39.「降臨」

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1607日目

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このあいだ、教会が火事になりました。放火だそうです。


礼拝の時間ではなかったのですが、それでも何人かの信者さんが火傷を負いました。

治る見込みのある人もいれば、一生残ってしまう傷を負った人もいます。


亡くなったのはひとり。

教会で保護して育てていた、あの子供です。


とても哀しいし、悔しい。

火事のときボクが買い物に行かなければ。

あの子と一緒に出かけていれば。

たくさんの「もしも」で、胸がいっぱいになります。


マルスちゃんはご機嫌です。

犯人に復讐しようよ、と楽しそうに言います。


そう、犯人。

すぐに見つかりました。

元信者の人で、昔はボクと同じようにソロでクエストをこなしていた人でした。


教団の方針転換が気に入らなかったから放火したそうです。それだけが理由かは分かりませんけど、その人はそう言っていました。


教祖様は、その人を罪に問いませんでした。

信者の皆さんを集めておっしゃった内容は、一言一句覚えています。


「この者の罪を裁くことができるのは神だけです。

わたくしはかつて、神の力を借りて裁きを代行しておりました。

しかしそれはまやかしであり、許されざるあやまちだったのです。


神は地上にいる者を、その命のあるうちは決して裁くことなどないのです。

命ある人を裁くのは人だけです。行いに責め苦を与えるのも人だけです。

人が人に与える罰は例外なく不正な行いであり、罪と呼ぶべきものです。

執行者は唯一、神だけなのですから。


死後わたくしたち人間はひとしく神の前にひざまずき、その魂と行いとに相応ふさわしい裁きを受けることでしょう。

わたくし個人に関して言えば、地獄の最も深い場所で、永劫えいごうの罰を受けるに違いないのです。

神の名を不当にけがしたのですから。


わたくしは皆様に同じ過ちを犯していただきたくないのです。

人の身で考える範囲の正しさで、人を罰してはいけません。


怒りは、憎悪は、わたくしたちへの試練です。

生涯しょうがいにおいて誰しも、避けがたい悲劇を何度も味わうことでしょう。

この世界は、そのように作られているのです。

わたくしたちが悲劇の箱庭で生命ひとつ分の時間を過ごさねばならない意味を、どうかしからず、考えねばなりません。


わたくしはこの者を許します。

そして皆様もどうか、同じ想いを抱いていただければと思います。


それでも苦しくてたまらなければ、祈りましょう。

怒りや憎しみにいたらない哀しみで、あの子の死後の幸福を祈るのです」


教祖様は説教のあと、長いことお手洗いで吐きました。髪や服が汚れるのも気にせず。

最後には気を失ってしまいました。


このことを知っているのは、教祖様を介抱かいほうしたボクだけです。

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◇◇◇



「ひとつ確認ですが……その腕時計はギルドの所有物です。冒険者以外の着用は認めていません。貴方の立場は今のところ非常に曖昧です。冒険者としては死亡者にリストされている状況。言うなれば亡霊です」


 夕陽に染まった執務室に、ケイトさんの声だけが響いている。

 十年前の彼女も仕事中は真面目だったけれど、今はすっかり威厳いげんも備えていた。


「私はここで、貴方の立場をはっきりさせたいと思っています。冒険者として私の指揮下で行動するか、それとも亡霊のままさ迷うか……。一分以内に決めてください」


 答えなんてひとつだ。

 最初から自分ひとりでやるつもりなら王都に来ない。


「冒険者として動きます」

「よろしい。では、Cランク冒険者ルーク」

「はい」

「ならびに、Sランク冒険者アスラ」

「おう」


 ケイトさんは少しのを置いて、言い放った。


「両名に命じます。十年前に消失した『鎧の魔王』――その完全体を討ち取りなさい。作戦行動における責任はすべて私がいます。死力を尽くしなさい!」


 もとよりそのつもりだ。


 俺が頷くと同時に、ケイトさんの表情がやわらいだ。


「それと……これはギルドマスターではなく私個人からの言葉です」


 そう言って、彼女は俺の手を取った。


「十年前は力になれなくてごめんなさい。デッドリー・ドラゴン屍竜を討伐して王都を危機から救ってくれたというのに、あのときのギルドはルークさんとキュールちゃんを排除することしかできませんでした。つぐないになんてならないことは分かっていますけど……今後何があろうとも、ギルドはルークさんを守ります。だから、生きて帰ってくださいね」


