乙夜のモクテル

蓮水 涼

【1杯目】サラトガクーラーで乾杯


 28歳、女、公務員。趣味はアイドルのおっかけ。犬より猫好きだがアレルギー持ち。

 咲坂さきさか真央まおを婚活市場で紹介するなら、こんなプロフィールになるだろう。

 ただし、そのあとに致命的な一文が付け加えられることになるが。



 ――なお、結婚願望はなし。


   *


「かーんぱーい!」

 真央はライムの浮かぶロンググラスを持った右手を、ダイニングテーブルの対面に座る早瀬はやせ伊織いおりへと伸ばした。

 今日は華の金曜日。

 時刻は真央の仕事が終わり、伊織の仕事が始まる23時前の、ちょうど21時だ。

 ひょんなことから『晩友ばんとも』となった二人は、毎週金曜日に真央の家に集まり、こうして一緒にご飯を食べたり、たまにゆったりと映画やドラマを観たりする仲である。

 いわゆる『メシ友』でないのは、二人はご飯を食べることだけを目的としていないため、真央が勝手に「じゃあ晩友で」と決めたせいだ。

 真央のグラスに伊織が自分のグラスを軽く当てたことで、カチンと軽快な音が鳴った。

「乾杯。今日はどうしたんです? 真央さん、いつもよりテンション高いですね」

「んふふ。聞く? 聞きたい? 聞きたいんだね?」

「はいはい、聞きたいから教えてください」

「では聞いてくれたまえ! なんと本日、嫌いな上司が10月異動の内示を受けました! イエー!」

 ぶっ、と伊織が強く噴き出して軽く噎せた。

「そんな笑顔で言います? どんだけ嫌いだったんですか」

「もうめ~~~~~っっっちゃ嫌いだった」

「めっちゃ溜めるじゃないですか」

 ダイニングテーブルには、伊織の作った肉汁たっぷりのハンバーグと付け合わせのサラダが洋食店に来たみたいに綺麗に食卓を彩っている。

「だってさぁ、とにかく怒ってくるポイントが理不尽なんだよね、あの上司。やっぱ仕事は業務内容より人間関係だよ。その点、伊織くんのとこはいいよねぇ、みんな仲良しで」

「まあ、マスターがいい人なんで」

「わかる~」

 伊織の職場はバーだ。午後6時から営業して、夜中の2時まで営業している。

 伊織は大学を卒業後、バイト先であったそのバーで本格的にバーテンダーになるための修行を開始した。あれからもう半年が経っているのかと思うと、なんとも感慨深いものだ。というのも、それは真央と伊織が出会ってほぼ1年であるのと同義だからである。

 バーは月曜日が定休日で、伊織は基本的に営業開始から23時までの勤務だけれど、金曜日だけは遅番シフトで23時からラストまでの勤務らしい。

 真央は伊織の招待を受けて、そのバーに行ったことがある。

 暗めの間接照明が落ち着く素敵な雰囲気のバーで、カクテルはもちろん、料理おつまみもおいしかった。

「あそこのマスター、私がアルコール得意じゃないっていち早く気づいて、度数の低いカクテル作ってくれたもんね。懐かしいなぁ」

「いやほんと、その節はすみませんでした……」

 伊織がしゅんと項垂れる。その理由は、真央がアルコールが得意でないことを知らずにバーへ招待したからだろう。当時だって彼は何度も謝ってくれたのに、まだ謝り足りないらしい。

