第8話:不穏な帰宅

 リースが口にした「ユウキ・マモル」という名が、医療区画の空気を一変させた。

「……詳しい話を、場所を変えて聞かせてもらおう」

 “准将”は低い声でそう告げると、ケイ、フランク、そしてまだ足元の覚束ないリースを促し、アジトの奥へと歩き出した。


 案内された「作戦室」は、古い駅長室を軍事用に改装した空間だった。  壁一面にはパリ市街の精密な立体地図が投影され、赤と青の輝点が、ゼノリス軍とレジスタンスの配置をリアルタイムで示している。  中央に鎮座する大型の戦術ホログラムテーブルだけが、ここが単なる廃駅ではなく、最前線の指揮所であることを主張していた。


 席に着くや否や、ケイは逸る気持ちを抑えきれずに切り出した。

「リースさん、父と連絡がつかないって、本当ですか?」


「あなたこそ、ご家族なのでしょう? 自宅に連絡は取れないの?」

 リースの言葉には、静かだが鋭い棘があった。ケイは、責められているような居心地の悪さと、父への不甲斐なさを感じながら答える。


「……母が亡くなってからは、研究室に泊まり込みで、何日も家に帰らないことも多くなって、最近では連絡を取ろうとしても、返事すらなくて……」


「不躾なことを聞いてごめんなさい」

 ケイの表情に陰りを見たのか、リースの声が少し和らいだ。


「……父がご迷惑をお掛けしたようで、すみません」

「あなたが謝ることではないわ。それにユウキ大尉は、以前から何かを警戒している様子だった。『私に万が一のことがあれば、AIは息子に託す』と、そう漏らしていたこともあったわ。その時は冗談かと思ったけれど……AIを渡したくない『誰か』がいたのかもしれない」


「AIを、俺に……?」

 ケイは眉をひそめた。

「いえ、父からそんな物は預かってません。そもそも、まともに会話すら……あっ!」

 ケイの脳裏に、昨日の朝の、些細だが奇妙な記憶が蘇った。


「何か思い出したのかね?」 “准将”が、鋭い視線でケイを促す。


「はい。勘違いかもしれませんが……昨日の朝、自分宛てに差出人不明の小包が届いたんです」


「中身は?」


「それが……空だったんです。緩衝材が入っていただけで、肝心の中身がなくて。てっきり、入れ忘れかイタズラかと……」


「リース君」 “准将”は、今度はリースに向き直った。


「そのAIモジュールとやらは、どのくらいの大きさだ?」


「えっと……そうですね、標準的なメモリスティックと同じくらいです」 リースは、親指と人差し指で数センチの幅を作って見せた。


「……なるほど」 “准将”は、確信したように深く頷いた。


「ケイ君、その荷物、おそらくただの『空箱』ではないぞ。底板の下か、あるいは緩衝材の中か……巧妙に偽装されている可能性がある。今すぐ確認に向かうべきだ」


「はい!」


 ケイが力強く立ち上がるのを見て、“准将”は手を挙げた。

「待て。1人では行かせられん。敵もそのAIを狙っている可能性がある」 “准将”は、部屋の隅に控えていた兵士に指示を飛ばした。


「トニー・マシューズとサラ・リーヴァスを。至急ここへ呼べ」


 数分後、トニーとサラが作戦室に入ってきた。

「お呼びでしょうか、“准将”」サラが規律正しく敬礼する横で、トニーは眠そうに欠伸を噛み殺している。


 “准将”は4人の顔を見渡し、最初の任務を命じた。

「ユウキ・ケイ、フランクリン・シェパード。そして君たち2人にも同行してもらう。4名でケイ君の自宅へ向かい、例の『荷物』を確認、回収せよ。トニー、現場指揮は君が執れ」