 償いなんて必要ない。

 ケイトさんがあの日の悔しさをずっと覚えていて、こうしてギルドマスターにまで上り詰めただけで充分意義があったんじゃないかと思う。


「生きて帰れるかは約束できませんけど、そのつもりでいます」


 ケイトさんは目尻を指の背で拭い、小さく頷いた。



◇◇◇



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1972日目

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マルスちゃんはまだボクを諦めてないみたいです。

毎日誰かの悪口を言ったり、街で見た悲劇の感想をボクに求めたりします。

そんな彼女を最初は無視することもあったんですけど、近頃は率直に返事をすることにしています。


感じたままをちゃんと伝えると、マルスちゃんは黙るか、ボクの髪を引っ張るか、怒って言い返すか、そんな感じの反応をします。

だから、なんだか最近は喧嘩みたいになることもあります。

特に、ルークさんのことだと喧嘩になりやすい気がします。ボクも少しムキになっちゃうからでしょうか。分かりません。


今日は墓地に行きました。火事から一年です。

あの説教のあとで信者さんが少し減って、また元の数くらいまで増えました。


学校が建ってから、もう一年になります。

先生をしてるなんて自分でも不思議に思いますけど、子供たちには好かれているみたいです。

よかった。

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◇◇◇



「盛り上がってるところ申し訳ないのですが……」

 と、俺の隣でシスティーナさんが言葉を挟む。

「わたくしが同行するのは駄目なのですか?」


 システィーナさんの腕にはもう、冒険者の証である腕時計はない。

 彼女もパペと同じように冒険者を辞めたのだろう。


「役立たずのクソアマを連れてけって? おいおい、冗談言うなよ」

「アスラさん……貴方という人は。本当に配慮の欠片もないですね」

「配慮? んなクソの役にも立たねえモン持っちゃいねえよ」


 おほん、とケイトさんが咳払いをひとつして割って入った。


「シスター。貴女には王都のなかでご協力いただきたいのです」

「王都で?」

「ええ。魔王討伐作戦を秘密裏ひみつりに実行するつもりはありません。冒険者で王都および近隣の町を守護し、住民には王都外へ出ないよう誘導します。相手は魔王ですから、すでに支配下に置いた魔物を王都へと放っているかもしれません。たとえ混乱があるとしても、事実を伏せたまま動くわけにはいきませんから」


「……そういうことですね。わたくしに誘導役をやってほしいと」

「もちろん、ギルドも事務員を含めて総力で当たります。ただ、シスターのお力は絶大ですから、ぜひともご協力いただきたいのです」


 精神的支柱。

 そんな言葉が頭に浮かんだ。


「分かりました。わたくしも全力を尽くしましょう。信者の皆さんの力もきっとお借りできるでしょう」


 ひとまず、これで王都は大丈夫だろう。

 システィーナさんの呼びかけであれば無用な混乱は起きないはずだ。


 それにしても、ひとつ気になることがある。


「ケイトさん――いえ、ギルドマスター。魔王討伐隊のメンバーは俺とアスラさんだけなんですか?」

「ええ。本当ならもうひとり加わっていただきたい方がいるのですが、あいにく地方に出征しゅっせいしていますので……。帰還を待つような余裕はない以上、やむを得ません」


 たった二人か。アスラさんがいるのは心強いけど……さすがに少なすぎやしないだろうか。


 俺の不安を察したのか、アスラさんが嘲笑混じり補足した。


「言ったろうが、オレ以外のSランクなんざゴミだって。ひとりだけ例外がいるが、マスターが言ったように王都には今いねえ。オレとテメェでデートってワケだ。ぞろぞろ連れて行ったとこで棺桶が増えるだけなんだよ」


 それだけ俺を買ってくれてるってことか。

 たった二人で充分と言えるかは微妙だが……アスラさんなりに思うところがあるのだろう。

 十年前に王都で生まれた魔王を撤退させたのも、俺とアスラさんの二人だったっけ。



 不意に、ケイトさんの左腕でピコンと音が鳴った。


 彼女は「失礼」と断って、自分の腕時計をタッチしてウインドウを展開すると、慣れた手つきで操作した。

 時間にして三秒足らず。彼女はウインドウを消し、俺たちを順番に見つめた。


「たった今地方ギルドに出征している冒険者から報告がありました。先ほどお話したSランク冒険者からです。南方の火山地帯の中心に、火山と一体化した巨大な異物が出現したとのことです。その外皮は、記録に残っている『鎧の魔王』と酷似こくじしています」