 真央はカラリと笑った。

「も~、気にしなくていいって言ってるのに。それより、今日のモクテルはなんだったの? 私知らずにごくごく飲んじゃってたけど」

「今日のは『サラトガクーラー』です」

「サラトガ……?」

「クーラー」

 一度で覚えきれなかった名称を伊織が微笑みながら付け足してくれる。

 ちなみに『モクテル』というのはノンアルコールカクテルのことだと、真央は伊織から教わっていた。

 彼は真央より五つも年下だが、いつも落ち着いた態度だからか同年代に錯覚しそうになるものの、笑った顔は年相応になるのが真央の彼の中で気に入っているところだ。

 仕事も違う。年も違う。趣味も何もかもが交わらない二人だが、アパートの隣人から始まった関係としてはなかなかいい関係を築けていると思う。

 きっと他の人には理解しがたい、金曜日の夜だけ一緒に過ごす『晩友』。

「サラトガクーラーは『サラトガ』って略すとお酒が出てきちゃうんで、お店では略しちゃだめですよ」

 へぇ、と相槌を打ちながら、真央は元気よく右手を挙げた。

「はい先生! そのサラトガクーラーですが、たぶんジンジャーエールが使われていることだけはわかります!」

「よくわかりましたね、真央さん。正解です」

「でもあとはおいしいことしかわかりません!」

 正直に自己申告すると、伊織がふはっと吹いた。

「真央さんってほんと正直っていうか、素直ですよね」

「よく顔に出るって言われるから隠さないことにしたの」

「どんな開き直りですか、それ」

「見習ってもいいよ」

「遠慮します」

「この流れで!?」

 サラトガクーラーは、と伊織が切り出した。

「グラスに氷とライムジュースとシュガーシロップを入れて、最後にジンジャーエールを注いでからゆっくりと混ぜればステアすれば完成です」

「え、簡単」

「でしょ? 俺はカットライムを飾りましたけど、もし真央さんが自分で作るならナシのほうがいいです」

「いやでも、これくらいなら私でも……」

「三週間前、拷問のようなまずい飯を作ったのは誰ですか?」

 途端に伊織の声のトーンが落ちたのに気づき、真央は先ほどまでの元気を引っ込めて答えた。

「えっと、私です」

「レンジで卵を爆発させたのは誰ですか」

「私……かもしれない」

「『かも』じゃないんです、間違いなく真央さんなんです。今時います? そんなベタなことする人」

「いるんだなぁこれが。てか今時って、そんな使い古された失敗談なのあれ? ってことはさ、料理が壊滅的なのは私だけじゃないって――」

「底辺のレベルで競わないでください」

「すみません」

 彼は普段はとても律儀で親切なのだが、たまに毒舌キャラが出てくる。彼と知り合って約一年。一方で、こうして金曜日の夜に過ごすことになったのはまだ二か月くらいのため、その基準はなんとなくしかわからない。

 が、なんとなく、食材を活かさずむしろ殺したことが『闇伊織』降臨のきっかけだと思っている。

「真央さん、真面目に疑問なんですけど、よくあの腕で今まで生きてこられましたね?」

「まあね! 米は炊けるから! 米さえ炊ければおにぎり作れるから!」

 伊織の作ってくれたサラトガクーラーの味のようにスカッと口にすると、伊織がドン引きした。

「なんかもう、金曜だけと言わず、毎日真央さんのご飯作りたいです……」

「うわ作ってほし~!」

「俺真面目に言ってるんですけど。気づいたら栄養失調になってそうで普通に怖いです」

「あははっ、どうだろ。貧血で倒れたことはあるけど」

「えー……」

 軽快に笑うと、手に持っていた透き通るブラウンがグラスの中で揺れた。

 さっぱりとした味は、まさに真央と伊織のような関係を表しているようで、真央はもう一度サラトガクーラーに口をつける。

 ジンジャーエールの爽快な喉越しのおかげでごくごくと飲めてしまう。

 今夜は伊織がハンバーグを作ってくれたけれど、なるほど確かに、口の中に広がる甘さ抑えめの味は、がっつりとした肉料理にとても合う。

「ふふ、伊織くんはいいバーテンダーになるね」

「なに言ってるんですか。俺なんてまだまだですよ」

「でも真面目に頑張ってるじゃない。お店で勉強しながら、アルコールが苦手な人のためのドリンクも勉強したいからって、こうして作ってくれてるわけだし」

「それはだって……悔しかったんで」

 口許をまごつかせて何かを呟いた伊織だが、残念ながら真央の許にまでは届かなかった。

 なんて?と訊き返す。

「だから、悔しかったんです! 真央さんは俺の恩人だったのに、まともにお礼もできなかったのが!」

「え、それって……」

 ぷっ、と唇から空気が漏れたのを皮切りに、真央は腹を抱えた。

「やだ伊織くん、かわい~!」

「笑いすぎですよ! 俺に胃袋掴まれてるくせに!」

「あははっ、それはそう」

 でもまあ、と真央は続けて。

「これからも伊織くんの作るモクテル、楽しみにしてる」

「感想は忌憚なくお願いします」

 はーいと返事をすると、真央は再び伊織へグラスを傾ける。

 心得たように伊織もグラスを寄せてきて。

「じゃ、これからもよろしくってことで――」

「ええ。改めて――」


「「乾杯!」」


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