退職後はフリーランスの予定だったのに異世界の漂流者になっていた

戸間とまと

第1話 漂流

 おれは今日、10年勤めたIT関係の会社を辞め、フリーランスのエンジニアとして生きていく道を選んだ。


 今まで仕事に打ち込み、35歳で独身。人付き合いが苦手で飲みに行くことも無いおれには友人も少ない。むしろ人付き合いを煩わしく感じて1人の時間を好んでる節がある。人と楽しい時間を過ごすことと1人で家で読書に勤しむことを選ぶ機会があれば間違いなく毎回後者を選ぶだろう。物理や化学について知識をつけながら妄想を膨らませるのが生きている中で最も幸福を感じる時間だ。


 何にも縛られない開放感を体全体で実感しながら職場から最後の帰路につく。これからの生活への期待、そして不安。そういった様々な感情が自分の中で渦を巻き、床も天井も無く、なにかに捕まっていないとどこかへ漂ってしまいそうな、そんな不思議と心地よい浮遊感に包まれる。明日起きる時間を気にする必要も無く、どこに寄り道しても、何に時間を使っても良い、無数の選択肢が自由の象徴だ。


 1人で自由な時間を謳歌するためか、あるいは長年染み付いた行動パターンは簡単に変わらないからか、数ある選択肢の中からおれはまっすぐ家に帰ることを選ぶ。ただ、1点いつもと違うことがあり、それはこのふわふわした状態から世界にしがみつきたいと思ったからか、あるいは単純に誰かと話したくなったからか、おれは数少ない友人の1人にチャットアプリで連絡をとる。


 おれ:仕事辞めてきた、これから個人でやっていこうと思う。


 すると友人からすぐに返信が来た。


 友人:まじで!?上手くいってそうだったけど、何かあったの!?


 友人からの返信は早かった、おそらく相手も仕事が終わって余裕があったのだろうか。


 おれ:いや、何も無いよ。ただ……技術も発展して、働き方もどんどん変わってきてるから、今までとは違った生き方をしてみようと思って。


 退職は思いつきで、本当はそんなに大きな理由は無かったがそれらしい理由を答えた。厳密にはストレスが積み重なっていたんだろうけど、潜在的な同期はおれ自身分からない。ただ、なんとなく今辞めないといけない気がしただけだった。


 友人:確かに、個人で仕事する人増えてるし、AIの進化でどんどん仕事が無くなるとも言われてるし、良いかもね。ただ、おれも個人だけど、良いことばかりでもないよ?




 明日の予定も決まって無いおれは、帰宅してからも友人とダラダラと他愛もない話をしながら過ごしていると、気づいたら夜中になっていた。


 おれ:おれさ、漫画とかアニメのようなファンタジーな世界って実はあるんじゃないかって思ってるんだよね。


 友人:お前、前もそんな話してたよな、物理がなんとかって?


 おれ:量子力学と反物質ね。


 学生の頃から物理や科学が好きだったおれは、色んな本を読み漁って勉強しては、よく妄想をしていた。


 簡単に言えば、量子力学は物理法則では予想できない事が起こる目に見えない世界で、反物質は現実に存在する物質と対になる物質が存在していて互いが接触すると消滅してしまうというもの。具体的な研究が進んでいないこれらが、実は意図して人間が認識出来ないようになっていて、それを認識できた時にファンタジーな世界が存在するんじゃないかというのがおれの考えだった。


 友人:そんな事が実際に合ったら面白いと思うけど、夢物語だよね。現実なんてそんなものじゃん?


 おれはオカルトを信じてる訳では無いし、むしろリアリストだ。自分の妄想が現実にはありえないことは自分でもよくわかっていた。

 

 おれ:現実は小説より奇なりって言うし、ロマンは生きる活力だよ。


 夜は更けていき、気付けば夜中の2時を回っていた。


 おれ:もし人間が認識出来ない世界が認識出来た時、自分自身は消滅しちゃうのかな……

 