 南の火山地帯。

 確か、王都から随分と離れているはずだ。


「つーことは、途中でそいつと合流すりゃ討伐隊は三人だな。当初の予定通り、ベストのメンバーだ。ただ……吉報きっぽうとは言えねぇ。よりにもよって火山地帯かよ、クソ妖精め。馬車でも二日はかかるじゃねえか」


 アスラさんに匹敵ひってきするSランク冒険者か。心強い。

 ただし、馬車で二日かかるが……それは問題ない。


「アスラさん。俺に考えがあります」



◇◇◇



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2560日目

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マルスちゃんが、ほんの少しずつですけど妖精のことを話してくれるようになりました。

「こんな酷い目にってきたんだから人間は最低な生き物だ」って必ず言います。

そう思うのも仕方ないくらい酷いと、ボクも思います。


マルスちゃんは妖精のなかでも共感する力に優れた妖精らしいです。

だから、離れていてもほかの仲間が何をしていて、どんな気持ちかが分かったらしいです。

どう殺されたかも。


マルスちゃんが言うには、妖精を食べれば魔力が増えて、魔法やスキル(当時はそんな分類はなかったみたいですけど、便宜的べんぎてきにスキルと書いておきます)が上達するという考えが横行していたようです。

「迷信ならまだしも、真実だからもっと悪い」と彼女は言っていました。


本来人間は、生まれながらに蓄積ちくせきできる魔力量が決まっています。雨水を溜める桶みたいなもので、中の水を使い切ってもまた雨が降れば溜まりますけど、器以上は決して入らない。

その器自体は、魔力炉まりょくろと呼ばれています。


妖精は魔力の源で、人の持つ魔力炉を拡大できるらしいです。

魔法やスキルは生活を豊かにするためにも、魔物から大切な人を守るためにも便利なものです。もちろん使いこなすには訓練が必要なのですけれど、どうもその時期の人々は誤解があったようで、妖精を口にすれば奇跡のような魔法やスキルを簡単に使えると思っていたようです。


