幽霊アパートの管理人日記

Algo Lighter アルゴライター

第1話「プロポーズの言葉」

夜の静寂に包まれたアパートの管理人室。

主人公・佐倉真琴は、今日もまた奇妙な住人と向き合っていた。


「俺……、プロポーズ、できなかったんだ……」


目の前にいるのは、白いシャツと黒のスラックス姿のまま浮かぶ幽霊・森川修一。生前の彼は、同棲していた恋人・美咲にプロポーズをしようとしていたが、交通事故により突然この世を去ってしまった。


「指輪も用意してた。言葉だって何度も練習した。でも……言えなかった」


修一の表情は悔しさと未練で歪んでいる。青白い光を纏った彼の姿が、月明かりに溶け込んでいくように揺らめく。真琴は静かに彼の言葉を受け止めた。


このアパートは、未練を抱えた幽霊が一定期間だけ住むことができる場所。彼らは未練を解決すれば、この世を去ることができる。


「美咲さんは……今、どうしてるの?」


「強がってるけど、たぶん、辛いと思う……。俺がいなくなって半年。そろそろ前を向いてるかもしれない。でも、俺は……俺は、ちゃんと伝えたかったんだ。美咲のことが好きだって。一緒に生きていきたかったって」


修一の目には涙が滲んでいるように見えた。幽霊なのに、こんなにも人間らしい。真琴は小さく息をついた。


「手紙を書くのはどう?」


「手紙?」


「あなたの気持ちを、美咲さんに伝えるために」


修一はしばらく考え込んだ後、ゆっくりとうなずいた。


翌日。


真琴は修一が語る言葉を一つずつ拾いながら、手紙に書き起こしていった。ペンを走らせる音だけが、静かな部屋に響く。


『美咲へ。

 君に伝えたいことがある。

 俺は、本当は君とずっと一緒にいたかった。

 プロポーズをしようと決めていたけど、その言葉を伝えられなかった。

 君がこれからも幸せでいてくれるなら、それでいい。

 でも、一つだけ知っておいてほしい。

 君を心から愛していた。

 本当に、ありがとう。』


修一は何度も何度も、真琴の手元を覗き込みながら、その言葉を確認していた。


「……これでいい。これが、俺の気持ちだ」


「じゃあ、この手紙を美咲さんに届けるね」


封筒に手紙を入れ、修一の名前を書いた。


美咲が働いているカフェの前に立つ。店内では、彼女が忙しそうに動いていた。


(……今さら、この手紙を渡していいのかな?)


少し迷ったが、結局、意を決して店に入る。


「すみません。少しだけお時間をいただけますか?」


美咲は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたが、真琴が封筒を差し出すと、戸惑いながらそれを受け取った。


「これは……?」


「森川修一さんからの、最後の言葉です」


美咲の瞳が一瞬、揺れた。


「……え?」


真琴はそれ以上は何も言わず、店を後にした。


数日後。


アパートに戻ると、修一の姿はすでになかった。


(ちゃんと、届いたんだね)


その夜、カフェの前を通ると、美咲が店の閉店作業をしているのが見えた。彼女の手には、あの手紙が握られていた。


窓越しに、彼女が小さく微笑むのが見えた。微かに光る涙が頬を伝い、それでもどこか晴れやかな表情だった。


「ありがとう、修一……」


呟く声は、静かな夜風に溶けていった。


幽霊アパートの管理人としての最初の仕事。

それは、たった一通の手紙だった。


でも、


(これなら、悪くないかもしれない)


真琴は空を見上げた。雲の隙間から瞬く星が、どこか優しく微笑んでいるように見えた。

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