「へいへい、了解っと。……で、敵の想定戦力は? 監視の有無は? 脱出ルートの確保状況は? ……はぁ、いきなり面倒なヤマになりそうだな」

 トニーは気だるそうにドレッドヘアを掻きながらも、その目は鋭く光っていた。


「任務目標は、対象物の速やかな回収および隠匿。交戦規定は自己防衛のみ。了解しました」

 サラは淡々と、しかし的確に要点を復唱する。


 その様子を呆然と見ていたフランクが、突然わなわなと震えだした。

「トニーもサラも……お前ら、マジで!本職プロみてぇじゃねえか! 俺だけ何も知らずに、昨日までのほほんと大学行ってたんだぞ! 何か一声あったっていいだろ!?」


「いや、誘ったって断るだろお前」


「そりゃあ断ってたと思うけどさぁ……! 仲間外れは寂しいんだよぉ!」

 喚くフランクを、トニーとサラが「はいはい」とあしらいながら、両脇から抱えて連れ出していく。


「待て、ケイ君」

 “准将”は呼び止めると、壁際のロッカーから無骨な自動拳銃を取り出し、ケイに差し出した。


「え……俺が、ですか?」  渡された冷たい鉄の塊。そのずっしりとした重みに、ケイは息を呑んだ。


「護身用だ。使う羽目にならんことを祈るがな。……くれぐれも、油断するなよ」


「……はい」

 ケイは拳銃をジャケットの内ポケットに押し込み、覚悟を決めた表情で頷いた。 部屋を出る際、背後からリースが、不安と期待の入り混じった複雑な眼差しで見送っているのを、ケイは背中に感じていた。


 レジスタンスが用意した地味なステーションワゴンで、4人は昼下がりのパリ市街を走っていた。運転はトニー、助手席にはまだ不満げなフランク。後部座席にケイとサラが座っている。

「……なあ、お前たち、一体いつからレジスタンスなんてやってんだ?」

 フランクが、運転席のトニーに尋ねた。


「俺とサラだって、ほんの2ヶ月前からだ。ケイに至っては、まだ1ヶ月も経ってねえんじゃねえか? だからそう拗ねんなよ」

 ハンドルを握るトニーが苦笑する。


「……分かったよ」フランクは軽くため息をついた。「にしても、ケイの親父さんが、あのNFの新型AIの開発者で、しかも軍の大尉だったとはな……」


「俺だって初耳だよ……」  ケイは窓の外を流れるパリの街並みを眺めながら、自嘲気味に呟いた。


 母が亡くなってから、父との会話はいつも一方通行だった。 食卓で向き合っていても、彼の目はいつも自分たちではない、どこか遠い数式かソースコードを見ているようだった。

『お父さん、研究が大変なのは分かるけど、ちゃんと家に帰ってきてよ』

 妹のエミリがそう訴えても、父は虚ろな目で『……ああ、すまん』と繰り返すだけ。その瞳に、かつての優しかった父の面影はなかった。


(父さん……一体、何を隠してたんだよ)

 ケイは滲みそうになる涙をこらえ、拳を握りしめた。


 隣でタブレット端末を操作していたサラが、静かに口を開いた。

「ユウキ大尉が正規の軍事ルートではなく、このような回りくどい手段を選んだ。それ自体が、このAIモジュールが持つ『危険性』を示唆しています」


「ああ。つまり、俺たちはとんでもなくヤバいブツを、誰が見張ってるかも分からねえ場所に、のこのこ取りに行くってわけだ」

 トニーの声から、軽口の調子が消えた。

「……気を引き締めろよ。ここからは、ゲームオーバー=ロストだ」


 車内の空気が、ピンと張り詰める。 ケイの自宅へと向かう車は、日常の喧騒を切り裂くように進んでいった。これから始まる戦いを予感させる沈黙だけが、4人を包んでいた。



***


隠された二重底、ついに発見される銀色のモジュール。 だが、その安堵の瞬間を、無機質な電子音が切り裂く。 張り詰めた空気の中、リビングに現れた人影。 それは若者が最も会いたかった人物、そして——。 次回、『残酷な再会』。 その言葉は、銃声よりも重く響く。

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