 おれ:ふと思ったけど、AIが人間の知識を集積し続けて、いずれ人間を超えた時、AIは意識を持ったりするんだろうか。


 友人からの返信は途切れた。おそらく寝たのだろう。


 おれ:AIが人間が認識出来ない世界まで認識して、そしたら世界自体が消滅したりして……。


 おれは1人で考えを巡らせながら、独り言のようにあるいはメモ帳代わりに友人に連続して文章を送ると満足して眠気に支配された。


 おれも寝るか…………。


 


 ***



 

「キミにはふたつの選択肢がある」


 どこかから聞き覚えのない、でもどこか落ち着く声が聞こえてくる。


「そのまま消滅するか、使命を全うするか、どっちでも良いよ」


 その声はおれの周りで聞こえてる。


「それはキミなのかもしれないし、キミじゃないかもしれない」


 どこかからおれに話しかける声は、その度に別の方向から聞こえているようだ。


「でもそれは重要な事じゃないんだ」


 声はだんだんはっきり聞こえてくる。


「どっちにしたってキミが選べる選択肢は変わらない」


 おれは夢を見ているのだろうか。


「もう決めたかい?」


 ぼーっとした頭で、おれはその声に返事をする。


「やることがあるなら、やらないといけないんだろうね。」


「それがキミの選択だね?」


「うん、そうだよ。」


「世界の真理、存在、消滅、それは全部、キミにしか見えないし、キミだけが見えない」


「どういうこと?」


「全部キミが知ってるし、キミは何も知らない」


「意味がわからないね。」


「それが分かった時、キミは成し遂げてる」


「何をすれば良いの?」


「…………そのままでいいよ」


 おれの意識が薄れていく。再び眠りにつくのだろう。考えすぎて変な夢を見てるようだ。




 ***



 

 目を覚ますと、見たことのない荒野が広がっていた。頭がぼんやりとし、何が起こったのか理解するまでに時間がかかった。乾いた風が肌を撫で、遠くには山々が連なっている。


ここは…どこだ?


 周囲を見渡しても人影はない。昨夜夢の中で声を聞いた気がするが、はっきりと思い出せない。問題は、これは夢なのか現実なのか、そしてここはどこでなぜここにいるのか。見渡す限り荒野が広がり、人の気配もなければ人工物も無い。誰かに質問するか、あるいは周囲の物や景色から現在地に関するヒントを得るにしてもなにかある場所までは移動しなければならないようだ。


とにかく、進むしかないか…。


 意を決して、荒野の道を歩き始める。空は青く澄み渡り、鳥の鳴き声も聞こえない静かな世界。足元の砂利がジャリジャリと音を立てるたびに、現実感が増してくる。昨晩はラフな格好でベッドで寝ていたはずが、今は何故か私服に身を包み靴も履いている。これが現実だとしたら、おれは夢遊病なのか、寝ている間に誰かに服を着せられ運ばれたのか、自分の意思で外出したがその後の記憶を失っているのか、いずれにしても事件性が無いことと、他者に迷惑をかけていないことを祈りたい。




 どれほど歩いただろうか、時計をつけていないから時間が分からない。整備されていない道を歩き続けるのはなかなかの重労働で、体の疲労からはかなり長い時間歩いていたように感じる。学生の頃は運動部に所属していて、会社員になってからも日常的にランニングをしていたおかげでそこそこ体力がある事を幸いと感じる一方で、この疲労感は夢ではなく現実なのだという実感が焦燥感を煽る。


 人間以外の動物や虫も見当たらず、安全という意味では吉だが、生態系が形成されていないということはおれも生きていけない環境であることを意味する。食べ物や飲み物も持っていない状況でこのままなにも見つからなければ餓死してしまうだろう。もしかすると、そうなった時にようやくようやく夢から覚めるのだろうか……


 疲労で頭もあまり働かなくなってきた頃、視界の先に池のような物を見つけた。夏のアスファルトに見える蜃気楼、いわゆる逃げ水と呼ばれる光の屈折で見える幻想の可能性があるが、おれは一縷いちるの望みをかけて走り出した。




 近くまでくると、池だと思っていたものは両端に流れの続きがあり、実際は細い河川だった。水は澄んでいて飲んでも問題ないように思えるが、綺麗に見えても細菌や微生物を警戒して煮沸しないと食中毒に見舞われる可能性がある。そんなことは頭ではわかっているが、これから先も飲食の確保が出来ないのではないかという不安に苛まれながら長い時間歩き続けたおれはリスクを顧みずに川の水を掬って口に運んだ。食中毒になったとしても、何も飲まないよりも良いし、それで死んだとしてもこの状況から解放されるという思いがおれの行動を後押ししていた。


