42.「外殻」

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3645日目

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昨日からずっと雨が降っています。

もうじき止むくらい弱まったかと思ったら、またザアっと思い出したように激しくなったり、その繰り返し。


今は夜で、マルスちゃんのベッド越しに窓ガラスを雨粒が流れていくのが見えます。


今日は夕食後にシスターと話しをしました。

この間から計画している孤児院についてのこととかです。ボクさえ良ければ手伝ってほしいと、改めてお願いされました。

今以上に忙しくなるでしょうけどボクは平気ですし、むしろ誇らしい気持ちです。


孤児院は学校と隣り合って作られる予定です。

これまで学校では冒険者向けの授業ばかりでしたけど、文字の読み書きや基礎的な算術も教えることになるそうです。

今は貴族の家庭教師が使っている教本や教材を手に入れようとしているらしいのですが、あまり上手くいっていないみたいです。


それから少し、ルークさんのことも話しました。

時間が経つのは早いようで遅いとか、そんな他愛もないことを喋ってるうちにルークさんの話題になってしまって。

今でも元気にしている、というのがボクとシスターの結論です。どこにいてもルークさんはルークさんらしく暮らしているんじゃないか、って。


でも、きっとそうじゃない。

シスターも口には出しませんでしたけど、分かってるはずです。


ルークさんはマルスちゃんの魔王が完成するまで王都に戻ることはなくて、ずっとどこかで修行してるんです。アスラさんとの約束ですから。

それを『暮らし』だなんて本心から思うのは、どうしても抵抗があります。ルークさんは今もマルスちゃんに――自分の中から出てきた魔王に縛られて生きているんじゃないでしょうか。

