第34話 異教徒どもを駆逐せよ
旗艦に控えていたクリスティーナの周りにも、砲撃をくぐりぬけたトルティーアの船が近づきつつあった。
帆柱も櫂までも深紅に塗られた旗艦は、敵味方入り乱れる船上にあってもとりわけ目だつ。だが旗艦が怯えて引っ込んでいては将兵を勇気づけることなどできはしない。
勝利とは、リスクを背負って初めて得られるものなのだ。
「フォーコ・フリーチャ」
愛用の弓から放たれた神の秘蹟が、トルティーアの大型ガレー船に突き刺さる。数百の矢と火矢により兵が斃れ、船が火に包まれても兵の迅速な入れ替えと見事な消火作業で、旗艦の目と鼻の先にまで接近してきた数少ない船だ。
それが矢羽までも深紅に塗られたたった一本の矢で、一瞬のうちに火だるまと化した。
「ぎゃあっ!」
「あつい、あつい!」
「助けてくれ!」
帆も甲板も業火に包まれたガレー船から、次々と将兵や船乗りたちが海に飛び込んでいく。
これがイタリアーナがディオスの神から与えられた秘蹟。
異教徒との闘いの中のみで発動する、神の火。
だが今回はシッタ・デ・マーリでのデモンストレーションとは違い多くの生きた人間が船に乗っていた。
ほとんどは海に飛び込んで難を逃れたようだが、数多くの者が全身を焼かれ、のたうち回るのが見えた。
「女王陛下、これを」
戦場でもメイド服に身を包んだヨハンネは、顔色一つ変えず二の矢をクリスティーナに手渡す。それを弓につがえるクリスティーナの手にためらいはなかった。
やらなければやられる。すべての人を救いたいという甘い考えは、コンスタンティノーポリが陥落した際にすべて捨てた。
悲鳴をできるだけ聞かないようにしながら、クリスティーナは二発目を放った。
赤地に半月の旗を掲げた船は次々と炎上していくが、それでも漕ぎ手が船の横腹から突き出た櫂を操る手はとまることはない。
手を止めれば櫂の漕ぎ手を打つ鞭が剣となって首に振り下ろされるのだ。トルティーアの船を進ませる漕ぎ手たちは皆、奴隷だった。
海戦に慣れないはずのトルティーアの軍の中で、見事な操舵と櫂の操作でフォーコ・フリーチャの秘蹟とガレアッツアからの砲撃を巧みにかいくぐる船が数隻あった。
「あの深紅の船だ! 進め進め! ひるむものは斬り捨てろ!」
その中の一隻に乗るのがトルティーアの将軍、イザク・パシャだった。
マルタ島での敗北の責任を追及されはしなかったものの、他の将軍たちが自分を見る目が冷たくなっていることは事実で。
この戦いで汚名を返上しなければ現在の地位が危うい。
櫂を漕ぐ奴隷たちの背中に鞭を振り下ろさせながら、必死にクリスティーナの乗る船へと近づいていく。
他の船が盾となり、運よく櫂がかみ合う位置にまで接近した。
弓を引くクリスティーナを間近で見据えたイザク・パシャは、半月刀を握る手に力を込める。
「あの女を捕らえれば」
同時に、むき出しになった二の腕と肩、弓を持つ左腕の脇に視線が吸い寄せられる。
「わが婚約者に対しずいぶんと無礼な振る舞いだな!」
帆柱までが深紅に塗られた旗艦の横に付いていた、帆柱も櫂も純白に塗られたシュパーニエンの旗艦。そこに立つのは黄金の甲冑を身にまとったカルロスだった。
船首に立ったカルロスは穂先と柄が十字の形になった愛用の槍を手にし、イザク・パシャの乗る船をにらみつけている。
「ディオスの神よ、今こそ裁きを」
カルロスが胸の前で十字を切り祈りを捧げると、槍が黄金色に輝きだす。ろうそくほどの明るさは見る間に眩しさを増し、目もくらむばかりの光となった。
次にその光は槍の切っ先へと集まり、見る間に太陽のごとき輝きとなる。
「『ランチャ』!」
カルロスは槍をイザク・パシャの乗る船へと向け、力ある言葉を紡いだ。
構えた槍から目もくらむような光が発せられ、戦場を包み込む。
ディオスの神はこの世界をお創りになった時に「光あれ」と言った。
その言葉を体現するかのようなシュパーニエンの秘蹟、ランチャ。
「取舵一杯!」
イザク・パシャの乗る船は光に包まれる直前に舵を切り、櫂を漕ぐ方向を片側だけ反対にして大きく右へと進行方向を曲げた。
船団を包んだ光が徐々に消え、将兵の目に視界が戻ってくる。
イザク・パシャの船は回避が間に合い間一髪で直撃を避けたが、槍の射線上にあった別の船は直撃を受けていた。
張られた帆が煤けたぼろ雑巾のように帆桁からぶら下がり。
帆柱はヒビの入った炭のように黒焦げのまま棒立ちになり。
甲板に立っていた兵士や奴隷は影だけを残して白い蒸気と化していた。
後に残ったのは、例えるならば黒焦げになった幽霊船。
これがシュパーニエンに伝わる秘蹟、『ランチャ』。槍から発せられた雷ですべてを薙ぎ払う神の秘蹟。
そのすさまじい光景に敵も味方も我を忘れて立ち尽くしていた。
「我が領土より異教徒どもを駆逐したこの聖なる力! 思い知るがいい」
カルロスの槍に新たな光が輝き始める。
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