君と私のパラドックス

池田春哉

1

「アイドルとファンってどっちが先に生まれると思う?」

 僕は顔を上げた。鼻の上を滑った黒縁眼鏡を指で押し戻す。

 閑散とした渡り廊下の白い柱に背を預ける彼女と目が合った。スポーツドリンクを右手に持った彼女がにこりと微笑むと、ペットボトルに反射した太陽の欠片が辺りに飛び散る。

「タマゴが先かニワトリが先かみたいに言われても」

「あれ結局どっちが先なの?」

「知らん」

「眼鏡なのに?」

「僕の近視はただの遺伝だ」

 ファンが先かアイドルが先か。

 普通に考えるとアイドルがいてファンが生まれそうなものだが、アイドルとは周囲を魅了する存在のことだ。つまり魅了されるファンなくしてアイドルとは呼ばれない。

 そんなパラドックスに思考を傾けている間に、体操着姿の彼女は僕の前で三角座りをした。床であぐらをかく僕と目線の高さが揃う。

「まあどっちも揃えばいいんだよね。貴志きしくんが私を推してくれれば問題なし」

「自分の推しは自分で決めるって言っただろ」

「そう言ってられるのも今のうちだよ」

 コンクリートの床に座る僕たちの間には折り畳み式の将棋盤が置かれていた。僕が学校用に使っている盤だ。盤上では四十枚の駒が互いにせめぎ合っている。

 彼女はそのひとつを摘み上げて不敵に笑った。そのまま次から次へと駒を動かしていく。研究中の盤面が崩れていくのを眺めながら僕はため息をついた。

「しかたない。ちょっと休憩するか」

「そんなに余裕ぶって大丈夫かなあ」

「大丈夫だろ」

「私も日々成長してるよ?」

 僕と彼女はぱちぱちと音を立てながら、すべての駒をはじまりの配置へ並べる。最後に僕だけは飛車と角を盤外に移動させた。

「今日こそ貴志くんに私のファンになってもらうんだから」

 彼女の手元で整列した駒の尖った先端が睨みつけるようにこちらを向いている。

 一日一回。持ち時間は十分。僕は飛車角落ち。

 この対局に負けたら、僕はファンになって、彼女はアイドルになるのだ。

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