クズも歩けば何かに当たる
ねこ沢ふたよ@書籍発売中
バイト
「そうは言うけれどもね。仕方ないじゃないか! あの美女と二人きりだったんだぜ!」
相当酔っているこの男、先ほどからずっとテーブルを叩きながら言い訳ばかりをぶっている。
男二人で飲んでいるここは、居酒屋。
会社の懇親会で来店したのだが、途中でこの男が悪酔いしだしたので、一番下っ端の男が介抱しているのだ。
他のメンバーはとっくに帰っている。
一番下っ端であることを理由に、皆、あっさりと押し付けて帰ってしまった。
「先輩、落ち着いてください。別に責めていないでしょ」
「いいや! その目が俺を愚弄している! 浮気バレて離婚された最低男だって!」
「そんなこと一言も言っていないじゃないですか」
「俺ぁ知っているんだ。社の連中は皆、紗栄子の味方で、俺のことを白い目で見ているんだって!」
「僕が入社したのは、その紗栄子さんが先輩と結婚した後ですよ? 紗栄子さんと会ったこともないです!」
心の底から面倒くさい役を押し付けられた。下っ端男は、深くため息をつく。
中途採用でやっと手に入れた正社員の椅子。この男の面倒な話を聞くために手に入れたのではけっしてない。断じてない。
「……なぁ……なんでバレたんだと思う?」
「知りませんよ」
「……俺、先輩なのに高崎が冷たい」
メソメソと酔っ払い男が泣き始めて、高崎はため息をつく。
心からうざったらしいのだ。
そもそも、バレて離婚になることが嫌ならば浮気しなければ良いのだ。
なのに今さら何を嘆くのか。まずそこが高崎には疑問だった。
「どうしたら許してもらえる?」
「許すも何も、もう離婚したんでしょ? なら、さっぱり忘れて……」
「そんなわけにもいかないだろう? 子どももいるのに!」
子どものことを考えているような口ぶりでバンッとテーブルを力強く叩く様は、男らしいと言えないこともないが、「いや、だったら浮気するなよ」の言葉が、先程から高崎の喉の辺りをウロウロして仕方ない。
この酔っ払い男、噂では、養育費も払っていないのだそうだ。
「子どもって言うなら、せめて養育費くらい払ってあげたら良いのに」
ボソリとつい高崎の口を出た言葉に、酔っ払い男がピクリと震える。
「馬鹿野郎。支払ったら、あの女、連絡してこなくなるだろうが!」
「そりゃそうでしょう。別れた旦那となんか、話したくないでしょう」
「だろう? だから、支払わねぇ!」
「それじゃあ、奥さんと子どもが困るでしょう?」
「困るなら、土下座して俺に謝ればいいんだ。そうすれば、俺だって許してやらんこともない」
ガハハハと豪快に笑ってビールジョッキをまた酔っ払いが一気飲みする。
「めちゃくちゃだ。こんなので許してもらえるわけがない」
「うるせぇな! ビール! 追加で!」
「え、まだ飲むんですか?」
「飲まずにやってられるか!」
店員は、言われた通りにビールを追加で運んでくる。
ここで「そろそろ大丈夫ですか?」なんて聞く優しさは、この若い店員には無さそうだ。
無言、無表情で、男の前にビールジョッキを置いて、そそくさと店員は立ち去る。
「まぁ、魔が刺すってことは、ありますものね」
「だろう? この程度のことでガタガタ抜かす方がおかしい!」
ガタガタ抜かすのがおかしいとは思わないが、魔が刺すことは、あるとは高崎も思う。
世に転がる極上の誘惑。
それを目の当たりにすれば、人間は飛びついてしまうものだ。
そう……魔が刺したから、こんな男の世話を押し付けられて、高崎は黙っているのだ。
魔が刺さなければ、高崎は前職でそれなりの地位にいたはずだった。
ギャンブルに負けて、目の前の現金に目が眩み、少しずつ降り積もった横領が発覚し、警察に連絡はしない代わりに解雇となった。
横領した金の大半は、高崎の親が立て替えて返してくれたが、二度と実家の敷居は跨げなくなった。
そして、親も友達も失って孤独になった高崎には、返すあてもない借金だけが残された。
「さ、帰りますよ。先輩!」
「うぁぁ。いやだぁぁ」
「いいから! 帰らないと店に迷惑です!」
そろそろ店も閉店時間だ。
ここでクダを巻いて店員に怒鳴られる必要はない。
高崎は、泥酔男を無理矢理立ち上がらせて、肩に担いで表に出た。
「寒っ!」
「根性のねぇヤツだ」
泥酔男が寒がる高崎を見て、ゲラゲラと笑う。もう酔い過ぎて寒さの感覚もないのだろう。
案の定、泥酔男の足取りは覚束ない。
高崎が支えなければ、一歩も真っ直ぐに歩けないだろう。
「恨まないでくださいよ」
「あ?」
「いえ、何でもないです」
高崎には、金が必要だった。
だから、高額で雇ってくれる胡散臭い仕事に手を出したのだ。
依頼人は、この酔っ払いの別れた妻。
高崎は、闇サイトでこのバイトを見つけたのだ。
妻の紗栄子に会ったのは、依頼内容を聞いた一度きり。
「懇親会の日に、泥酔させてこの公園に放置してくれれば良いわ」
女は、そう言っていた。
養育費も慰謝料も払わないのならば、取り立てまでのこと……というところか。
高崎の仕事は、男を酔い潰れさせて、一人きりで所定の場所に放置すること。
後は、次の人間の仕事だ。
このあとに何が起こるかなんて、高崎は知ってはいけないのだ。知れば、高崎にも罪が及ぶ。
あくまで高崎のやったことは、酔った同僚を一人にして先に帰ったということに留めなければならないのだ。
闇バイトとは、そういうものだ。
大きな犯罪を細切れにして、別の人間に背負わせることで罪を軽くする。
懇親会の情報を紗栄子に流した者。
男を懇親会に参加させた者。
先に帰った連中。
ビールを乞われるままに持って来たあの店員だって、雇われた者かもしれない。
ああ、考えてみれば、高崎に闇サイトを教えてくれたあの男も、そういうバイトだったのかもしれない。
そして、恐らく、一番罪の重い部分は、信頼されている『常連さん』がやることになるのだろう。
この後、何が起こるのか興味があるが、ここにいては高崎が罪に問われてしまうだろう。
「じゃ、俺はここで帰りますから」
泥酔男を公園のベンチに置いて、高崎は一人歩き出した。
泥酔男が、明日の朝までにどうなるかなんて知ったことではない。
このまま凍死、電車に轢かれる、道路に放置……いや、案外、穏便に元妻が現れて張り手と「最低!」の一言で済ませてくれるかもしれない。
いや、それはないか。
報酬は桁違いだった。
おそらく、あの泥酔男には、生命保険がかけられている。
受取人は、妻。
妻自身は、きっと今頃アリバイのはっきりした場所でのんびりとしていることだろう。
「仕方ない。魔が刺すことだって人間あるんですよ。この程度のことでガタガタ抜かす方がおかしいんです」
高崎は、言い訳のように一人呟いた。
借金は、まだ残っている。
また闇サイトでバイトを漁らなければならないだろう。
いつか、高崎自身が『常連さん』になって決定的な仕事をさせられる未来が、一瞬頭をよぎり、高崎は身震いを一つした。
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