第17話 強襲のレヴナント③

「――わかりました。それでいきましょう」


 ノヴィアがふたつ返事で、ぼくの提案に了解した。レヴナントたちの猛攻を凌ぐキレートも、詠唱クライを途中で止めたエディも、頷きだけを寄こして同意を示した。


「お願いします、ノヴィアさん」


 図らずとも陣頭指揮を執ることになったぼくの言葉を受けて、ノヴィアが機敏に銃身バレルを換装した。右足首に大怪我を負いながらも、彼女は岩壁に体を預けて左足だけで重心を支えながら、射撃のための一連の手順を流れるような速さで完了し終えた。


 そうして、どれだけ困難な状況を前にしても、決して意志を曲げることはしないという彼女の性格そのものを象徴するかのように、銃口から撃ち出された魔弾という魔弾が、綺麗な螺旋回転を描きながら一直線に飛び、生ける屍たちの吐瀉物めいて溶けかかっている土手っ腹へと食い込んでいった。


 そのたびに、屍たちの周囲で見えない魔導の嵐が吹き荒れた。その魔導の嵐の中心では、ノヴィアの決死の一撃を食らった、五、六匹の生ける屍たちが、見えざる力であっという間にお互いに吸い寄せられ、前衛舞踏コンテンポラリーのような態勢で密着しあっていた。まるで、頑丈な見えない縫い針でお互いの重要なパーツのあちこちをしっかりと縫い留められたかのようだった。


 突然のことに、生ける屍たちは雄叫びにも似た声を上げながら、お互いに離れようと懸命に腕や足をばたつかせた。だが、逆にそうすればするほど、剥き出しの肋骨が青白い臀部に深く食い込み、溶けかかった唇が足の親指に圧迫されるなど複雑に絡み合った。気づいたときには、怪奇的グロテスクなひとつの、生きた造形物が出来上がっていた。


 これぞ、軽業士スリンガーであるノヴィアの切り札とっておき。【磁性マグネフォース】の魔導効果の成せる業だ。魔弾の直撃を受けた者に強力な磁性を付与する効果を持つそれは、この時も正しくその威力を発揮していた。助けに入ろうとしたほかのレヴナントもいたが、そいつが絡み合う同胞たちに手を触れた途端、びたりとその手が吸い寄せられ、奇怪な造形物の一部と化していった。


 同胞の手助けをすべきかどうか。生ける屍たちの行動形式に迷いが生じたところで、キレートの新たな魔導効果が飛んできた。その途端、レヴナントたちの死せる視線が、一斉にキレートへ向けられ、光の防壁目掛けて殺到した。【挑発エキサキオ】の魔導効果がそうさせたのだ。単に意識を自分へ向けさせるというだけじゃなく、これには相手の思考能力を一時的に奪う力もある。脳が腐りかけのモンストルの思考力なんてたかが知れているけれど、キレートが敵の注意を逸らしてくれているおかげで、攻撃を任された者たちは各々の仕事に集中できる。


「やれ!トム・バードウッド!」


 光の防壁に突き立てられた生ける屍たちの凶爪が、ガリガリと火花を散らす。追加の詠唱クライで防壁の強度を高め、足腰に力を溜めて、キレートがそう叫んだ。


 言われなくとも。仲間の頑張りを無駄にするわけにはいかない。


 標的は、五、六匹のモンストルたちが複雑に絡み合って誕生した、奇怪な造形物。そこに《夜のはじまり》で追撃をかける。


 右腕を振るって勢いよく銀光を奔らせ、指弾スナップ。対象は、塊と化した生ける屍たちと、大穴から姿を見せようとした、一匹のレヴナントだ。


 手首を軽やかに捻り、置換シャフリング――目の前からレヴナントたちの奇怪な肉団子が消失し、代わりに一匹のレヴナントが瞬時に置き換わって姿を現わした。一匹程度なら問題ないと、これを早々に【清浄キリエ】の連弾で片づけたエディが、レヴナントの奇怪な肉団子が飛ばされた先を見て、感心するように大きく頷いた。


 下水道を流れる汚水のような鳴き声を腐った喉奥から漏らしながら、大穴にぴったりと収まったレヴナントの塊が身動きも取れずもがいている。その音に混じって、地鳴りにも近い音が断続的に響いている。レヴナントたちは湧いてこなかった。


