魔法少女の同居人

溝呂木ユキ

Prologue 第三の裁定者

00

「あ、花火大会って今日だっけ」

 

 灯が消え去った街を見下ろしながら、戸森箍音ともりたがねはふと呟いた。

 そこは背の高いビジネスビルの屋上。少女が立つには、些か不釣り合いな場所。

 熱帯夜に突入して久しい時刻、髪を揺らす生温い風に心底がっかりしながら。

 手首に巻いたデバイスに見つめる、今日は七月二十九日の土曜日――去年の今頃、友達と一緒に行った花火大会の終盤に。フィーナーレの残滓が漂う空に響いたアナウンスは、そう告げていたような気がする。

「いいなぁ、たこ焼きとか食べたかったな」

 例年通りであれば、大通りは鬱陶しいくらいの人混みに賑わい、どこからか聴こえる祭囃子に耳を傾け――隣にいる誰かに、夏の茹だるような暑さなんて目じゃないほどの、胸の内に滾る熱を感じていたかもしれない。母親にお願いして浴衣を用意してもらうんだ、と息巻いていたかもしれない。


 でもそうはならなかった。そうはなってくれなかった。

 だから今日も――この『街』は死んだように寂しく、眠ったふりを続けている。

 

『箍音ちゃん、準備はいい?』

 耳に装着したインカムから聴き慣れた声が響く。

 仕事用に少し取り繕った声。あんまり好きじゃない方の声。

 もうそんな時間か、と――箍音は咳払いを一つ、甘えるような声色で。

いつきさん、私なんだか、たこ焼き食べたくなってきたんですけど」

『たこや――え? た、たこ焼き? 今すぐ?』

「そうですね。できれば今すぐに」

『え、えぇー……? うーん、どうしよう……』

 お出かけ用のメッキが秒で剥がれ、耳によく馴染んだ方の声が表れて。

 鼓膜に響く度、箍音の胸は思いがけず弾む――この三ヶ月間誰より聴き続けて、本当ならもっと鬱陶しくても仕方がないはずなのに。些細な癇癪や、思うこと全部、八つ当たり気味に叩きつけたって許されるはずなのに。