たとえマルスちゃんが何もかも諦めて二度と魔王を作らなかったとしても、それでルークさんが解放されることはないんじゃないかって、そんなふうに思います。


生意気ですね、ボク。

でも、そう思ってしまうんです。


マルスちゃんが復讐心から逃げられないでいることと、なんだか似ているように感じます。

今のマルスちゃんには色んな力があって、それこそ人間に見つからずに暮らすのは簡単なんです。現に、マルスちゃんの姿はボクにしか見えませんから。

それでも人間から脅かされているように感じてるんじゃないでしょうか。確かめるだなんて残酷なことはできませんけど。


シスターとお喋りをした後に、マルスちゃんともお話しをしました。

もちろん友達としてです。

いつだってボクは、マルスちゃんと友達として話をしてきましたから。


マルスちゃんには共感の力があるので、ボクが思ってることなんて全部お見通しなんだと思います。

だからボクがこの十年間、必死にルークさんのことを考えないようにしてきたことも、ちゃんと分かってるんじゃないでしょうか。


ボクはルークさんに会いたいです。

なんでこんなに想ってしまうか不思議なくらい、大好きなんです。

理屈とか、過ごした時間とか、思い出の数とか、そんなものは問題にならないくらいに。


ボクがもし魔王になってしまったら。

そうすればルークさんが倒しに来てくれる。

でもそのときのボクは、今こうして日記を書いて、ため息ばかりついてるボクとは違った存在で。

そんな、ボクじゃないボクがルークさんと会ったって、再会とは言えないんじゃないかと思います。


マルスちゃんもどうやら同じ意見みたいです。

魔王になったボクはボクじゃない。


『そんなことないよ、パペはパペのままだよ』って言えばいいのに、マルスちゃんは正直者です。


去年くらいからでしょうか。マルスちゃんは悪口を言ったりしなくなりました。


マルスちゃんが起きてきそうなので、ここで終わります。

続きは近いうちに。

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◇◇◇



「このままの調子で進めば、三十分くらいで魔王のところまで行けるわね」

「よし。速度を緩めんなよ盾男タテオ。さっさと魔王をぶっ潰して王都でモーニングを食うぞ」


 リリアとアスラさんに頷きを返し、前方を睨む。

 地上には段々と緑がとぼしくなり、ひび割れた荒れ地へと続いていた。

 この先が火山地帯で、その中心に魔王がいる。


 魔王のものらしき砲撃を最初に防御して以降、およそ五分おきに同じ攻撃が続いていた。

 今のところ、そのすべてをスキル『遠隔防壁』で防げている。


『遠隔防壁』。

 この十年の修行で会得した、新しい『守る力』だ。

 いかに自分が固くとも、それだけじゃ守れる範囲は狭い。自分以外へと向けられた攻撃を防ぐためには別の力が必要だった。

 思い描いた場所に思い描いた形状のシールドを展開できるようになるまで、途方もなく長い時間がかかったことを思い出す。


「十年間、どこで何してたのよ」


 しゃがみ込んだリリアが前方から視線を外さずに言った。

 随分と素っ気ない口調だ。


「北の山脈で修行してたよ。ずっと」

「……誰とも会わずに?」

「ああ」


 誰とも会わない場所を選んだんだ。

 万が一にも冒険者に見つかるわけにはいかなかったから。


 俺の目的は十年前から変わらない。

 マルスの保管する魔王――つまり俺の一部を消し去ることだ。

 そのさまたげになるような不測の事態を排除するには、他人との繋がりをつ必要があった。

 下手に誰かとかかわった結果、王都に俺の生存がバレてアスラさんもろとも罪に問われる可能性。それを消し去る方法が孤独以外になかっただけだ。


 おそらくケイトさんがギルドマスターになった時点でその懸念は不要だったろうけど、あくまでそれは結果論でしかない。


「十年も独りぼっちだなんてゾッとするわ」

「いいんだよ、別に。キュールが一緒だったし。……そっちの方は、十年間何があったんだ」


 俺が知っているリリアの歩みは、侯爵に引っ張られて冒険者を辞めされられたところまでだ。


「語りつくせないくらい色々あったわよ。というか、いちいちアンタに説明してやる筋合いなんてないわ。大事なのは今よ。Sランク冒険者として最強の名をほしいままにしていることが重要――」

「テメェに最強を譲った覚えはねぇよゴミ女。オレの目が黒いうちは永遠に二番手だタコ」

「魔王具の力に頼りきりの子供ジジイに言われたくないわよ! 素手でアタシに勝ってみなさいよクソガキ!」

「素手なんかじゃ冒険者の実力は量れねえっつうの。それに冒険者は道具を使いこなしてこそ一流なんだよ」


 また始まった……。

 もはや慣れつつあるけど。


 それにしても、道具を使いこなしてこそ一流か。

 そういえばリリアの杖って――。


「リリア」

「何よ!? 口挟まないでくれるかしら!?」

「そういえばなんで木の杖を使ってるんだ? 昔はもっと性能のいい武器を使ってたじゃないか」


 彼女は口を尖らせてそっぽを向き、それきり黙ってしまった。



 しばらく返事を待っているうちに、周囲の状況が急変した。


 ギャァァァオ!!


「魔王の手下がお出ましだナァ。ぶっ潰そうじゃねえか」


 前方に、真っ赤な鱗を持つ有翼ゆうよくの魔物――フレア・ワイバーンが見えた。

 先ほどのレイス同様、Aランクの魔物だ。

 それが数えきれないほど群れている。


「ルーク。アンタは魔王の砲撃だけに注意なさい。あの連中には手出ししないでいいわよ。子供ジジイも指くわえて見てなさいな――雷撃魔法『ボルト・フェニックス』!」


 リリアの杖からほとばしった雷が、巨大な鳥のかたちになった。

 彼女は雷の鳥に飛び乗ると、キュール以上の速度でフレア・ワイバーンの群れへと突っ込んでいった。


大袈裟おおげさなことしやがって、張り切ってんじゃねぇよ」

 と、アスラさんがやけに楽しそうに呟いた。


「雷撃魔法『ジェノ・ボルテックス』!!」


 敵の群れの中心――リリアの突っ込んだ位置から四方八方に、蛇行だこうする太い雷が迸った。

 やや遅れて轟音が耳を震わす。


 攻撃を終えて戻ってきたリリアは、得意げに髪を払った。


「準備運動にもならないわ」


 なるほど。確かに『殲滅』だ。

 数えきれないほど群れていた敵は、今や塵ひとつ残さず消えていた。



◇◇◇



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3652日目

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昨日、教団の信者さんでボクと同じく先生をしている方に仕事の引継ぎをしました。故郷に帰るかもしれないという理由で。

まだ決まってはいないから内緒にしてもらうよう、お願いもしました。

きっと誰にも話さないでいてくれると思います。優しい人ですから。


魔王になると決めたのは一昨日のことです。

すごく悩んで苦しんで、どうすれば一番いいか考えて考えて、それがこの結論です。

世の中に絶望したわけではありません。


ボクがマルスちゃんのためにしてあげられることは、もうそれくらいしか残ってなかったんです。


この先ずっとマルスちゃんと穏やかに生活するのも悪くないですけど、ボクもいつか死んでしまうときが来ます。そうなったとしてもマルスちゃんの中にはルークさんから生まれた魔王が残っていて、ボクじゃない別の誰かが魔王完成の役目をってしまう。これまでマルスちゃんがやってきたように、宿主やどぬしの一部を使って魔王が完成することでしょう。


