第5話

 早朝。

 俺は、橋の上に立っていた。

 家の近所にある国道沿いの橋。

 片道二車線、頑丈な鉄柵が備え付けられている。

 日中は車の往来が激しくある場所だが、朝焼けの時間帯はまだ静けさに包まれていた。


 手には、あのスマートフォンを握りしめていた。

 昨夜、交番に置いてきたはずの、そして、なぜか自宅に現れていた“それ”。

 東の空が、じわじわと明るくなり始める。


 遠くの雲が金色に染まり、川面には朝日がちらちらと反射している。

 その光を見て、ふと「浄化」という言葉が頭に浮かんだ。


 ――もう、終わりにしたい。

 俺は深呼吸をひとつして、大きく振りかぶり、スマートフォンを、力いっぱい川へと投げた。


 銀色の筐体がくるくると宙を舞い、朝日を一瞬だけ反射させ、煌めく。

 やがて、スマートフォンは、ぽちゃんと音を立てて、川の流れに吸い込まれていった。

 波紋が、静かに広がっていく。


「……はぁ──」


 喉の奥から、思わずため息が漏れた。


 ――勘弁してくれよ、もう。


 昨夜のあの出来事は、どう考えても現実のはずがない。

 でも、スマホが部屋にあったことだけは、どうしても説明がつかない。

 拾って、交番に置いた。間違いなく、自分の手で。

 それがなぜ、自室の床に落ちていた?

 “夢だった”で片付けるには、手に残っていた冷たさが、あまりにもリアルすぎた。

 

 思考は次第に、別の方向へと向かう。

 ――香苗。

 そう、あのスマホは香苗が使っていたものと同じ機種だった。

 色も型番も、まったく同じ。

 ……偶然だと、思いたい。

 でも、もし。

 もしも香苗が、本当に事件か何かに巻き込まれていたとしたら。

 そのメッセージが、あのスマホを通じて俺に届いていたとしたら――


 「……いや、考えすぎだろ」


 頭を振り、バカな考えを打ち消した。

 落合さんは言っていたじゃないか。

 香苗は、どこかで男と一緒に暮らしてるって。


 それを信じろ。そう思い込もうとするたび、胸のどこかがずきりと痛んだ。

 

 そんなとき、ポケットの中でスマホが震えた。

 マナーモードのバイブレーションが、妙に生々しく指先に伝わる。

 画面を見ると、落合美里からのLINEだった。

 

 『週末、食事でもしませんか?』

 

 何もなかったような、軽やかな誘い。

 だが、その文字列を見ているうちに、再び昨日の夜のことが、じわじわと蘇ってきた。

 “携帯電話が、戻ってきた”

 あの感覚は、現実なのか――それとも。




◇ ◇ 


 

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