「……まぁ、冗談ですけど」

『あっ、えっ……も、もう! 箍音ちゃん!』

「からかい甲斐がありますよね、樹さんは」

 自分よりよっぽど歳上なのに、控え目に言って少し情けない人。

 誰かに甘えるなんてことを、いつの間にか覚えさせてくれた人。

 初めて見た時は割と面喰った、真っ白な髪がよく似合う人。

「――そういうところが、好きです」


 あるいは世界がいつも通りだったのなら、きっと私は。

 この人に浴衣姿を見せ、一緒に屋台を巡り、眩い花火に目を細めて。

 熱帯夜なんて鼻で嗤うほどの熱を、隣に感じたかったのかもしれない。


『うん? 箍音ちゃん、なにか言った?』

「――いえ、なんでも」

 もっとも、世界がいつも通りだったのならば。

 戸森箍音が“戸森箍音”のままだったのなら――出逢うことも、なかったけれど。

「なんでもありません」

 だからこんな感情、これより先には持っていけない。

 だからこんな感傷、これより先には似つかわしくない。

 小さな声は風とノイズに掻き消され、決して届かなかっただろう。

 届いてしまえば――きっと彼女を困らせてしまうだけだと、知っていた。

「そういうわけなので、今日の夕飯はたこ焼きにしましょうか」

『う、うん! おっけー! 材料の注文しとくね!』

 たこ焼き器はあったっけ――インカムを装着した耳朶が、いつもより熱い

 それはきっと、この気持ちはきっと、暑すぎる夜の所為だと決めつけて。

 箍音は深呼吸を一つ、それをスイッチに気持ちを切り替える。


 今から赴くのは――もしもの甘い世界ではなく、ただの現実なのだから。


『――っ! セフィロ振動波確認! 秒読み開始!』

 途端に聴こえる声の色が変わり、箍音もハッとして空を見上げる。

 見上げた空には、燦然と瞬く色違いの光が八つ。

 地上を見下ろすような、星より更に眩しく妖しい光。

 その輝きが不意にグニャリと歪み、次の瞬間炸裂したように黒い光が。墨汁でも垂らしたような不思議な輝きが、夜より暗い黒が――猛烈な勢いで空を塗り替えていく。

『顕現まで3、2――』

 カウントダウンに合わせて、箍音は指先で宙を優しく撫でる。

 引いた線は光の尾を残し、軌跡が円形を描き終えて。やがて虚空に出現した魔法陣の中心に手を突っ込んで――人参でも収穫するみたいに引き抜いた手に握られていたのは、翡翠色の水晶がぼうっとした光を放つ、折り畳み傘サイズで白い棒状の何か。

 まるで日曜朝の美少女戦士か、遠くの星からやって来た光の巨人が使う変身アイテムのような。一見すると玩具のようなアイテムを握り締めると、天に掲げて箍音は叫ぶ。


「――転身!」


 インカムが『来るよ!』と吼えると同時、箍音の身体が翡翠色の光に包まれた。

 空から“それ”が降臨したのと、ビルの屋上で閃光の奔流が爆発したのと。

 歌声のような嘶きが世界に反響し、何かが破裂したような音が世界を切り裂いたのは、ほぼ同時――直後、街の一角で噴き上がった爆発が、地に落ちる影諸共建物を吹き飛ばす。

 

 夜を塗り替える様々な色の光と、地を激しく揺らすいくつもの衝撃。

 一秒にも満たない刹那を経て、世界は一気に“非日常”へと姿を変える。

 

「うっそ!? 防がれた――いや、逸らされた!?」

 初撃の失敗と爆発を目で確認し、その場から駆け出した箍音を着飾るのは翡翠色のドレス――東洋風で派手すぎないデザインには、凝った装飾がいくつも施されており、動く度にどこか高貴で艶やかな光沢を放っていた。ボブ程度の長さからグンと伸びた髪の毛は、宝石を溶かして糸にしたかのように輝き、まさしく一つの光源と化していた。

 手に持つ鈍器のような狙撃銃は、少女の身長より大きく。人が振り回せるサイズを優に超えていて、にもかかわらず箍音は重さなど一切感じていないように軽々と、狙撃中を抱えたまま箍音はビルからビルへと飛び移りながら。

「捕捉は……されちゃってるか! そりゃそうだ!」

 明らかに普通ではない衣装と、冗談みたいな色艶の髪と身体能力。

 けれど決して異物感などはなく、むしろ神秘性すら感じさせるような。

 ただ美しさとして其処に在る――それ自体が違和といえば、違和ではあるが。

 どこまでも現実味がなく、どこまでも浮世離れした姿は記号めいて。

 あるいは初めて見た者の、誰もが直感的にそう思うように。


 戸森箍音は――彼女は所謂、魔法少女と呼ばれる存在である。


01

「とりあえず逃げ――っ!?」


 次のビルに飛び移った瞬間、背筋にゾッと。

 悪寒が走ったと同時、箍音は一切の躊躇なく飛び降りる。

 淡い翡翠色の光を纏いながら、真っ黒な地面へ――刹那、箍音は見た。

 まるで削り取るように。まるで消し尽くすように。

 ガオン、と不気味な音だけを残して、見えない何かが半秒前まで箍音の立っていた場所を、ビルそのものの半分と一緒に丸く消し飛ばしたのを見た。

「うっそぉ!?」

 頭上で起こった出来事を、箍音は驚愕の呻き声と共に見送る。

 同時に初撃があらぬ方向に着弾した、その理由も悟る――空間の圧縮。否、そんな生易しいものではない。そこまで分かりやすいモノであれば、どれだけありがたかったか。

 ピンポイントで指定した座標を、文字通り消滅させる攻撃は、例えるなら超巨大な三次元の型抜き。そして削り取られた分を埋め合わせるために、ついでの如く空間が歪むのだろう――どんなに狙ったって当たるはずがない。直線的な動きしかできない狙撃では。


