊すためにはBを選ぶのが正しいと思った。だけど、今思えば、俺が投票結果を変えてしまったのかもしれない……


タツマが後悔をし始めたその瞬間だった。


「A以外あり得ないwwはよww」


誰かがこのコメントを連発した。


これは俺がヨウヘイに投げつけた言葉。そのままの形で、今度は自分に返ってきた。


「何言ってんだ……みんなを見捨てられるわけないだろ!あほか!」


叫んだ声が、自分の胸の奥深くに突き刺さる。


「A以外あり得ないwwはよww」


今ならわかる。あれがどれほど無責任で、冷酷な言葉だったか。


タツマの頭の中はぐるぐると渦を巻き始めた。Aは選べない。Bも無理。Cは…次に地獄を渡すことになる。


どの道も、地獄だった。

正義も理性も吹き飛び、ただ、感情の濁流に溺れていく。


「タツマックス…時間が…」

「まだ?……時間、ないよ……」


答えが出せないまま、時間が、終わった。


「答えを出さないということは、権利の放棄だな。次。」


超越者の冷たくも機械的な声が聴こえた。


タツマは膝から崩れ落ちた。地面に手をつき、浅い呼吸を繰り返した。


胸が苦しい。酸素が足りない。目の前が歪む。


―これは、終わった安堵なのか。

―それとも、次に同じ地獄を送ってしまった罪悪感なのか。


ただ、タツマの瞳から静かに涙が流れた。


「ごめん……なさい……」


生まれて初めて、タツマは心から謝罪した。

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