 おれは満足いくまで水を飲んで、あてもなく歩いていたさっきまでと比べていくらかリラックスする事が出来ていた。水はどうやら安全だったようだ、現時点で体に不調は無い。水では空腹は解消できないが、なにも飲めないよりはマシである。それに、川があるなら他に生命の営みがあるかもしれない、つまり食料も確保出来るかもしれないという希望も生まれた。目下の悩みは日が落ちたあとどうするかだ、家屋はもちろん灯りもない中で丸腰で野営しなければならない。本当に周りに動物が居ないなら安全だが、夜行性である可能性も否定出来ない。


 本当に、ここはどこなんだろう……


 改めて現在地に疑問を持つ。国内だとしたら福島県に似たような景色があるのをネットで見た気がするが広大で何も無い様子はどちらかと言うとアメリカの国道のようだ。どちらにしても都内近郊に住んでいたおれが一晩で来たにしては遠すぎる。それに今まで歩いていて車の車輪のあとや人の足跡も見かけていない。


「そろそろキミもこの世界の歯車として認識されるみたいだね」


 考えを巡らせていると頭の中に声が響いた。夢で聞いた声だ。


「誰だ……?」


「あるべき形に収まった時、会うことになるだろうね……」


「どういう事だ?」


 声の主を探して辺りを見回すと何かがものすごいスピードでこちらに向かってきているのが見える。飛んでる、どちらかと言うと浮いているという方が正しいのかもしれない。車のような乗り物が地面から浮いた状態で滑るようにして荒野を進んでいる。


 あれは人が乗ってるのだろうか。おれは両手を上げ敵意がないことを全身で表現しながら存在をアピールする。車のような乗り物は徐々にこちらに近づいてきて、そして……


「うわっ、危なっ!!」


 間一髪で横に飛び避けたが、ブレーキを踏むこと無くおれに向かって突撃してきた。そして視界の隅で見えたその車のような"それ"には運転席が無かった。


「誰も乗ってない!?」


 それは1度遠ざかったと思ったらUターンしてまたこちらに向かってくる。"それ"はどうやらおれを狙っているようだ。


「これは、狙われてる!……!?」


 なにもせずに轢き殺されるより少しでも抵抗しよう、そう思ったおれは岩陰に向かって走り出した。


 そして……


「うっ」


 必死に走り出し岩陰に飛び込み……ギリギリで間に合った。迫り来る"それ"はおれが隠れた岩を掠め、当たった場所は衝撃で削れていた。岩陰から詳しい様子は見えなかったが、"それ"が岩にぶつかった衝撃の後に少し離れたところでまるで交通事故のような大きな音が聞こえた。


 恐る恐る岩陰から様子を見ると、"それ"にとってもぶつかった衝撃は大きかったようだ。横転してひしゃげた"それ"が荒野に転がっている。援軍があるかもしれないことを考えるとこのまま身を隠していた方が良いかもしれないが、ここがどこなのか知るためのようやくの手がかりだ、おれは近づいて観察することにした。


 ひしゃげた物体には人が乗る席は無く、またナンバープレートのような手がかりも無かった。素材は金属のように見えるが、厳密には分からない。ガソリンやオイルが漏れている形跡が無い所を見ると、おれが知っている動力とは違うようだ。燃焼ではなく電力などで動いていたのだろうか。


 観察しているとまた遠くから何かが近づいてくる。


「まずい、これの援軍か……」


 近づいてくる物体はこの車と同じように地面を滑るように移動していて形状はバイクに似ている。ただ、先程と違って今度は人が乗って操縦している。バイクは徐々におれに近づいてきて、突撃してくることはなく近くに停車した。


