女武芸者 七







 一四四〇年二月二日。ニュルンベルク。

 ザーラ・フォン・レヒフェルトはブルグ通りにあるラスト師ゆかりの剣術道場での稽古けいこを終え、帰途についた。

 

 ザーラは、女武芸者である。

 金髪は短く刈り、すらりと引きしまった肉体を、質の良い羊毛不織布の上着と長靴下につつみ、頭巾をかぶらずに頭に巻き、金鍍金めっきを施された革帯に長包丁ランゲス・メッサーき、足元は流行りのつま先が長い短革靴というであった。


 動きはきびきびとして、遠目には少年と見まがうほどだが、それでもなお、歩みの端々にどこか柔らかな気配がにじむ。

 濃いまゆ、すっと切れた目許を真正面に据え、ためらいなく進んでゆく姿に、行き交う者はふと振り返らずにはいられない。

 

 ザーラは今、ニュルンベルク郊外にオットー公が用意した寮で寝起きしている。

 養父母を実の親とおもいこんでいたザーラへ、

「ハイデルベルク城へもどるように……」

 と、オットー公がいってよこしたのは、フス戦争が終わり、ザーラをオットーの子として認知する事を家臣団が承知したからであった。

 

 このとき、はじめてザーラは、わが生い立ちの秘密を知った。

 ザーラを迎えたプファルツ=モスバッハ公オットーは、

「これまでのことはゆるせ、これよりは、わしが父じゃ」

 やさしげにザーラを懐柔しようとしたが、ザーラはただ一言「わたしはザーラ・フォン・レヒフェルトでございます」といったきり、堅く口を閉ざして応じようともせぬ。

 

 オットーの勘気をおそれた家臣団が、いろいろと取りなしたので、ザーラはようやくオットーの子となることを承知したが、このときから武術へ身を入れること層倍のはげしさとなった。

 ザーラが男装をしはじめたのも、そのころからなのである。

 

 家臣団とザーラは示し合わせて、オットーと距離を取るために、月の半分ほどは、ニュルンベルク郊外の寮に寝起きするようにしている。

 

 ザーラがシュピタール門を出たのは、もう晩課の鐘が鳴った後だった。

 門を出ると農民や行商人が道をいそぐ姿が見られ、馬やロバが引く荷車が土埃を立てながら行き交っていた。

 密集した都市内部とは異なり、まだ自然が残るなかにまばらに住居が点在しており、静かで素朴な雰囲気が漂っている。

 

 聖レオンハルト墓地の前をすぎたザーラは、小道を左に切れ込んだ。

 右手には提灯を持ち、左手の親指を腰帯にひっかけ、肩で風を切るようにして歩く。

 

 このあたりへ入ると、道も暗く、人の往来も絶えている。

 前面には木立と百姓地がひろがってい、景観は、まったく田園のものに変わる。

 

 ザーラは立ち止まって、

 

「雪か……」


 と、つぶやいた。

 

 その時、木陰から男が飛び出した。

 頭巾を目深にかぶり、手には棍棒。

 気付いたザーラが抜刀するより早く、男はザーラの手首を握った。

 たったそれだけの動作だが、男女の筋力差は、男がザーラの動きを一瞬制する事を可能にする。

 

 ザーラもつかまれた手首を外す手順を踏もうとしたが、その前に抱き抱えられ、頭突きで鼻を砕かれた。

 あとはもう、倒れた所を何度も殴られ、蹴られ、前髪をつかまれ引きずり起こされれば、

 

「もうやめて……。許してください……!」

 

 と、涙と鼻血を垂れながしながら、慈悲を乞う事しかできない。

 

 暴漢は、無抵抗なザーラと腕を絡め、肩関節を外そうとする。

 

「待てまてい!」

 

 そこに、走り込んできたパウルス・カルが、長剣を振り下ろした。

 しかし暴漢はそれと見ると、ザーラを突き飛ばしざまに、前方に身を投げ出し、パウルスの一撃を避ける。

 前回り受け身をとった暴漢は、身を起こすのと同時に逃亡に移った。

 そこにつぶてが飛来し、暴漢の頭に直撃する。

 もんどりを打って倒れる暴漢。

 

