第36話 隙あり
「僕が相手だ」
イタリアーナ将軍にして現女王の従兄弟、パウロだった。金色のくせっ毛にまで血しぶきが飛び、赤黒く染まった瞳から切れ長の瞳が爛々と輝いている。
カルロス危うしと見て、紅の旗艦から船をこぐための櫂を伝って飛び乗ってきたのだ。
手にした剣は刀身が広い直剣、カットラス。刀身は騎士が陸上で用いるツヴァイハンターやブロードソードに比べやや短く、船上での取り回しが便利になっている。
片刃の刀身には軽量化と血抜きのための溝。
鞘にはイタリアーナ王室の獅子の紋章が彫られていた。
「こしゃくな若造め……」
イザク・パシャは他の将兵に比べ若いパウロに一瞬怪訝な顔をしたが、下あごから首筋にかけ刻まれた傷痕を見て目を細める。
「その若さに傷…… さんざんトルティーアの船を荒らした、パウロ・ファルネーゼか」
「荒らしたとは人聞きが悪いな。海賊退治だよ。というか商船を襲う海賊が将軍になるなんて、トルティーアも見る目がないね」
「戯れ言を! タンジュの神の慈悲深さゆえよ」
イザク・パシャの半月刀が目標を切り替え、パウロに襲い掛かる。こめかみを狙った容赦のない一撃だったが、パウロは難なく受け止めた。
イザク・パシャの顔が驚愕に歪むが、パウロを見てすぐに獰猛な笑みを浮かべる。
「少しはできるか。その身なりからして高位の異教徒。獲物が二匹もやってくるとは」
カルロスは槍を握って足に力を込めるが、黄金の甲冑からのぞく顔が苦痛に歪んだ。
「後は僕がやります。兄さまは義理の従弟の活躍をご覧になってください」
腰を入れた一撃で半月刀をはじき返し、パウロが反撃に移った。
絶え間なく揺れる船上で、パウロは重心を巧みに動かして体のバランスを崩さない。
海運国家であるイタリアーナではほぼすべての成人男性は船旅を経験している。
十を超えたころから度々商船の護衛で海賊討伐に加わっていた彼にとって、船上など庭と変わらなかった。
右へ左へと、カットラスの一撃一撃がうなりを上げてイザク・パシャを襲う。
カルロスの槍に比べリーチは短いものの小回りが利き、縦横無尽な攻撃が可能となる。
加えてある時は船のマストに飛び移り、ある時は垂れ下がった帆の陰から攻撃を繰り出す。
手にしたカットラスは刀身が広く重量があるため、腰を使って回転力を活かした胴薙ぎの威力が高い。また重力を活かして振り下ろす面打ちの攻撃も十二分な衝撃力があった。
カットラスと半月刀がぶつかり合い、戦場に火花が散る。
筋骨隆々としたイザク・パシャと細身のパウロでは体格があまりにも違う。だが武器の特製を存分に活かし、不利を補っていた。
「ちっ……」
少年だからくみしやすいとなめてかかっていたイザク・パシャの顔に焦りが浮かぶ。
怒りの形相と共に半月刀で猛然と突きを放ってきた。
本来、半円に沿うような形状の半月刀は斬撃を主体とした武器である。
だが切っ先で浅い傷を負わせることはできる。
パウロの目、首筋、カットラスを握る指先。
わずかな傷で致命傷になる部位を狙い、蝶が舞い蜂が刺すように猛然と突きを放つ。切っ先がぶれ、残像で半月刀が増えたように見えるほど。
だがパウロは焦る様子もなく、カットラスの幅広の刀身を盾にしたり、体を半身にして突きの的を小さくしたり、刀身を斜めに突き出して半月刀の軌道を反らすことで対応した。
戦場には慣れている。シュパーニエンのプエルト宮殿を訪れた時にぐるぐると鳴っていた腹は、今完全に落ち着いていた。
「甘いね。ヴァレッタのシゴキに比べれば止まって見えるよ!」
イザク・パシャとの死闘の真っ最中だというのに、パウロの脳裏には幼いころの
思いがよみがえってくる。
剣を振り始めた頃は構えるだけで手が震え、素振りをするだけで転び、家臣と打ち合うだけで怖くて仕方がなかった。
剣の才能がないと視線でささやかれたことも一度や二度ではない。
だが今ではこんな不安定な場所でも戦える。これほどの強敵とでも打ち合える。
これも全てクリスティーナのため。
クリスティーナを泣かせないために剣を稽古し、クリスティーナを守るために海賊やシュパーニエンの兵と戦って強くなった。
クリスティーナの。
クリスティーナのために……
座り込んだままのカルロスとパウロの目が刹那の間、合う。
クリスティーナはこの男のもとに嫁ぐ。
クリスティーナが。
クリスティーナが。
クリスティーナが……
「隙あり!」
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