シャハルよしきた!」と、エディが快哉の声を上げた。ぼくもほっと胸を撫で下ろした。


 観察していてわかったのは、ポータル・モンストルを介したモンストルの輸送先が、大穴から動いていないということだ。つまり、輸送先の座標地点は常に固定されていると考えることができる。だとしたら、その座標地点に別の何かを置いておけば、輸送状況に誤作動エラーを引き起こすことができるんじゃないか……その見立ては正しかったことが、これで証明されたのだ。


 ノヴィアがすかさず、残りのレヴナントたちへ向けて銃の銃爪ヒキガネを引いていった。【磁力マグネフォース】の威力をすでに思い知らされているせいか、レヴナントたちは俊敏に動き回ってこれを回避しようとするが、エディが動きを封じるように魔導効果を放ち、キレートが【挑発エキサキオ】で足止めするなどのサポートを駆使したおかげで、ノヴィアが狙いを仕損じることは一度もなかった。次々に目の前でおぞましい肉団子が出来上がっていくのを見ながら、ぼくはそれらひとつひとつを、《夜のはじまり》の力で断絶空間へと隔離していった。


「これでいいのか?」と、ぼくの前に立つキレートが防壁を展開しながら言った。ここまで順調に事が上手く運んでいる事実に安堵しつつ、まだどこか一抹の不安を拭いきれていないような声色で。


「大丈夫。このまま待てば――」と、続く言葉をわざわざ口にするまでもなかった。断絶空間に押しとどめられて身動き出来ずにいるレヴナントたちの肉塊が、不気味な黄色い気泡を至るところから噴出させながら、しゅーしゅーと音を立て、どろどろに溶けていった。血のような目玉がぽろっと取れて岩面を転がり、断絶空間の見えざる壁にぶつかって跳ね返った。肉塊の中から次第に剥き出しになっていく青白い骨という骨が、さながら墓標のようにすら見えてきた。


「すげぇ……」と、キレートが呆然と口にしながら、信じられないという面持ちで事の次第を見守って続けた。「第六の魔導効果ホーリー・マギカ以外の魔導効果でコイツらがぶっ倒れるところなんて、はじめて見たぜ」


 ぼくのことを臆病者と詰っていた彼すらも感心させた、一連の連携攻撃。それこそ、古い記憶を寝床にするベル・ラックベルの言葉あってこそだった。


 断絶空間の中は、ほんのわずかだけ時の流れが進んでいる。通常なら、気にするほどのものでもない。でも、生きながらにして死に最も近い状態にあるという矛盾を抱えているレヴナントたちは違う。この腐臭を放つモンストルたちが普通のそれと異なるのは、人間を殺すのではなく、人間を喰うという習性を有しているという点だ。新鮮な生きた人間の臓物を求めるのは、奴らが死の断崖に立つモンストル達だからだ。


 だったらこいつらの、その生に執着する醜い背中を、ほんのすこし軽く押してやって、死の断崖から突き落としてやればいい。すなわち、時間の流れが速い限定的な空間に押しとどめてやりさえすれば、再生能力リジェネリックを司る体内機構が劣化して、勝手に自滅する。そういう算段の下に組み立てた作戦だった。


 これを実現するのに、《夜のはじまり》の魔導効果はうってつけと言えた。レヴナントたちの栄養源ともいえる瘴気マナは、それ自体はなんの魔力攻撃にもなりはしない。だから断絶空間を破壊する力は持ちえず、むしろ気体という物理的な側面が強調される。要は、断絶空間に閉じ込められたレヴナントたちは、瘴気マナを吸収することが出来なくなる。まな板の上の鯉ってやつさ。


 でも、そうした条件下に奴らを追い込むには、ぼくだけの力では無理だ。素の状態のレヴナントたちを断絶空間に閉じ込めても、【腐食ラスティ】の魔力攻撃で、あっさりと空間は破られてしまう。だから、【磁性マグネフォース】で状態異常へ追い込んだり、【挑発エキサキオ】で意識を逸らす必要があった。それに、最初にエディが【清浄キリエ】を発動させてくれていたおかげで、それが牽制の役割も果たしてくれた。


