44.「上手な嘘のつき方」

 ケルベロスを撃破してからずっと沈黙が続いていた。

 道はすっかり細くなり、緩やかなカーブの下り坂が延々と続いている。

 かれこれ十分以上は歩いているんじゃなかろうか。


 二人で並んで歩ける道をリリアが先頭になって歩いている。

 ケルベロスを倒して以降、リリアはなんだか近寄りがたい雰囲気があった。


「ねえ」


 先に口を開いたのはリリアだった。

 俺が返事をする前に彼女は続ける。


「アタシのこと恨んでる?」


 明滅する赤の光の下、リリアの歩調に合わせて金の長髪が揺れた。

 振り返る気配も立ち止まる様子もなくて、彼女がどんな表情で問いかけたのかは分からない。


「別に。恨んでない」

「……嘘。だってアタシはアンタの人生をじ曲げたみたいなものじゃない。色々小細工をして……」


 偽物の腕時計で俺の本来の実力を隠し、報酬や貢献度を奪って隷属れいぞくさせた。

 そのことについてはこの十年間、あまり考える機会がなかった。

 今にして思うと、考えるのを意図的に避けていたようにも感じる。


 多分リリアは俺の逆なんじゃないか。

 この十年、そればかりを考えてきたんじゃないかと思う。

 でなければ木の杖を使い続けるはずがない。


「過去のことだ。もうなんとも思ってない。……ひとつだけ聞きたいんだけど、なんで俺を盾使いにしたんだ?」


 俺にはリリアをしのぐほどの魔力があって、当然ながら本来は魔法職が適職だった。そんなことを十年前にシスティーナさんが言っていたことを覚えている。


「……アタシよりも魔法の才能があったから、嫉妬したのよ」

「そうか」


 幼稚な動機だ。

 けどあの頃、リリアはどうしようもなく幼稚だった。そして俺も彼女と同じくらいには幼稚だったんだろう。今さら確認するまでもない。


「ケルベロスに遭遇したときのこと、覚えてる?」

「ああ」


 絶縁のきっかけだ。

 十年間ほとんど思い出すことはなかったけど、こうしてすんなり思い出せるということは、俺自身のなかに色濃く焼き付いているということだ。


「あのときアタシは、本当に絶望してたのよ」

「ケルベロスに攻撃が通用しなかったから?」

「ええ。それで本当は……アンタに助けてほしかった。自分が犠牲になるって、アンタから言ってほしかった」

「そうすれば何か変わってたって?」

「少なくともアンタを置き去りにすることは……いえ、なんでもないわ。こんなことを今さら言うのは卑怯ひきょうよね」


 進歩したんだな、リリアも。

 まさか彼女の口から自分の言葉に対して「卑怯」と表現するだなんて。


「俺もひとつだけ卑怯なこと言っていいか?」

「お好きにどーぞ」

「もしあのときリリアが最後まで一緒に戦ってくれようとしたら、『俺を置いて逃げろ』って言ってたと思う」


 俺たちは互いに願望を押し付けあって、上手くいかなくて、苛立いらだっていたんだ。きっと。

 もちろんリリアのやったことは比較にならないくらい酷い仕打ちばかりだったけれど、俺だって彼女に何かを要求していたわけだ。

 隷属している時間が長くなればなるほど、俺もまたわがままになっていたんだと、今でははっきり分かる。


 リリアが歩調を緩めた。


「アタシ、十年間ずっとモヤモヤしてた。ギルドの前で色々暴露する羽目になって、それで何もかも失って……。誰の目から見ても自業自得なんでしょうけど、でもやっぱりアタシは、アンタを憎むのをやめられなかった」

「今も?」

「今でもずっとよ。アタシはこれからもアンタを憎んで、執着して、死ぬまで変わらない。別にアンタの周りをこれからずっとウロチョロするってことじゃないわ。アタシにはアタシの人生があるもの。ただ、アタシがアタシである限りはアンタのことを憎み続けるしかないってこと」

