生物としての価値はどこに存在するのか?

 何回も言ってきたと思うが生物が生きるのは種の存続と個体の生存のためである。本当にそれだけなのだろうか。極論、子孫を残し遺伝子を次世代につなげ終えたら生物としての価値はそこで終わってしまうのだろうか?。少なくとも人間の場合はそうではないといえるだろう。人間が次の世代を成すことができなくなるのはおよそ40~50歳ごろ。しかし、日本の場合定年は65歳ごろつまり次の世代を成すことはほぼないであろう年齢から十年ほどは社会に貢献するための仕事をすることになる。つまり、次世代を成すことができなくなっても社会的な価値は持っているということですしかしこれはあくまで人ということが前提条件です。ほかの動物の場合はどうでしょうか。

 魚の代表例ともいえる鮭。鮭は川で生まれ、稚魚になったのち海へ下って成長したあと、また生まれた川を遡上しそこで産卵をして一生を終えます。この生態だけを見ると、次世代を成したあとはもう用なしといった感じの生態ですが、これにはいくつかのワケがあります。鮭の川に戻ってそこで産卵をするという性質上、川を遡上する際に大量のエネルギーを消費します。しかしその間にエネルギーを補給することはほとんどないため体に蓄えていたエネルギーのほぼすべてを川の遡上と産卵で使い果たすためです。また産卵を終えた後に脳が萎縮してしまい、体の制御機能が壊れることで死に至る。しかし、体は残るので次世代が成長するための餌となりその世代がまた新たな世代を産んでゆくという仕組みだ。

 とまぁここまでさんざん子孫を残すということについて書いてきたが、種の存続ということ以外の生物としての価値はどこに存在するのだろうか。極論、我々は遺伝子を次世代につなげるための方舟でしかなく遺伝子を運ぶ以外に生物としての価値は存在しないのだろうか?。これはほかの生物にも言える。次世代に遺伝子をつなげたらその命を終える生物が多いので生物としての価値は遺伝子を次世代に伝えることのみに見えてしまう。どこに遺伝子を次世代に伝えること以外の生物としての価値は存在するのだろうか?。わからない。

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