第46話 変化
橘陽菜のソロデビューライブを見に行った夜、私は帰ってきてから夢中でピアノを弾いた。
ステージで浴びたあの熱のまま、感情のままに、鍵盤へ――。
どれほど弾いたのか覚えていない。
気がついたときには、ソファに倒れ込むように眠っていて、毛布をかけた記憶もない。
全身が重く、指先はほんの少しだけじんと熱を帯びていた。
「茉莉! 起きなさいってば!」
母の声で目を覚ますと、時計はもう正午を回っていた。
「あんた、昨日どれだけ弾いてたの。お昼よ、食べちゃうわよ!」
そう叱られながら、私は布団の中で丸くなり、しぶしぶ起き上がる。
「……寝すぎた……」
額を押さえながら呟くと、母がため息をつく。
昼食の香りに誘われて台所に向かう。
テーブルにはオムライスが置かれていた。
スプーンで口に運ぶたびに、昨夜の記憶が断片的によみがえる。
鍵盤の感触。
胸の奥で跳ね続けた熱。
陽菜の歌声が付着したみたいに残っている旋律の余韻。
「……午後、練習してくる」
食器を片付けながら言うと、母は「ほどほどにね」と小さく呟いた。
*
練習室の扉を閉めると、空気が変わった。
昨日、感情の奔流をぶつけたピアノがそこに静かに佇んでいる。
私はそっと椅子に座り、深呼吸をひとつ。
そして鍵盤に触れた瞬間――
昨夜の“あの音”が鮮明に蘇った。
「……こうだった、はず」
手探りではなく、
――記憶の中に残っている“色”そのものを追いかけるように弾く。
昨日、橘陽菜の歌声を聞いたとき、胸の奥に鮮やかに広がった“光の揺らぎ”や“風のぬくもり”が、まだ私の体のどこかに残っていた。
その余韻が、指先から確かに流れ出す。
譜面の上では黒い丸でしかなかった音符たちが、いまはまるで温度を持った粒のように感じられる。
冷たく整列していたはずの記号が、
柔らかな光を帯び、少しずつ形を変え、音になる前から息づいている。
橘陽菜の歌――
あの“前に進むための強さ”に満ちた声が、私に教えてくれた。
「正しく弾く」ためだけに音はあるんじゃない。
そこに“自分の感情”を溶かしてもいい。
むしろ、その方がきっと真っすぐ届く。
そう思った途端、鍵盤の触り方が変わった。
私はフレーズをゆっくりと弾き始める。
力を加える角度を少し変えるだけで音の表情が変わることに気づく。
柔らかく着地する音、針のように鋭く飛び跳ねる音、
陽だまりのように広がる音――。
「こんな音、私のピアノから出るんだ……」
驚きと嬉しさが胸に満ち、
気づけばもう一度、そしてまたもう一度と、同じ場所を繰り返していた。
ペダルを踏むタイミングも変えた。
深く踏み込みすぎず、ほんの少し触れるだけで余韻が変わる。
音が空気に溶ける速度を耳で追いながら、私は自分の呼吸を整えていく。
音が立ち上がる瞬間、膨らむ瞬間、消えていく瞬間――
その全てに、自分の心が寄り添っているのがわかる。
いつの間にか、
“体が自然に動くまで繰り返す”
というよりも、
“体が動きたがって繰り返している”
そんな感覚に変わっていた。
鍵盤を押す指先が、
昨日の光景や音の色を呼び出すたびにわずかに震える。
譜面に閉じ込められていたはずの音が、
自在に形を変え、茉莉の中で“息を吹き返す”。
「……あ、弾けた」
今まで苦手だった箇所が、不意に突破できた。
譜面どおりの解釈に固執していた時には見えなかった道筋が、すっと見えたような感覚。
音が軽やかに跳ねて、次の音を導いていく。
気づけば、課題曲は“色”を持ちはじめていた。
青く冷たい旋律のはずが、少し赤の混じった温かさを帯びたり、
透明だった和音が、心のざわめきを含んで揺れたり――
初めて譜面を開いた時に頭の中で描いた音とは、全く違う。
けれど、この音は確かに“私の音”だった。
胸の奥がじんと熱くなって、思わず口元が緩んだ。
*
集中して弾き続け、ふと手を止めると、窓の外はもう夜だった。
練習室の時計の針は、夕方をとっくに通り過ぎている。
「……そんなに弾いてたんだ」
立ち上がり、伸びをしながら窓の外の夜空を眺める。