「つらくないか、それ」

「つらいとかつらくないとか、関係ないのよ」


 それとなく見たリリアの横顔は、どことなく決然とした雰囲気があった。光の加減のせいかもしれない。

 したたる汗が赤を反射している。


「ひとつ約束して」

「約束?」

「無事帰ったらクエストに行くわよ。ちゃんとパーティを組んで」


 憎んでるのに? と思ったが、彼女なりの考えがあるんだろう。

 いちいちそのあたりの意思を確かめるつもりはない。

 それに、俺だって別に嫌悪感はなかった。


「かまわないけど、クエストは俺が決めていいか?」

「む……うぅん……しょうがないわね」


 露骨ろこつに口を尖らせるリリアが、なんだか面白かった。

 昔だったら反射的に罵倒ばとうのフルコースが飛んできたことだろう。


「『匂いリンドウ』摘みをやろう」

「採取じゃない。しかもCランククエストだなんて馬鹿にしてるの!?」

「アスラさんも誘って行こう」

「……アンタね、Sランク冒険者をなんだと思ってるの?」

「ランクとか関係なしに行きたいんだよ」


 一回失敗してるクエストだし、キュールも『匂いリンドウ』が好きだし。

 そういう平和なクエストを今は一番やりたい。


 リリアは濃いため息をついて、嫌そうに首を縦に振った。


「分かったわよ。それじゃ約束よ。必ず生きて帰ってお花摘みをする。いいわね?」

「生きて帰れたらな」


 生きて帰ると約束することはできない。絶対に。

 もちろんそうなれば喜ばしい。でも、約束と感情は全然別のものだ。


「嘘でもいいから生きるって約束しなさいよ。十年間で上手な嘘のつき方も学ばなかったの……って、ひぃっ!? 何!?」


 ボトボトボト、と天井から何かが降ってきた。

 それらは俺たちの体に触れると即座に吹き飛んでいったけれど、びっくりしたことには変わりない。


「なんだろう……ああ、魔力ヒルか」


 Bランクの魔物。攻撃手段は一切持たないが、体に吸い付いて魔力を吸い取る厄介者だ。しかも魔法が効かない。

 俺はスキル『絶対防御』で、リリアは『防御付与』の恩恵で吸い付かれずに済んだようだ。


「ひぃぃ……キモい! 何よ! うじゃうじゃしてるじゃないの!」


 道の先には、こぶし大の魔力ヒルが何匹もうごめいていた。


「大丈夫だ。吸い付かれない。進もう」

「そういう問題じゃなくって、キモいのよ! ただただキモい!」

「我慢してくれ。ほら、先頭を歩いてやるから」


 歩くごとに足元のヒルがパチパチと音を立てて吹き飛んでいく。

 リリアは俺の上着を掴んで、ぴったりと後ろを歩いているようだった。

 時々「ひゃ」とか「ひぃ」とか嫌悪感たっぷりの悲鳴が聞こえる。


 リリアの天敵だろうな、こいつら。

 魔力吸うし、魔法効かないし。


 しばらく進んでいると――。


「行き止まりか……?」


 通路の先が赤黒い壁になっていた。

 どう見ても袋小路だが、つきあたりの壁だけ材質が違う。


「壊せるかし――ひゃぁっ!」


 再び頭にヒルが落ちてきた。見上げると天井のあちこちに穴がいている。多分そこから落ちてくるんだろう。


「ああ、もう! さっさと壁を壊すわよ――雷撃魔法『ボルト・アロー』!!」


 バチィ!


 リリアの放った雷の矢は、赤黒い壁に激突してはじけた。

 傷ひとつない。


「リリア。下がっててくれ」

「え、ええ」


 リリアが下がるのを確認して盾を引く。


 全力だ。

 全力でやらないと壊せないはず。


「出力最大『シールドバッシュ』!!」


 突き出した盾が壁にぶつかり――。


 ギィィィィン!


