バルウィン家 1


翌日の朝


宿屋の女将と使用人に見送られて、ラウラは宿を後にした。

皆に頭を下げ、少し寝不足の目をこすりながら、バルウィン家へと向かった。

長い麦穂色の髪を一つにまとめ、耳元には精霊からもらったイヤリングが揺れている。


昨日は、宿屋が大騒ぎになった。

宿に戻ってすぐ、女将から「いい仕事は見つかったかい?」と尋ねられたラウラが、「バルウィン家で働くことになりました」と答えたからだ。

女将は文字通り飛び上がって驚き、奥の部屋へ大声で声をかけた。

そこからあっという間に祝宴が始まった。

近くに住む人たちまでもが集まり、皆が口々にラウラへ祝福の言葉をかけた。

バルウィン家で働くのは優秀な人ばかりだ、なんたって領主さまが選んだんだから間違いない! と、ラウラを褒め、喜んでくれた。

祝宴は夜更けまで続き、結果寝不足ではあるが、ラウラは充実した朝を迎えた。


屋敷に向かう道すがら、ラウラは思い出し笑いをする。


ふふっ。

女将さんも、女将さんのお友達も、全員フィデリオ様のことをいい男だーって言ってたな。

男の人達は、フィデリオ様が領主になったここ数年で、信じられないくらい豊かな国になったと言っていた。

しかもあの見た目で、剣の腕も相当なものだと……すっごく見てみたい!

とにかく、フィデリオ様は愛されている領主なのね。

私、この国をとても好きになれそう、ううん、もう大好きだわ!


ラウラは弾むような気持になり、さらに足を早めた。


10分程度歩いた頃、バルウィン家の門が見えてきた。

ラウラが門に近づくと、チリリンと軽快な音が鳴り響く。

昨日登録をしたので、しっかりと認証されたのだろう、門番がラウラに笑顔を向けた。

ラウラは笑顔で頭を下げ、屋敷へと向かう。


玄関扉を開けて中に入ると、ほのかにハーブティーの香りが漂っていた。

ラウラは、春を詰め込んだ様な香りに自然と笑顔になり、フィデリオの部屋の扉を叩いた。


「おはようございます、ラウラ・ストラールです!」

「どうぞ」


優しい声と同時に扉が開く。

扉を開けたのは執事のセルジュだった。

窓に近い机には笑顔のフィデリオと、ラウラと同年代くらいの少女が立っていた。

少女は、赤毛の髪を三つ編みシニヨンにして、低い位置でまとめている。

大きな瞳が印象的だ。

フィデリオは、昨日と違い前髪をあげていた。

弓型の美しい眉が見え、端正な容姿が一段と際立って見える。

この顔に慣れる日が来るのかしら……ラウラはそんなことを思いながら頭を下げた。


「失礼いたします」

「おはようラウラ。昨夜は眠れたかい?」

「おはようございます、フィデリオ様。ちょっと緊張してしまって……でも、全然大丈夫です!」

「今日は屋敷の案内だけだから、あとはゆっくりすればいいよ」

「はい、ありがとうございます」

「そんなにかたくならないで」


緊張した様子のラウラを見て、フィデリオは優しく微笑んだ。

薄い唇から形の良い歯がこぼれる。

ラウラは少し気恥しくなり、軽く肩をすくめて視線を逸らした。


その時、フィデリオの横に立っている少女と目が合った。

少女は茶色の大きな瞳でラウラを見つめてにっこりと笑い、深々とお辞儀をした。

つられてラウラも頭を下げる。

そんな二人の様子に気づいたフィデリオが口を開いた。


「そうそう、この子はグレイスだ。半年前からこの屋敷で働いてくれている。彼女の隣の部屋が、君がこの屋敷で住む部屋だよ」


フィデリオに紹介されたグレイスは、にっこりと微笑んだ。


「はじめまして、グレイス・メイソンよ。グレイスでいいわ」

「はじめましてグレイス。私はラウラ・ストラール。ラウラって呼んでね」

「よろしくねラウラ、会えて嬉しいわ。昨晩からあなたの噂でもちきりなのよ!」

「えっ?」

「あの汚れ落としでございますね」


話を聞いていたセルジュが、突然会話に加わった。

フィデリオが「ああ」と声を漏らす。

グレイスは、二人の顔を見て大きく頷き、ラウラの手を取った。


「ラウラ! あなたはこの屋敷の救世主なのっ」

「わたしが?」

「そうよ、あなたのおかげで掃除とお洗濯の時間が半分になるっ!」

「まあ」


グレイスはラウラの手を握ってぶんぶんと振りながら話を続ける。


「このお屋敷の薬師さん達は、すっごく作業服を汚すのよ」


昨日会ったエルノとリーアムの顔が、ラウラの頭の中をよぎる。


「それにうちの当主様! いろんなところから薬草を持ち込んではポケットに入れてるのっ」

「ああ!」


ラウラは、フィデリオのポケットから次々に出てきた薬草のことを思い出し、おもわず相槌を打った。


「それなのに白いお洋服が好きでいらっしゃるから……」

「グレイス、もういいだろう。本当にいつも悪かったと思ってるよ」


眉を八の字に下げたフィデリオが、グレイスの話を止めた。

あまり表情を崩さない執事のセルジュが、笑いを堪えるような表情をしている。

半年前からこの屋敷に勤め始めたというグレイス、なかなかのしっかり者のようだ。


「やだ、わたしったら! 失礼いたしました」


慌てて頭を下げるグレイスを見て、フィデリオは困った表情をしながらも、目を細めて笑っている。


「ポケットのことは、グレイスがこの屋敷に来る何年も前からセルジュにもよく言われていたんだ。さずがに反省したよ、よほど皆に手間を取らせていたみたいだね、申し訳ない」

「いえ、そんなっ!」


グレイスが顔を真っ赤にしている。

そんなグレイスに、フィデリオは優しく微笑みかけた。


「じゃあグレイス、ラウラに屋敷を案内してもらっていいかな?」

「はい、もちろんです!」

「ではラウラ、グレイスから屋敷の説明を聞いた後は、自分の部屋でゆっくりしてくれて構わないよ。片付けや支度もあるだろう」

「はい、ありがとうございます」

「何か足りない物やほしいものがあれば、申し付けてくれていいからね」

「はい、ありがとうございます」

「はい、お任せください!」


ラウラが返事をしたあと、グレイスも続けて返事をした。

フィデリオは一瞬驚いた顔をしたが、小さく二回頷いて席に着いた。

三人のやり取りを見ていたセルジュが、扉を開けて待っている。

ラウラとグレイスは、二人揃ってぺこりと頭を下げ、フィデリオの部屋を出た。

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