虚無の支配者 ― 選択を誤ったら世界の終わり

@anoyr01

第1話 超越者

2023年秋。専業トレーダーのケンジは株で負け続けていた。


「はぁ…マジでふざけんなよ…なんで俺が買った瞬間に下がるんだよ…」


ケンジはチャートを睨みつけながら、拳を机に叩きつけた。今日もまた負けた。寄り付きで買った銘柄は、午前中こそ順調に上がっていたのに、昼休み明けに大口の売りが入って一気に急落。狼狽して損切りした直後に反発するという、最悪のパターンだった。


「クソが…アルゴの仕業か?機関の嫌がらせか?いや、そもそもこの会社がダメなんだよ…経営陣が無能だからこうなるんだ…!」


怒りに任せて匿名掲示板を開く。すでに荒れているスレッドを見つけると、キーボードを叩く手が止まらない。


「M社の経営陣、マジで無能。こんなクソ企業の株買う奴いるの?w こんなの持ってるやつ、頭おかしいだろww」


投稿ボタンを押した瞬間、少しだけ気が晴れる。だが、それも束の間。


「…俺、何やってんだ…」


画面に映るのは、真っ赤に染まった評価損益の数字。生活費を稼ぐどころか、どんどん資金が減っていく。


「こんなはずじゃなかったんだよ…専業になれば、もっと自由になれると思ってたのに…」


溜め息をつきながら、冷めたコーヒーを一口すする。どこかで間違えた。だけど、どこを直せばいいのか、もう自分でも分からない。



虚な目で匿名掲示板のスレッドをスクロールしていると、ふと目に留まる書き込みがあった。


「6564 3日後急騰 アクティビスト」


投稿者の名は〝超越者〟というハンドルネーム。


ケンジは鼻で笑った。


「またかよ……」


仕手株の煽り。毎日のように掲示板に湧いては消える、根拠のない買い煽りの類。特に「3日後急騰」とか、いかにも素人を釣ろうとする安っぽいフレーズだ。



「6564...ふーん。MDKホールディングスか」


冷めた視線で銘柄を検索し、チャートを開く。値動きは振るわず、出来高も中途半端。何の変哲もない小型株だ。


「こんなのに引っかかる奴がいるから、いつまで経っても負け続けるんだ。バカめ。」


その言葉が自分への特大ブーメランであることにも気が付かず、ケンジの目はなぜか画面に釘付けだった。


「6564 3日後急騰 アクティビスト」


投稿者の名前は 〝超越者〟 。


「……超越者?」


妙な名前だ。煽り屋にしては珍しく、過去の投稿が一切ない。普通、こういう類の投稿者は短期間で大量の書き込みを残しているものだが、この〝超越者〟という人物は、なぜか一切書き込みをしていない。


「……もしかして」


いや、くだらない。俺はこうやっていつも騙されてきたんだ。


そう思いながらも、ケンジの中で何かが引っかかっていた。無視すればいいのに、頭のどこかでその名前がこびりついて離れない。


——なぜか、気になる。




「それにしても〝アクティビスト〟ってなんだ?」


ケンジは「アクティビスト」という言葉に引っかかった。


「アクティビスト……まあ、企業に口出しして経営を動かそうとするファンドとか投資家のことだよな」


ぼんやりとした知識はあるが、具体的に何を指しているのかはわからない。


「MDKホールディングスにアクティビストなんか参入してたか?」


興味半分、疑い半分でMDKホールディングスの最近のニュースを調べる。特に目立った報道はない。


「……やっぱりデタラメか?」


それでも、なぜか気になってしまう。


——「3日後急騰」


普段ならスルーするはずのこの言葉が、まるで呪いのように頭の中を回り続ける。


ケンジはMDKホールディングスをウォッチリストに入れたものの、正直なところ、それほど期待はしていなかった。


「どうせデマ投稿だろ」


そんな風に考えながらも、どこかで引っかかるものがあった。だからこそ、ほんの少しだけ注意を払うことにしたのだ。


そして3日後——


ケンジは何気なく相場をチェックし、思わず息を呑んだ。


MDKホールディングス +27.8%


「……は?」


目を疑った。普段は閑散としていたはずの銘柄が、まるで別物のように出来高を伴って急騰している。


慌ててニュースを確認する。そこには、驚くべき文字が並んでいた。


『デールトンインベストメント、MDKホールディングスの5.2%を取得』

『経営改革を要求か?市場の期待高まる』


「デールトン……?」


聞き覚えのある名前だった。海外のアクティビストファンドで、これまでにも幾度となく日本企業に介入し、経営改善を迫ってきた実績がある。彼らが本気で動いた銘柄は、短期間で株価が跳ね上がることも珍しくない。


「本物のアクティビストだ……!マジかよ……」


ケンジは手のひらに汗を感じた。


——超越者の投稿は的中した。


たまたま当たっただけなのか?それとも、何か確かな情報を持っていたのか?


「……これ、ただの戯言じゃなかったってことか?」


あの時、もし買っていたら。


頭の中に、タラレバが渦巻く。



「超越者……お前は何者なんだ?」


ケンジの中で、単なる掲示板の書き込みに過ぎなかった〝超越者〟の存在が、急に大きく膨らみ始めていた。



ケンジはそれから毎日匿名掲示板をチェックしたが、相変わらず企業の悪口や無駄な言い争いばかりが続いていた。3日前の超越者の投稿について触れている者は誰一人いない。あの投稿が的中したことを知っているのは、自分だけだ。胸の高鳴りを感じた。


「俺だけが知っている……」


そう思いながら、ケンジはスクロールを続けた。そして、ようやく〝超越者〟から待ちに待った2回目のレスが投稿された。


「5243 5日後 寄らずのストップ高 G社と提携」


ケンジは息を呑んだ。今度もまた予言が的中するのか?


「5日後、か……。それに理由は『G社と提携』?あのネット広告世界最大手のG社か?!」



ケンジは興奮を抑えきれなかった。大儲けを予感した。


次の日、ケンジは超越者の言葉を信じて5243を余力限界まで買い集めた。数日後、超越者の予言通り、G社との提携が正式に発表され、ケンジのテンションは最高潮に達する。


「よっし!!きたー!!」


しかし、株価は予想に反して動かなかった。どんなに待っても、その日の株価は反応しなかった。ケンジは焦りを感じ、掲示板で超越者に対して不満を書き込んだが、返事は一切なかった。


「……おい、おぃ、嘘だよな??

いくら買ったと思ってんだ!」


その不安を抱えたまま翌日を迎えた。夜はもう手放してしまおうかと悩んでいた。


しかし翌朝、東証の市場が開くと、5243の株価が動いていないことに気がつく。


「え、取引停止?ストップ安とかじゃないよな?」

ケンジは心臓が止まりそうになる。


確認すると、値幅制限まで板は急騰していた。


「……ストップ高だ……!!しかも〝寄らずの〟」


『寄らずのストップ高』とは、その日一度も値段がつかないストップ高のことを指す。だから株価は動かず、売買は翌日以降に持ち越される。


G社との提携が発表されたその日は株価は動かず、後になって株価が遅れて反応したのだ。多くの人はニュースで株価が上がらない時点で手放してしまう。


けれども結局、超越者が言っていた通り、ぴったり5日後に株価が急騰したのだった。


ケンジはその瞬間、全身に稲妻が走ったのを感じた。

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