 弾かれた。

 どうやら壁の表面にまくのような防御がほどこされているみたいだ。

 まるで俺の『防御付与』のように。


「もう一度……出力最大『シールドバッシュ』!」


 ギィン!


 くそ、駄目だ。

 硬すぎる。


「まだだ――」

「待って、ルーク」


 リリアが俺の横を抜け、赤黒い壁の前に立つ。


「この魔王はアンタの一部を使ってるんでしょ? アンタ自身の防御をアンタが破れるわけないじゃない」


 砲台は破壊できたが、おそらくあれは例外だったのだろう。

 この壁は確かに、俺由来ゆらいの防御能力が集中しているように感じる。


「だとしても、やるしかないだろ」

「だから、ほかに方法があるでしょ」


 リリアが壁に触れると、ギギギ、と金属のこすれ合うような音が鳴った。


「ルーク。アタシの『防御付与』を解除しなさい」

「いや、そんなことしたらヒルに襲われるし、温度だって軽減できなく――」

「早くしなさいって!」

「……『防御付与』解除!」


 刹那せつな、金属音が消えた。リリアの手は依然いぜんとして壁に触れたままだ。


 ボトボトボト、と彼女の頭にヒルが降りそそぐ。


「リリア!」

「うっさいわね! アンタはおとなしく見てなさい!」


 ヒルに張り付かれながら、リリアは腰を落として拳を引く。

 細く長い呼吸音のあとで、一気に拳が打ち込まれた。


 ミシ、と音が響く。


「痛っ! 熱っ! 堅っ!」

「リリア、無茶するな!」


 リリアは俺を無視して再び壁に拳を打ち込む。

 腰を入れて、真っ直ぐに。

 何度も。


 打たれるたびに壁はきしんだ。


「ルーク。アンタは一度だってアタシの暴力を防御しなかった」

「それは――」


 生身の人間の攻撃に対して俺の防御は発動しない。

 そう言いかけたが、違うと分かった。


 ヒュブリス教団の教会で、俺は信者たちを防御の力で弾き飛ばした。

 意図いとしてやったわけじゃない。

 俺の体は無意識に、攻撃とそうじゃないものを区別しているんだ。


「それは、防御しなかったわけじゃない。アンタはアタシの暴力を防御することができない・・・・のよ」


 リリアの拳がただれ、血がにじんだ。

 それでも彼女は殴るのをやめない。


 リリアの推論すいろんが正しいことは、今この状況が証明している。


 ビシ、と音がして、壁に小さな亀裂が走った。


「腕一本くらいくれてやるわ! アタシの憎しみを舐めんな、馬鹿ルーク!!」


 ズタズタになった拳が亀裂の中心に打ち込まれ、ガラガラと壁が崩れ落ちた。

 直後、彼女もひざを突く。


「リリア! 大丈夫か! 待ってろ、すぐに『防御付与』を――」

「馬鹿! 無駄な魔力なんか使わないで! アンタはさっさと壁の先に行きなさい。アタシはちょっと……休憩する」


 リリアに張り付いたヒルを払う。

 すっかり魔力を吸われたのか、彼女は脱力していた。


「ヒルくらい平気よ。キモいけど攻撃してこないし、魔力吸われたって死なないし。足手まといにはなりたくないから、ほら、アンタだけで進みなさい」

「でも温度が」

「大丈夫よ。熱耐性のポーションはまだまだあるから」


 俺はリリアに体を押され、崩壊した壁の先に踏み出した。

 振り返ると、徐々に壁が直っていくのが見える。端の部分からじわじわと。


 壁の先でリリアが笑った。

 なんだかとても晴れやかに。


 すっかり壁が復活してしまう寸前すんぜん、ほんの小さな声が流れた。


「これが上手な嘘よ」

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