第十七話 赤すぎる時間




 少しの肌寒さに、目を覚ます。

 すっかり二人で眠っていたらしい。


「碧!」


 隣の碧を揺さぶれば、眠たそうな目を擦る。


「んー?」

「帰らないと」


 窓の外を見れば、もう薄暗くなってきている。

 碧は瞬きをパチパチと繰り返してから、伸びをした。

 私もぐっと力を入れれば、少し肩が痛い。


「碧?」


 また動きがなくなった碧の方を覗き込めば、目を閉じている。


「んー、んー?」


 寝ぼけてる碧の手を引っ張れば、素直に私の動きについてくる。

 さすがに背負って帰るのは、難しい。

 けど、そろそろ下校時間だ。

 時計を確認すれば後三十分ほどしか余裕はなかった。


「碧起きて、帰るよ」

「んー、起きる起きる」


 半分目を閉じたまま立ち上がるから、ふらりと揺れている。

 慌てて手を出して、背中を支えた。


 碧がこんなに寝起きが悪いのは知らなかった。

 それでも、無防備な碧が可愛くて、心臓が変な音を立てる。


「碧、もう暗いから、はやくおきてってば!」


 誤魔化すように、碧をもう一度揺さぶる。

 碧は不機嫌そうな顔で、じいっと私を見つめた。

 そして、慌てたように顔を変える。


「寝ちゃってた!?」

「めちゃくちゃぐっすり」

「こんな時間まで? なんで、起こしてくれなかったの!」


 私も寝てたから、とは言わず、ふふっと笑いかけてみる。

 碧は立ち上がって、私に右手を差し出した。


「早く鍵返さないと、怒られちゃう」

「碧がぐっすりだったくせに!」

「だって、ずっとあんまり寝れてなかったから」

「曲作ってて?」


 私の問いかけに、急ごうと動いていた碧はピタっと止まる。

 そして、振り返って私の両肩を掴んだ。


「作ってくれるでしょ!」


 当たり前のように言って、両目をキラキラとさせている。

 作るしかない。

 私は、碧の曲がこんなに好きだから。


「作る、よ」

「よかったぁ……紅羽のこと思って作った曲だから、絶対紅羽のイラストが良かったの」

「凝ったのは無理だよ?」

「うん、一枚絵でもいい。スライドみたいに、何枚かでもいい。紅羽のイラストで彩って欲しい」


 真剣な表情に、また心臓がおかしな音を立てる。


 待って、私のことを思って作った曲って言った?

 こんなに、愛おしく誰かを思う曲が?

 かぁあっと、熱が上がっていく。

 涼しげな顔を作って、「ふーん」と呟けば、碧は一瞬目を逸らした。


「碧」

「なに?」


 ぎくっと肩を揺らして、遠くの方を見つめる。

 それが、多分答えだ。


 あまりの嬉しさに、頭がくらくらとする。

 こんなに碧に求められている。

 碧の言葉で、好きだと何度も伝えられていた。


 私のイラストが、だ。

 それでも、このラブソングはあまりにも熱がこもりすぎていて、喰らってしまった。


「私のこと、どんだけ好きなのよ」

「ずっと、好きだったよ」


 はにかみながら答える碧の目の前で、しゃがみこんでしまう。

 あまりにも可愛すぎた。


「ずるすぎる」


 やらないつもりはなかった。

 それでも、やらないわけにはいかなくなってしまった。

 だって、こんなに真っ直ぐ、私を求めてくれている。


「ずっと見てたの。紅羽のこと。最初は、コハネとして、だけどね」


 想定外だ。

 コハネが先だったとは。

 私を探して、コハネにたどり着いたと思っていた。

 でも、スイマジファンなら、SNSで流れてきたのだろう。


「コハネがまさか同じ学校で、紅羽だなんて思わなかった。だから、あの黒板を見た瞬間、誘わなきゃって、焦ってたの」

「うん」


 帰る準備をしながら、碧と教室を出る。

 夕日が沈みかけて、旧校舎はもう薄暗く染め上げられていた。

 それでも、明るく見えてしまうのは、私の世界を碧が照らしてくれてるからだろう。


 心持ち一つで、世界が輝くなんて。

 ありがちなラブソングみたいで、恥ずかしいのに。

 それでも、私の目の前の世界は明るくなっていた。


「コハネの絵が好きで、紅羽に声をかけた。でも、紅羽と一緒にいると、伝わるのが心地よくて、隣にいるのが嬉しくなってきたの」


 伝わるのが、心地よい。

 それは、私のセリフだ。

 碧は、私のペン先の線一つから読み取ってくれる。


 お互いが、お互いの伝えたいことを最大限理解してるって、いつもわかっていた。

 だから、碧の隣が私は好きになってる。

 碧自身が、好きになっていた。

 お互い、作る人だからというのも絶対にあるけど。


 昇降口で靴を履き替える。

 碧とは、もう手を繋いでいなかった。

 それでも、心はいつもより近い。

 靴を玄関にぽいっと放り投げる。


「真剣に付き合ってくれるとこも、好きだよ」

「告白みたいじゃんか」


 失敗した、と思いながら、顔を上げる。

 碧の頬が赤く染め上げられてる気がした。


「愛の告白だよ」


 茶化そうと口を開ければ、喉の奥からヒュッと空気だけが流れた。

 茶化すべきじゃない、わかってる。

 私も碧のことが好きだ。


 同じ好きかは、自信がないけど。

 誰よりも碧の歌を愛せる自信はある。

 誰よりも今一番、愛してるのは私だ。


「早く行こ」

「そうだね」


 碧は、私の返事なんか、待ってないみたいだった。

 ちょっと安堵しながら、碧の後ろを歩く。

 沈黙の中でも、私たちの手は自然と繋がれる。


 碧の温かさを感じながら、新校舎へと向かう。

 後ろから、不意に碧の名前が呼ばれた。


「碧?」


 パッと振り返れば、不思議な味を一緒に買っていた子。

 碧の仲良しであろうピンク色した髪の毛の……名前は知らない。


「え?」


 手を繋いでるのを見られた。

 私と一緒にいるところを、見られた……!

 焦って手を放せば、碧は気にも止めずそのまま振り返る。


「すーちゃん! あのね、この子」

「あっ! 急がなきゃ!」


 私の紹介を始めようとした碧の言葉を止める。

 怪訝そうな碧の表情だけ、目に入った。

 それでも、このまま続けるのは私には無理。

 だから、碧を置き去りに、走りだす。


「カギ返さなきゃだから、またね!」

「え、紅羽待ってよ!」

「友だちと、帰りなよ、じゃあね!」


 走りながら言葉を発したせいで、息切れが起きてる。

 それでも、この場に立ち止まるよりはマシだった。


 碧が追いかけてきていないのを確認してから、新校舎の入り口で一人深呼吸をする。

 碧はあのアイスの時、目線を逸らした。

 本当は、今日だって一緒に居るのを見られたくなかったはず。


 だって、私と碧は……


「違うから」


 わかっているのに。

 あれだけ、熱烈なラブソングに勘違いしそうになってしまった。


 碧は、碧の世界がある。

 私は、碧の歌の世界にちょっとお邪魔してるだけの存在にすぎないんだ。


「わかってる、わかってるよ!」


 ひとりごとをつぶやいても、消えない。

 消えないから確かめるように、頭の中で何回も繰り返す。

 私と、碧は、違う人間だから。

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