 ぼくひとりの力では、ここまで立ち回れることなんて出来なかった。


 やがて戦域は終結に差し掛かり、あれだけいたレヴナントの大群が、腐り果てたただの骸として目の前に広がっていた。


「終わった……のか?」


 キレートが周囲へ鋭い一瞥を投げながら、緊張した声で言った。ノヴィアもまた銃を構えて辺りの様子を伺っていたが、敵の気配が消えたことに安堵したのか、ゆっくりと銃を下ろした。


 その機を見計らっていたかのように、ぼくの背後に何かが飛びかかってきた。


 瞬間、ガラスの割れるような音が、ぼくの耳朶を打った。


 ぼくの心臓がすぐに敵の攻撃で止まることはなかった。血が流れることも。


 事前の打ち合わせが、うまくハマってくれた。まさか術者本人が断絶空間に囲われているとは、向こうも思ってもいなかったのだろう。


 手元に伝わる想定外の衝撃に驚いたのか。ほんのわずかだけ、敵の攻撃の手が緩んだ。


 それも、こちらにとって想定内のことだった。手練れの魔撃士ソーサリーが、戦闘の最中に生じた間隙を見逃すことなく、すかさず魔導効果を発動したことも加えて。


「そこかぁ!」


 エディの高速詠唱ラピッド――もはや言葉として認識することすら不可能な音の連なり。

 聖なる光線の雨が、黒い影をローブのように羽織った敵の全身を射抜いた。

 影は三次元の空間に実体化すると、霧のように瞬く間に霧散した。


「だと思ったよ」


 エディがにやりと笑みを浮かべた。


 ノヴィアが視線合図アイコンタクトを受け取り、明後日の方の壁に向かって魔弾を撃った。

 すかさずエディが短杖ロッドをおおよその方向へ翳し、振り向きもせずに高速詠唱ラピッド――【磁性マグネフォース】が宿すもう一つの効果――――が、空間を奔る【清浄キリエ】に正しい道筋を与え、辿り着くべき標的の頭部へと誘った。


 岩壁から絶叫が轟いたのと同時、壁の一部が黒く色を変えて、そこに長らく潜んでいた、闇の指導者アヤトラをあぶり出した。


 ネクロマンシスト――屍人グール類の上位に位置するモンストル。あれだけの大量のレヴナントが一斉に襲い掛かってきたあたりから、それを指揮する能力を持つ敵がいるのは予測がついていた。普段は陰に潜んで冒険者たちの必死な顔を観察している陰険なヤツだとキレートが言っていたから、油断を誘うようにしたんだけど、それが功を奏した。


 聖なる光に灼かれ、ぐずぐずに焦げたネクトマンシストの遺骸に目を向ける。ぼくも、ほかの三人も、そこで本当に初めて安堵の溜息をついた。


「やったな」


 キレートが拳を出してきた。ぼくも、遠慮がちに笑って、拳を突き返した。


「若造……いや、トム。お前のおかげだ」


 エディが改まった調子で言った。年上の冒険者から賞賛されることに慣れてないぼくにとっては、喜びと驚き、そしてやはり、どうしても困惑がつきまとった。


「ぼくはなにもしてませんよ」


 お決まりの台詞を口にしたが、でも、もっと自分に自信を持てとでも言うように、エディが首を振りながら続けた。


「なにもしてねぇわけがねぇ。お前さんは十分やったんだ。その結果、オレっちたちは救われたわけだからな」


 大穴に完全に嵌まって動けず、キィキィと声を挙げているレヴナントたちの滑稽な様を横目にしながら、エディが口元に得意げな笑みを浮かべた。


「あんなやり方で、この状況を打開するとは思わなかったぜ」


「ベル・ラックベルが……彼女の助言があったからです」


「そんなに謙遜することないですよ、バードウッドさん」


 ノヴィアが笑みを浮かべて言った。右足はすでに組織が再生してかさぶたが張っていたが、まだ若干どこか違和感を覚えるのか、歩き方がぎこちなかった。


「大丈夫ですか?」


「平気。むかし、もっとひどい怪我を負ったことがあったから。それと比べたら全然です」


「ひとまず、ここを離れよう」


 手負いのノヴィアを気遣ってか、キレートが背の鞘に長剣を戻しながら音頭を取った。


「もう片方の洞穴へ向かおう。そっちが出口に繋がっているのかもしれない」


 言って、キレートがぼくに目線を投げた。今度こそ、俺たちについてくるんだよな? という確認の意志が込められた眼差し。ぼくはそれに、無言で頷くかたちで応えた。

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