だったらマルスちゃんとひとつになって、つらいのも苦しいのも全部共有して、行きつくところまで一緒に歩いてあげようと、そう決めたんです。


もし一体化した魔王が倒されてもマルスちゃんが死んじゃったりはしないそうです。

マルスちゃんは力をほとんど失って、次の魔王を生み出すのに途方もない時間が必要になるだけ。

根本的にはなんの解決にもなりません。

だからボクは、解決のためにこの結論を選んだわけではありません。


一体化することで、マルスちゃんをもっと深く理解してあげたいと思います。同時に、ボクのことも理解してほしいな、なんて。

もし魔王が倒されればマルスちゃんはまた独りになってしまいますけれど、そこにひと欠片かけらの素敵な思い出があるのとないのとでは大きな違いがあると信じています。


それが大きな理由です。

けどボクもそれなりに欲深いので、願望はあります。


どんなかたちであれ、もう一度ルークさんに会いたい。

姿かたちも声も言葉も考え方も、全部違ってしまったボクでもいいから。

たとえ再会とは言えないかたちであっても。


マルスちゃんは約束してくれました。

望みを叶えてあげる、って。

本当は優しい子なんです。


決心してから、マルスちゃんは少しだけ時間をくれました。


一週間。

心変わりしてもいいとまで言ってくれました。


もう決心はついています。

明日一日だけ人間として過ごして、次の日の朝、ボクは魔王になろうと思います。

―――――――――――



◇◇◇



 それはまさに異物だった。

 漆黒の鎧で武装した火山。そう表現するほかない。


 ただ、火山の全部が全部魔王と一体化しているわけではないようだった。中腹から頂上にかけてのみ漆黒に染まっていて、火山の本来の形状を無視した釣り鐘型をしている。

 本来火口のある箇所かしょには筒が伸びていて、それが稼働するようになっている。これまで飛んできた砲撃はすべて、あの筒から放たれたのだろう。


 まだ魔王には一キロほど距離があった。

 次々と飛びかかってくるフレア・ワイバーンを、リリアとアスラさんが撃墜している状況だ。


「あれ全部が魔王なのかよ。クソ鬱陶うっとうしい」

 とアスラさんが悪態をついた。


「ええ。思った以上です」

「けどまぁ、外殻がいかくだろうな。内側に核があるはずだ。それを叩くしかねぇ」


 あれ全部が魔王というより、内部に核――つまり本体があると考えるのが自然だろう。

 外殻に隙間があるかは分からないが、なんとか突破しなきゃ話にならない。


「キュール」

「きゅぅ……」


 そう寂しそうに鳴かないでくれ。

 大丈夫だから。

 そんな思いを込めて首元を撫でる。


 キュールには夜明けに再び戻ってくるよう伝えてある。ちゃんと理解してくれているのは長年の付き合いで分かっていた。


 魔王を倒したらすぐに指笛で合図を送る。それがなくても夜明けにはこの周辺に戻り、アスラさんとリリアがいれば回収していく。もし魔王が残っていれば空中で待機し、一日っても状況が変わらなければ全滅したものと判断して王都に戻るように。そんな手はずだ。