 パウルスは駆け寄って、縄で暴漢を縛ろうとした。

 しかし、暴漢が頭から血を流し、大きなをかきはじめたのを見て、手をとめた。

 これは、頭に致命的な損傷を受けた時の反応である。

 パウルスは、沈痛な面持ちで十字を切った。


 

 やがて、杖を突きつき、ヨハネスが現れた。

 後ろに従ったハンスが、 

 

「先生」

 

 と、注意をうながす。

 ヨハネスが振り返ると、小路の先から、長剣を構えた男が三人、走り寄ってくるのが見えた。

 

 揃いのお仕着せとみえる、薄鼠うすねずみ色の陣羽織には、ハルスドルフ家の家紋があしらってある。

 走り寄る三人組の先頭の男は、トラウゴット・ガルトナーことライムント。

 

 ザーラを襲わせた武芸者を取り押えたのがパウルス・カルだと気付いて、ライムントは愕然がくぜんとした。

 たまさかとは思われぬ。どういう次第かは判らぬが、この企みに気付かれていたと思われる。

 であれば、殺すしかない。またたく間に腹をくくった。

 繰り返すが、商家の手代ですら、そのくらいの覚悟を持っている時代なのである。

 

 ヨハネスらも、迷いなく、長剣の鞘を抜き払った。

 長剣ラングシュベルトは、この頃のリヒテナウアー系の武術書ではホールケーレの無い菱形ひしがた断面の刀身で描かれる事が多い両手剣である。

 鉄鋼技術の発展がもたらした硬い刀身は、高い切断力を得ると同時に、刀身の中ほどをつかんで短槍のように扱う事も可能にした。

 

 駆け寄ったライムントが、その勢いのままに強烈な袈裟掛けさがけをヨハネスに見舞った。

 鎖骨を絶ち、胸骨の数本もへし折らんとする激しい一撃。

 当然、けるか受け流すか、なにかしら防御の反応を予想していたが、なんとヨハネスもこうから斬り込んできた。

 ライムントもいまさら軌道を変えられぬ。

 激しくぶつかる刃と刃。鋼の甲高い悲鳴。

 欠けた鉄片が、真っ赤に灼熱して薄闇に飛び散る。

 

 ヨハネスの巨躯の圧力を受け止め切ったライムントが、アッと心のうちで驚きの声を上げた。

 刃同士がみ合って、

 ほんの一瞬の身の硬ばり。されど、生死の境にて反射のごとく応酬する肉体にとって、その些細な乱れは大きな破綻となった。

 

 剣を巻き上げるようにひねるヨハネス。

 刃のみ合いからはずれたヨハネスの刀身の根本が、敵の切っ先を逸らし、同時にこちらの切っ先がライムントの喉を三寸突き込んだ。

 この刃の噛み合いバインドからの「巻き」ヴィンデンと称される技法こそ、ヨハネスの説く剣術の芸術クンスト・デス・フェヒテンスの根幹を成すものである。

 

 のけぞり、一歩下がったライムントは、膝をついた。

 喉に手をやり、桃色の泡に染まった掌を見て、絶望の表情を浮かべた。

 彼はヨハネスに、懇願の視線を向ける。

 

 ヨハネスは、ひとつうなずいて、左手を柄頭から刀身に滑らせた。

 刃の中ほどを、万力のごとき指力でつまむ、中取りハーフソードの構え。

 そこから、狙いすました一撃をライムントの胸に突き込む。

 鋭い切っ先が、あばら骨の間をつらぬき、ハルスドルフ家の用人の心の臓をえぐった。





https://48707.mitemin.net/i1040411/

https://48707.mitemin.net/i1053022/


ヨハネスが使った技法①(バインドからのヴィンデン)

https://youtu.be/zwCJ7w-JH00?si=d0TlAK5rydZUtzwk


ヨハネスが使った技法②(ハーフソーディング)5:06~6:15 ぐらい

https://youtu.be/vwuQPfvSSlo?si=gT3jzw9F4tUVK3C3&t=306

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