第二十七話 軽くキスして


「ほら、食べて!」


 テーブルに向かい合って、座る。

 そして、碧は私のオムライスにハートマークをケチャップで書いた。


「ベタかな」

「ベタベタ、だね」

「こういうの、好きなくせに」


 ちょっとだけ癪に触ったから、答えない。

 それでも、スプーンで抉るのは忍びなかった。

 だって、碧が書いてくれたハートだし。

 端の方からスプーンで掬いとる。


「ハート崩せないの?」


 スプーンを構えて、崩そうとする碧の手を掴む。


「そんなマジになる?」

「なんかもったいないじゃん」

「正気か!?」


 碧は困ったような、照れたような表情をする。

 私の視線に気づいて、両手で顔を覆った。


「正気か!」


 もう一回口にして、深呼吸をする。

 そして、パクパクとオムライスを食べ始めた。



 サラダを齧りながら、急いで食べる碧の様子を確かめる。


 耳まで真っ赤なのは、照れたから?

 ねぇ、私、変な想像してるよ?

 本当に、この気持ちは、私だけ?

 確かめたくて、でも、怖くて確かめたくない。


「早く食べなよ、冷めるよ」

「食べるけど」

「ケチャップ付いてた方が、美味しいんだから崩してよ」


 碧の言葉も、一理ある。

 渋々とスプーンを、差し込む。

 一口食べたオムライスは、とろとろとした卵とケチャップライスが混ざり合っておいしい。


「おいしい」

「紅羽全然食べてくれないから、心配だったんだけど?」

「ごめんごめん、ほんとおいしいよ」


 軽い口調になってしまったが、本当においしい。

 今まで食べたことないくらいの味だった。





 ごはんを食べ終わって、お皿も洗いおわる。

 合宿という名ばかりのお泊まり会だけど、締切も迫ってくるから作業を進めようという話になった。


「パソコンあるから、使って」


 碧の隣の部屋に、パソコン専用の部屋があったらしい。

 デスクトップで、しかも私が使ってるのと同じソフトが入ってる。

 だから、クラウドに上げてと言っていたのかと思いながら、パソコンの前に座った。


「私もここで次の曲作る」


 碧が自分の部屋から持ってきたのか、イスをガラガラと引きながら現れる。


「防音大丈夫なの?」

「うち、全部防音使用だから」

「すご」


 お金持ちの子っぽいなと思ってしまったけど、納得。

 そもそも私たちの高校が私立だし、お金持ちの子も多い。

 碧もその一人なのだろう。


 私とは世界が違うなと改めて、実感してしまった。

 こんなに近くなったのに、相変わらず勝手に私は線引きしてしまう。


「見てるから、続き描いてよ」


 進捗は思ったよりもよく、今は時間で言うと夕方に迫っていた。

 終盤の想いを歌い上げるパートは、夜になる。


 最初は明るくポップに、好きになって世界が変わっていくことから始まる曲だった。

 でも、途中は、苦しさも混じってきて、だんだん片思いの痛みが混ざる。


 窓から見える夕方の空に、雲を描き込んでいく。

 様々な形をした雲は、流れていきながら途中で混ざり合う。


「君の世界が、私の世界と重なって」


 つい口ずさめば、碧はイス越しに私を抱きしめた。


「紅羽の声もキレイだよね、バックコーラス入れちゃう?」

「また冗談ばっか」

「ふざけるけど、嘘は言わないですけど?」


 私の頬のすぐ横に、碧の顔がある。

 振り向けば、触れる距離だった。


「近い」

「集中できない? 私がかわいすぎて?」


 調子に乗ってるけど、それだけ楽しみだったんだろうってことにする。


「はいはい、そうそう」


 適当に返事をすれば、頬にちゅっと唇が当たる。


「な、にしてんの」

「紅羽の真剣な顔がかわいすぎて?」


 にへへっと笑って、もう一回頬にちゅっと軽くキスをする。

 心を乱されるのは、私ばかりで。


「好きな人に勘違いされるよ」

「何言ってんの?」


 むすっとしたのを隠しもせず、黙り込む。

 こんな気持ちになるなら、知りたくなかった。

 馬鹿みたいな考えがよぎって、手が止まる。


「ねー、くれはー」


 甘えるような口調。

 いつもより、幼いような言い方。

 全部が、イヤになる。

 碧にとっては、普通でも、私にとっては普通じゃない。


 お腹の底から何かが湧き上がって、泣き出したくなってしまった。


「からかわないでよ」


 手が止まってしまう。

 こんな歌を、歌ってるくせに。

 私へのラブレターだと言ったくせに。

 涙がつーっと頬を伝う。


「なに泣いてんの、なになに、ちょっと待ってよ」


 碧の声に焦りが、混ざった。

 ぐるんっと、イスごと振り返らされて、碧と目が合う。

 まっすぐなキラキラした瞳の中に、私がいた。


「紅羽、本当にどうしちゃったわけ?」

「軽々しくキスとかしないで」

「イヤだった、ってこと? ごめん」


 私の涙を人差し指で掬いながら、碧の目が揺れる。

 涙のせいで視界が歪んで、碧の表情まで歪んで見えた。


「ごめんごめん! 夜まで描きあげちゃうから、イヤホンするね」


 碧を突き放して、イヤホンを耳に入れる。

 今は、碧の顔を見たくない。

 しんどい。


 好きになることが、こんなに痛むなんて、知りたくなかった。

 碧は、私の後ろでじっとしてるようだった。

 視線だけが背中に、当たる。


 碧の恋とか、考えない。

 今は、作品を良くすることだけを、私はすればいい。

 碧のための、作品なんだから。

 

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