「おー兄ちゃんこれあんたがやったんか?」


 バイクから降りてきたのは髪を短く切りそろえた若い快活な女性で、おれに対して気さくに話しかけてきた。声の様子から車は壊してはいけないものでは無かったようだ。


「あー、おれというか……急に襲われて、避けたらこんな感じ……」


 おれは故意に壊した訳ではなく、襲われて仕方なくといった状況を伝えた。


「へー、やるじゃんあんた!」


 その女性はニコニコと機嫌が良さそうだ。なにか分からないが褒められた。なんにしても、敵意のない人間と話せるのはまたとないチャンスだ。


「おれは今こうやって何とかギリギリで生きてるんだけど、ここがどこか分からなくて、教えて貰えると助かるんだけど……寝て起きたら荒野のど真ん中だったんだよね……」


 おれは自分でもよくわかっていない現状をそのまま伝えた。


「区域で言うとセントラルだけど、兄ちゃんどこから来たん?」


 おれはなんと答えれば良いか悩んだ、言葉が通じている以上日本のどこかなんだろう。でも正式にセントラルという地名は無いから、地元民の中で根付いている呼称かなにかだろうか。とりあえず自宅がある県を伝えてみることにした。


「家は神奈川県にあって、自宅で寝てたはずなんだけど……ここって結構遠いところにあるの……?」


 おれの言葉を聞いて女性は首を傾げながら訝しむようにこちらを凝視した。


「カナガワケンってなんだそれ?」


 東京都と比べれば確かにメジャーでは無いかもしれないが、神奈川県を知らない日本人が果たしているのだろうか。


「バカにしてる訳じゃないけど、日本とか、東京都とか、分かるよね……?」


 おれは一応聞いてみる。すると女性はまた首を傾げた。


「何それ?」


 話をしているとバイクがもう1台近づいてきた。どうやらこの女性を追いかけてきたようだ。


「お姉ちゃん、やっと追いついた!って、こちらの方は?」


 追いかけてきたバイクから女性が降りてきた。どうやら2人は姉妹のようだ。2人とも美少女と言える容姿で、姉妹と言われれば確かに赤みがかった茶色の髪や顔のパーツは似たところがあるが、髪は短く切りそろえられ男勝りな堂々とした雰囲気の姉と、対照的に肩の辺りまで伸びたふんわりとした髪で優しく柔和な雰囲気の妹は他人だったとしても納得出来る。


「分かんないけど、カナガワケン?とかニホンとかそんなところから来たらしいよ?」


 どうやらこの3人の中ではおれの方が常識が無いようだ。2人から見るとおれは意味の分からない単語を言う不審者なのだろう。


「あっ!」


「なんや急に!?」


 妹の方が急に何かを思い出したようだ。


「漂流者なんじゃない?」


 それを聞いた姉はなにか納得がいったようだ。


「あー!その可能性があるか!そしたら、とりあえず保護する?」


「その前にお姉ちゃん、この方の名前は?私はメイで、こっちはお姉ちゃんでランです。」


 妹はにこやかに自己紹介してくれた。おれも自分の名前を名乗ろうと思ったが……今まで必死に歩いてたから気づかなかった、自分の名前が全く思い出せない。


「名前が思い出せない……」


 おれは苦笑いしながら答えた。どこから来たかも分からなくて名前も隠すとなればいよいよかなりの不審者だ……


「そしたらまぁいっか、色々あったんやろ。思い出したら教えてくれたら良いけど、でもなんも無いと呼ぶの不便だなぁ……」


 姉のランはおれが名前を思い出せないことをあまり気にしていないようだ。妹のメイの方を見ると、同じく気にしていない様子。おれは苦笑いしながらとりあえずの名前を名乗ることにした。


「そしたら、とりあえずヒューって呼んでもらおうかな……」


 自分の名前は思い出せないのに論文関係の名前は覚えてるとは、一体どうなっているんだろうか……


「あいよ、ヒューね。」


 ランはそういうとポケットからなにかを取り出してスクラップになった車のような物にかざした。すると、なにかの手品だろうか、瞬く間にスクラップは消えてしまった。


「消えた!?」


 驚いた様子のおれにメイがにこやかに説明してくれた。


「これはPSD(パーティクル・ストレージ・デバイス)、物質を粒子にして保管する道具ですよ。」


 今見ているものが現実だとしたら、おれは見知らぬ土地にたどり着いたまさしく"漂流者"なのだろう。

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