第10話 超越者の真の狙い
分析官アレックスは、デスクに広げた国債発行の資料を睨みつけた。手元には、日本政府が発行した160兆円の国債と、アメリカ政府が発行した5兆ドルの国債の詳細が記されている。
「政府が発行する国債は、資金調達の手段。これで市場を買い支え、国主導で企業に仕事を依頼し、景気と株価を安定させるつもりだ。」
隣で資料をめくる同僚が頷く。
「一時的には効果があるかもしれませんね。市場は落ち着きます」
しかし、アレックスの表情は曇ったままだった。
「問題はそこじゃない」と彼女は低く言った。
「これが何を意味しているのかわかる?」
同僚が眉をひそめる。アレックスはデスクの上のホワイトボードに赤いマーカーで大きく書き込んだ。
『超越者は日本とアメリカの最大の債権者になった』
「世界第1位と第3位の経済大国が、たった1人の人間に借金をしているということよ」
静まり返る分析室。誰もがその意味の重さを理解した。超越者は単なる投資家ではなく、国家の財政や経済すら支配する存在になったのだ。
⸻
しかし、その間に株式市場では異変が起きていた。
政府が買い支えを行うよりも前に、異常な速度で株価が上昇し始めたのだ。
「これは……空売りの買い戻しですね」
同僚の一人が驚いた表情で画面を指差す。
「空売りの買い戻しとは?」と別の分析官が尋ねると、アレックスは即座に説明した。
「空売りは、株を持っていないのに先に株を売る行為よ。後で株価が下がったら安く買い戻して、売値との差額で利益を得る仕組み。でも、今回は大量に入れられていた空売りが全て買い圧力に変わったから、通常では考えられない勢いで株価が高騰するわ。」
アレックスの言う通り、株価は凄まじい勢いで急騰していた。特に、超越者が大量に空売りしていたマーチン・ロッキーズ、レイセオン、ボーイング、クラウドインパクト、パロアルトサイバーワークス、パランティアテクノロジーなどの軍事・テクノロジー企業は軒並み暴騰する。
その時、アレックスがあることに気がついた。
「まずい……! これらの企業、もう少しで株式の過半数が超越者に買われる……!」
するとアレックスは何かを思いついたように、超越者が今まで過半数の株式を取得した企業を書き出した。
「世界的な半導体素材企業……先端半導体技術を持つ独占企業……銅資源の採掘権を持つ企業……日米の大手金融機関……そして軍事・サイバーセキュリティ企業……」
そこに浮かび上がる答えはただ一つだった。
アレックスは頭を抱えた。
「最悪だ……」
「アレックス、一体何がそんなにヤバいんです?」
隣で混乱する同僚を一瞥し、アレックスは説明を始めた。
「いいか、株式会社ってのは株の持ち分=その企業の支配権なんだ。たとえば、発行済み株式の1/3を持てば重要事項に対する拒否権を持てる。たとえ残りの株主が賛成しても、1/3以上の株を持つ株主が反対すれば会社の方針を止めることができる」
「1/3でそんなに強い権限を持てるんですか……?」
「ええ。でも、もっとヤバいのは過半数を取られた場合よ」
アレックスはホワイトボードの企業群を指さしながら続けた。
「過半数、つまり51%以上の株を持たれると、その会社を完全に支配できる。会社の経営方針、事業の方向性、さらにはどの国に技術を提供するか、どの国とは取引をしないかまで自由に決められる」
「……つまり?」
「世界経済の根幹を担う企業や世界の軍事を司る会社の意思決定が、超越者のものになるってこと!」
仲間たちは静まり返った。
「たとえば、軍需企業抑えられたらどうなる?」
アレックスは矢継ぎ早に問いかける。
「……アメリカは戦闘機もミサイルも作れなくなる?」
「正解。そしてサイバーセキュリティとネットワークの会社も支配されている」
「国家機密や軍の戦略がダダ漏れに?」
「そう。その上、金融機関も抑えられている。となると……?」
「……兵器を開発する資金も調達できなくなる……!」
「その通り。これが超越者の狙い。でもそれだけじゃない。やつが支配した企業の中には半導体製造に欠かせない重要な会社が入ってる。」
「半導体ってそんなに重要なんですか?」
「半導体は、軍事システム、自動車、スマートフォン、AI、医療機器、通信、電力管理——あらゆる分野がそれ無しでは成り立たないわ」
「そんなに多くの産業に……」
「もし半導体素材の提供を止められでもしたら、世界中の経済が麻痺するわね。」
「そんなの、全世界が人質に取られているようなものじゃないですか!」
「今の超越者は、『あらゆる暴力のその支配下に置いた』と言っても良いわね」
アレックスは机を強く叩いた。
「いま世界で最も重要な企業の経営権が、超越者の手の中にある。超越者がもしも『この企業の技術は某国に売るな』と命令すれば、それは絶対になる。逆に、『この国のために新型兵器を開発しろ』と言われたら、その通りになるのよ!」
同僚は震えた声で言った。
「そんな……つまり、超越者が軍事、金融、テクノロジーの全てを握ったってことですか?」
「……ええ。そして、今さらどう足掻いても、もう止められない」
アレックスは肩を落とし、深いため息をついた。
「気づくのが遅すぎた……」
モニターの中では、買い占められた企業の株価が異常な速度で上昇していた。お金を奪われた国も企業も人も、誰も超越者を止めることはできなかった。
「早く大統領に知らせないと……」
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