妖精狩り。

大昔に、昔の王族が主導してそんなことをしたらしいです。

捕まえた妖精を拷問して仲間を呼ばせたり、居所を吐かせたり、あるいは羽を千切って舌を引っこ抜いた妖精を棒切れにくくり付けて罠にしたりとか……。


そのせいでどんどんどんどん数が減っていって、今ではマルスちゃんひとりきり。

もう何百年も妖精の姿を見ていないことが理由で絶滅したと伝わっています。


マルスちゃんは共感の力で、死んでしまった妖精が持っていた力を受け継いだらしいです。

姿を見えないようにしたりとか、特定の誰かにだけ声を届けたりとか、瞬間移動とか。

だから世界で最後の、一番強い妖精なんだって言ってました。


それはなんだか、世界で一番つらい目に遭ってきた、なぐさめなんか絶対に届かないくらい哀しい存在とも言えそうです。


ボクはやっぱりマルスちゃんを放っておけません。

でもどうすればいいのか結論が出ません。

こんなときルークさんならどうするだろうって、よく考えてしまいます。


会いたいな。


もう七年。

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◇◇◇



 ギルドの受付施設は大通りに面しており、道具屋や武器屋、魔法をり込んだ服飾や雑貨を扱う店もある。

 以前は王都の南街区に密集していた職人の工房も、いくつかこの大通りに移転していた。

 ひとつところに専門的な職能しょくのうが集中していることのリスクをかんがみてのことだろう。


 十年前のデッドリー・ドラゴン屍竜襲来と魔王出現が街にもたらした変容のひとつだ。

 もっとじっくり観察すれば、悲劇の余波はいたるところに見出せるに違いない。


 通りはすっかり夕陽色に染まっている。ギルドの両開きの扉を出た俺たち――ケイトさん、アスラさん、システィーナさん、俺――も同じ色にひたされた。


「ケイトさん。いえ、ギルドマスター。お願いします」


 そう呼びかけると、ケイトさんは厳格な表情で頷いた。そのたたずまいは堂々としている。


 ギルド前に横並びに立つ俺たちを見て、住民が立ち止まった。


 食堂から出てきた冒険者たちが、

「おい、あれ」

「ああ、マスターだ」

「教祖もいるぞ」

 と小さな囁きをわしている。


「『拡声魔法』発動。ならびに、『拡声付与』発動」


 ケイトさんの呟きと同時に、彼女とシスティーナさんの体が青白い光をまとった。


 ケイトさんにも、いくつか魔法が使えるらしい。

 ギルドマスターとして最適化された魔法なんだそうだ。

 そのひとつが『拡声魔法』。その名の通り、王都中に声を届かせる魔法だ。


『諸君』


 ケイトさんの声が響き渡る。空から降り注いでくるような具合に。

 それでいて聴き苦しいほどの大音量ではない。


『私はギルドマスターのケイトだ。わけあって王都中に声を届けている。歓談中の者も、食事中の者も、しばし私の言葉に耳を傾けていただきたい』


 大通りで立ち止まっていた住民と冒険者とが、空とケイトさんとを交互に見つめた。


 背後の受付施設内で慌ただしい靴音がしたが、両開きの扉を開ける者はいなかった。

 受付嬢が制止したのだろう。


『先ほど王都の遥か南方で魔王の姿が確認された。これより王都の全住民は外出を控えていただきたい。現在王都にいる全冒険者には、王都および近隣の村や町の守護を命ずる。追ってスキルボードを通じて各冒険者へ指示を送るので、すみやかに準備せよ。全道具屋は冒険者へ無償でアイテムを提供するように。代金は後ほどギルドまで請求を』


 あちこちからざわめきが上がっている。


 そろそろ俺たちとアスラさんも出発する頃合いだ。


 大きく息を吸い、ケイトさんの『声』にき消されないよう、高く長く、指笛を吹いた。


『ただいまより、魔王討伐隊が出発する。天空より訪れる使者に決して危害を加えるな』


 ケイトさんの言葉が終わるか終わらないかというタイミングで、どこかから叫び声が流れた。


「竜だ!」

「あれが使者……?」

「魔物じゃないのか!?」


 想定通りの反応だ。


 先ほどギルドマスターの執務室で、キュールでの移動を提案した。

 馬車で二日ほどの道のりだとしても、キュールなら三時間もかからない。


 ただ、問題がひとつ。

 街外れに降り立たせたところで住民にも冒険者にも姿は知れ渡ってしまう。


 いっそ大胆に王都の中心――ギルドの前に降り立たせてしまおうと言ったのはシスティーナさんで、ケイトさんが彼女の意見を全面的に支持したのである。

 かくしてキュールを、街の中心に降りたたせる運びとなった。


 俺の隣で、システィーナさんが大きく息を吸う。


『皆様。空をあおいでください。ヒュブリス教団の神が、今まさに降り立とうとしています』


 システィーナさんの声もまた、王都中に響いていた。

『拡声付与』の恩恵だ。ケイトさんの魔法がそのままシスティーナさんにも付与されている。


『わたくしたちの神は、魔王討伐のためにお力を貸してくださるのです。遥か遠方で生まれた脅威きょういを打ち払うために』


 あちこちで嘆息たんそくが聴こえる。

 それにいで、短い悲鳴が上がった。

 キュールが速度を落とすことなく急降下を続けているからだ。あと一秒もしないうちに地面に到達するだろう。


 やがてキュールは音もなく王都に降り立った。片足が俺の眼前――大通りを塞ぎ、もう片方の足は向かいの道具屋の屋根を踏んでいる。

 普通なら家屋はぺしゃんこになっているし、通りにも大規模な亀裂が走るところだ。

 でも、そうはなっていないし、そうならないこともよく知っている。


 十年で変化したのは俺だけじゃない。

 キュールにほどこした『防御付与』は、長い時間をかけてその身に馴染み、ブレイド・ドラゴン剣山竜としてのあり方を変容させた。


 今のキュールは、誰も、何物も、傷付けることができない。全身に防御のまくが張られている状態だ。


「行くぞ、盾男タテオ

「はい」


 俺とアスラさんは頷きをわし、キュールの鱗をよじ登った。


『神は人の世界に干渉することはありません。が、今このときばかりは例外です。神のうれいが竜の姿となって、この世に姿を現したのです。英雄を魔王のもとへ運ぶために』


 キュールの背に登り、ケイトさんとシスティーナさんに会釈えしゃくをした。


 行ってきます。

 心でそう呟く。


「キュール、上昇」

「きゅるるるる!」


 翼が空を打ち、視界がグンと上がった。


『祈るのです。王都の英雄が、神とともに脅威を打ち砕くよう祈るのです。どうか――どうかご武運を!』


 システィーナさんの声が、遥か後方へと流れていった。

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