4.2「北進」「南進」併進論の戦略
日本の戦略論は昭和期を通じて「北進論」と「南進論」の二つが存在し、しばしば対立した。結論から言えば、太平洋戦争では日本は南進を選択し北進は回避した。しかし戦争全体を俯瞰すると、この選択には長所と短所があった。北進していれば独ソ戦と連動してソ連を倒せたかもしれないが、南方資源を得られず戦争継続が困難になる。一方南進では資源は得られたが強大な米国と直接対決することになった。では「南北併進」すなわち両面作戦を追求する道はあり得たのだろうか。
1941年6月に独ソ戦が開始されると、日本陸軍内でも「今こそ対ソ開戦すべし」との北進論が一時高まった。関東軍は対ソ準備として関東軍特種演習と称する大動員を実施し、最大85万人規模の兵力を満洲に集結させた。これは実質上の対ソ戦準備であり、東條英機陸相らも参戦に前向きであった。一方で海軍や政府首脳部は米英との戦争準備を主張し、南部仏印進駐を強行した結果、米国の石油禁輸という重大事態を招いた。この時点で日本は南進か北進かの二者択一に迫られ、結果的に資源確保のため対米英蘭開戦という南進を決断し、北進論は放棄された。すなわち日本に南北両正面を同時に戦う国力はなく、北進と南進は相打ちとなったのである。
しかし想定を変え、もし日本が日中戦争の早期終結などによってより潤沢な戦力と資源備蓄を持っていたら、状況は異なったかもしれない。例えば、関特演動員の85万の関東軍をそのまま対ソ侵攻に投入しつつ、南方には海軍と一部陸軍で対英米蘭作戦を実施。関特演の時点で日本の石油備蓄は平時2年、戦時1.5年分しかなく、このままでは対ソ戦をしても石油が尽きる。しかし、仮に1941年下半期〜1942年にかけて対ソ戦と対英米蘭戦を併行遂行し、迅速にソ連極東を制圧、南方資源を確保した上で、対米抑止に集中するということも考えられる。
北進については、「もし第二次世界大戦で日本がソ連に侵攻したら」、という動画を見てほしい。
重要なのは、米国との戦争を如何に制御するかである。日本は米国の態勢が整う1943年後半より前にソ連とイギリスに打撃を与え、戦略目標を達成した段階で「講和」を模索することもできたであろう。史実では米英は「無条件降伏」以外を認めなかったが、それは連合国が優勢になって以降固まった方針であり、開戦初期の段階では欧州戦線、太平洋戦線ともに枢軸が攻勢であった。もしソ連崩壊、中東、北アフリカ、東南アジア制圧インドの動揺という最悪の事態に直面すれば、米英も勝利なき和平を検討せざるを得なかった可能性は否定できない。
このように、日本が満洲国という拠点を活かして北進と南進を両立できれば、枢軸側の戦略的優位は決定的となり得た。南北二正面作戦はリスクも大きいが、成功すればソ連とイギリスを同時に屈服させるという壮大な成果が見込める。ヒトラーは独ソ戦開始時に日本の参戦を強く期待しており、また日本国内でも関特演に見られるようにその機運は存在していた。結局は石油という制約に縛られ実現しなかったものの、日本がもう少し賢明に資源確保と外交を運用していれば、「北進してソ連撃滅、南進して資源確保」という最良シナリオも描けなくはなかった。これは非常に困難な離れ業であるが、達成されていれば枢軸国の限定的勝利に直結したであろう。
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