第14話 想いのかたち

 目を閉じたまま、静けさの中に身を沈める。まだ、彼の余韻がわたしの中に息づいている。


深く、優しく、心の奥まで触れられた夜。

言葉は交わさなかったのに、たしかに会話をしていた。指先で、吐息で、肌と鼓動で。


お互いの感じるままに求め合う…そして溶け合ってひとつに混ざり合う感覚。


ああ…このまま…もっと…


彼の胸に頬を寄せると、静かな寝息がわたしを包み込む。

スマホが震えて現実を告げても、わたしはまだ夢のなかにいるようだった。

この心地よさの正体は、ぬくもりでも安堵でもなく、

たぶん——わたしが「ひとりじゃない」と、初めて感じた朝だったから。


でも、彼と故郷を訪れた昨日から、

少しずつ、心の奥で何かがほどけていくのを感じていた。


あの街の風、揺れる海、見上げた空。

そして、黙ってわたしの手を握ってくれた彼のぬくもりが、わたしの中の「見えない壁」に、そっと触れてくる。


その瞬間——

カーテンの隙間から差し込んだ朝の光が、

閉ざしていた心のガラスにひと筋の線を描いて、パリンと目の前で、静かに割れた。


それは不思議と怖くなかった。

むしろ、その欠片の向こうに、あたたかな未来の気配が見えた気がした。



最悪の出逢いだったはずなのに、気づけば彼が傍にいた。


最初はただ手話に興味を持っただけだったのかもしれない。けれど、それだけではここまで一緒にいる理由にはならない。


彼はいつだって自然だった。わたしの「耳が聴こえない」ことを特別視せず、それでいて無視するわけでもない。ただ、わたしという存在をそのまま受け入れてくれた。


「耳が聴こえないのも“個性”だよ」

「そのままでいいんだよ」

そう言われるたび、わたしは心のどこかで戸惑っていた。

優しさであることはわかってる。けれど、それは慰めのようにも感じられてしまっていた。

だって現実には、“障がい”という言葉があって、“聴こえない”という事実は消せないものだから。


“そのままでいい”と言われることと、“そのままでいられる場所”があることは、似ているようでまったく違う。


手話を使う。筆談もする。

でも、それらは“補う手段”じゃなかった。

彼にとってそれは、わたしと心を通わせるための“言葉”だった。

だからだと思う。彼といると、ほんとうに“そのままの自分”でいられる。

無理に笑わなくても、無理に理解されようとしなくてもいい。

わたしの声を“聴こう”としてくれる人はたくさんいた。

でも、彼は「聴こえなくても、声があること」を信じてくれる人だった。


彼といるとき、わたしは自分が「耳が聴こえない」という事実を忘れてしまうことがある。それはきっと、彼がわたしを「障がいを持つ人間」としてではなく、「わたし」として見てくれているからだ。


彼の想いのかたちは、まっすぐで、あたたかくて、時に不器用なほどに真剣で——


きっと、それが彼の「見えない壁の壊しかた」なのだろう。



——さよなら…おかえり


朝の光の中にふたつの影がふと浮かんで消えたように見えた。







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