 キュールだけが王都に戻ったとしても、きっとシスティーナさんやケイトさんが世話をしてくれるだろうし、状況も察してくれる。


「キュール! 砲台の上空で少しだけ止まってくれ。そこで降りる」

「きゅる!!!」


 ぐん、と風圧が強くなった。みるみる魔王へと近づいていく。


「『防御付与』!」


 アスラさんとリリアの体が一瞬だけ青白く光った。


 これからやることについては、事前に二人に伝えてある。

 リリアからは散々「頭おかしいんじゃないの!?」と言われたけれど、最終的には渋々しぶしぶながら納得してくれた……と思う。


「アスラさん!」

「おうよ。鉄鋼魔法『黒縄コクジョウ』」


 アスラさんの背中から伸びた二本の帯がそれぞれ、俺とリリアの腹に巻き付いた。


「ヴッ……き、きついからもう少し緩めなさいよアスラ!」

「なんだなんだ太ったのかぁ?」

「う、うるさいわね! 明日からダイエットするわよ!」

「おいおいマジかよ。冗談だっての。もっと太ったほうがいいぜ。小枝みてぇな腰なんだからよぉ」

「デリカシーのないこと言わないでくださる!?」

「いやいや、健康は大事だからなマジで」


 もうすぐ砲口ほうこうの真上だ。


盾男タテオ、リリア」


 改まった口調でアスラさんが言う。


「この先、何があってもやり抜けよ。振り返ったりくやんだりする暇があるなら目的に向かって進め。いいな」

「はい」

「分かってるわよ、そんなこと」 


 砲口まで残り三メートル。


 二メートル。


 よし。


「今だ!」


 キュールの背から飛び降りる。

 振り返ると、リリアとアスラさんもワンテンポ遅れて飛び降りたところだった。


 みるみるうちに砲台へと近づいていく。ちょうど砲口へと落ちる軌道だ。


 砲口の奥では赤い光が揺蕩たゆたっている。多分溶岩だろう。

 溶岩の一部を魔力でコーティングして射出していることは、これまでの砲撃から察している。


 魔王の砲台は高速で飛行していたキュールを捉えるほど精密で、射程距離も異常に長い。

 一番最初に破壊すべきはこれだ。


 盾を引く。

 その刹那せつな、砲口内を赤い光が駆けるのが見えた。


「撃ってくるぞ、盾男タテオ!」


 アスラさんの声が頭上で聞こえる。

 問題ない。


「出力最大……」


 轟音とともに溶岩が射出された。

 目の前に、俺を飲み込むほど巨大な火球が迫る。


「『シールドバッシュ』!!」


 ドォォォォォォン!!


 火球が弾け飛び、それとともに砲台も崩れ落ちるのが見えた。

 俺たちはというと、反動で今まさに放物線を描いている。


 砲台は壊した。ひとまず第一段階はクリアだ。


 やがて俺たちは山の中腹――つまり魔王の外殻付近に落下した。

 周囲にはひとつの緑もなく、地面の亀裂を溶岩が流れている。


「とりあえず上手くいったな。上出来だ低脳盾野郎」


 アスラさん、それ褒めてるのか……?


「まったく……なんでアタシがこんな無茶なことに付き合わされなくちゃいけないわけ!?」


 リリアもご立腹だな。懐かしくて苦笑したくなる。


 さて。

 魔王の外殻だが……砲台とは素材が違うみたいだ。


 見上げた外殻は、まるで両開きの門のように亀裂が入っている箇所があった。それも三つ、同じサイズのものが等間隔に並んでいる。

 外殻全部にそのような亀裂が入っているというわけではなくて、俺たちの落ちたところにたまたま門らしきものがあったというだけだ。


 叩いてみるか。

 もちろん本気で。


「出力最大『シールドバッシュ』!!」


 ギィィィィン!


 駄目だ。手応えがない。


「鉄鋼魔法『白毫ビャクゴウ』」

「雷撃魔法『ボルト・アロー』!」


 リリアの雷魔法もアスラさんの鉄鋼魔法も、残念ながら弾かれてしまった。

 しかも傷ひとつついていない。


「仕方ないわね――ぃい!?」


 言いかけたリリアが、変な声を上げた。

 俺はほとんど反射的に盾を構える。


 三つの門が開いて、中から巨大な影が現れたのだ。

 どれも、十年前に俺から生まれた魔王にそっくりだった。


「魔王が三体か……クソ面倒くせぇな」


 確かに厄介だ。すぐに倒せる敵ではないだろう。

 十年の修行で俺が強くなったのと同じように、門を出てゆっくりと立ち上がった魔王たちも前回とは比べ物にならない強度だということは直感で分かった。


 門が徐々に閉じていく。


「鉄鋼魔法『黒縄コクジョウ』!!」


 三体の魔王をアスラさんが拘束する。

 が、完全に制御しきれてはいないようで、ピンと張った黒の帯がぶるぶると震えていた。


「テメェら、門が閉じる前に行け! このカチカチゴミクズ三兄弟はオレが始末する!」

「でも――」

「うるせえさっさと行けタコ助!!」


 さすがのアスラさんでも、魔王三体を相手にするなんて無茶だ。


 ぐい、と腕を引かれる。

 リリアが俺を掴んで踏み出していた。あまりにも真剣な表情と目つきで。


 リリアとアスラさんが、これまでの十年間でどんなふうにかかわり合ってきたかは知らない。

 ただ、キュールの背中でののしり合う様子には一種の信頼関係があったのは確かだ。


 彼女はちゃんと覚悟している。


 俺も、今一度覚悟しなければならない。


「アスラさん、死なないでください!」


 駆けながら叫ぶ。

 それに呼応するように、リリアの声も響いた。


「アタシ以外の誰かに負けたら許さないから」


 閉まりかけの門を、ほとんど滑り込むようにして潜入した。


 咄嗟とっさに振り返ると、アスラさんと目が合った。


「バーカ。振り返んじゃねぇよ」


 彼のへたくそな笑顔が、門に遮られた。

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