月が薄く浮かんでいて、その下で街の明かりが揺れていた。
と、その瞬間――
頭の中にふと、Noct の曲のことが浮かんだ。
橘陽菜の「Aurelia」。
コンクール課題曲。
そして、ネットに溢れる“謎の作曲家”の話題。
今まで何度も聴いてきたはずなのに、今日は意味が違って感じられる。
橘陽菜の歌に触れ、自分が変わったことで――Noct の音の“奥”にある気配が、より鮮明に聞こえるようになった。
「……どういう気持ちで、あんな旋律を書いたんだろう」
私は鍵盤の縁に触れながら、小さな声で呟いた。
Noct の曲は、どれも違うのに、どれも同じ温度を持っている。
切実で、静かで、でも確かな熱がある。
表面の華やかさよりも、その奥底にある“芯”が音になっているような……そんな感覚。
自分とは全く違うタイプの音。
だからこそ、どうしても気になってしまう。
「話してみたい……」
気づいた時、私の胸から自然に言葉がこぼれていた。
自分でも驚くほど素直な気持ちだった。
Noct に憧れているわけじゃない。
打ちのめされているわけでもない。
ただ――
自分には見えない景色を見ている人の音を、もっと知りたい。
そして、もしできるなら、自分の音も聴いてほしい。
そう思うことに、理由はいらなかった。
音楽をしている人間として、自然に湧き上がった衝動だった。
「どんな人なんだろう……」
柔らかいのか、冷たいのか。
強いのか、脆いのか。
あんな音を作る人は、どんなふうに世界を見ているんだろう。
私の頭の中で、まだ会ったことのない“謎の作曲家”の輪郭が、ゆっくりと形を持ち始める。
その姿はぼんやりしていて見えないのに、なぜか心に近いところにいるような不思議な感覚だった。
「会ってみたいな……」
そのつぶやきは、静かな部屋の空気に溶けた。
自分でも気づかないまま、それは確かな願いになっていく。
明日の準備をしながらも、私の頭から Noct の音は離れなかった。
鍵盤の上に残った余韻のように、胸の奥でずっと鳴り続けていた。
夜の空気は少し冷たかったけれど、胸の中にはひとつの火が灯り続けていた。
その火が、これからどんな音へ変わっていくのか――
その答えを知る日は、もうすぐそこにある気がした。
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まずは、最近視点の移り変わりが激しくてすみません。
そして、行ったり来たりしてすみませんでした。次からはちゃんと進んでいくと思います。
いつも定型文でつまらないので、もう少し読者様方と距離が縮められたらと思いここで適当に雑談を交えてみたいと思います。
前回の45話の話でもしましょうか!
今回は陽菜がやらかさないように私も頑張って考えていたんです。
考えていたのに、、、コメントでやらかしていたことに気付くという始末。
コメントの返信では「今後に期待!」とかいいながらかなり焦っていましたww
そんなことを考えていたら更新が少し遅くなってしまった。
「勘のいいガキは嫌いだよ」とここでは言わせていただくwww
こんな感じで執筆中に思った事を書いていこうと思います。今回は小説に関係したことを話しましたが今後は趣味についてとかも話せたらいいなと思います。
ちなみに、私はアニメと漫画が大好きです。ゲームもかなりやります(FPSがほとんど)。アニメと漫画のおすすめがあったらコメントで教えて欲しいです。
↑これ以外に、小説関係なしに私に何か質問とかあればコメント下さい。そのコメントの回答とかを返信やこの場で出来たらと思っています。
長々とすまん。
皆様からの『いいね♡』や『作品フォロー』、『コメント』、☆、などには、皆様の思う何倍以上もの力が秘められております。そういった形で皆様の気持ちを教えていただけると、作者は大変喜ぶと同時にモチベーションアップにもなります。
これからもよろしくお願いします!!
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