 射程距離は不明。予備動作は皆無。推定範囲は未知数。

 音もなければ光もなく、気が付けば削り終わっている。

 防御にも転用できて――言わずもがな、当たれば即死。


「レギュレーション違反なんですけどっ! そんなのっ!」

 理不尽を思いきり叫びながら、着地する寸前で箍音は全身から光を放出――竜巻の如き翡翠色の魔力が吹き荒れ、少女の身体はギュンと加速。摩天楼の間を縫うように、文字通り亜光速で飛行する。発生したソニックブームが窓ガラスを割り、描かれる軌跡はどこまでもジグザグ。おおよそ『魔法少女』という単語から連想されるような、ふわふわした可愛げは欠片もないが、しかし箍音は今日ほど魔法少女が空を飛べて、しかも戦闘機に近い動きができるという事実に感謝した日は無かった。

 時折確認する背後、ガオンと削り取られたビルの残骸が。

 数秒のクールタイムで量産される、無数の新たな丸い夜が。

 可愛げな飛行では死ぬ、と――それだけは、はっきり理解させてくれる。

「くっ……!」

 ビルの隙間を飛び、歩道橋の下を潜り、道路に沿いながら。

 凄まじい速度で流れる景色の向こう、箍音は遂に敵の姿を視認した。

 

 顕現と同時、箍音の攻撃を捌いた第三の裁定者ジャッジメンター――ザフキエル。

 扇子が両手を広げているかのようなボディの中心にはぽっかりと穴が開いており、その中をコアと思われる黒い球体が浮遊している。この街で一番高いビルより少し低いくらいの大きさの彼は、歌っているような鳴き声を発しているくせに口が――どころか顔が無く、どうやって箍音を捕捉しているのかも分からない。そもそも生き物にすら視えない。

 そんな無機質な見た目なのに――しっかりと命を感じるのが、酷く不気味だった。


「なら……っ!?」

 勢いよく上昇し、空に躍り出た箍音は狙撃銃を構えようとして――直後、その場を離脱。

 それは気配というか、雷のように走った嫌な予感に従っただけではあったが。すぐ爪先の空間が空気ごと削り取られた感覚が肌を撫で、思わず身震いする――そう、脚を止めれば死ぬ。だけどこのまま脚を止めないことには。

 攻撃するタイミングが生まれなければ、この得物ではなんともならない。

「余裕ぶりやがって……!」

 ザフキエルは動かない。ただひたすらその場で、歌うように鳴き続けるだけ。

 堂々と浮遊するコアは、ここを打ち抜けば死にますよ、とでも言っているみたいで。

 にもかかわらず、自分が通り過ぎた空間を数秒毎に次々消滅させ続けられれば、厄介さに舌打ちの一つや二つはしたくなる――どこでどう察知しているのか、向こうが箍音の居場所を捕捉し続けている以上、ガンマンの早打ちの真似事をしようという気にもならない。

「それ、ならっ!」


 止まった瞬間、此世に別れを告げることになるのは明白。

 しかしこのまま飛び続けたところで、ジリ貧に陥るのも事実。

 だが魔法少女は――戸森箍音は、一人で戦っているわけじゃない。


「樹さん!」


 高速飛行を続けながら、箍音はインカムに向かって叫んだ。彼女の名を。

 それだけで通じるはずだと思った。解ってくれるはずだと思った。

 だから箍音は――今も彼女のことを、好きなままでいられるのだ。


03

『特殊誘導弾! 八番から十二番!』


 ――はたして箍音の声は、祈りは届いたと言える。

 街を囲む山々の中腹で、瞬いた光は人類叡智の結晶。

 破裂音と共に発射された、無数のミサイルが吸い込まれるように。

 人類の――そして魔法少女の敵、ザフキエルに向かって殺到する。

『続いて三番から七番! 間髪入れずに!』

 四方八方から襲いかかる、一発百億は下らないミサイルの飽和攻撃。

 地形をも変形させかねない火力の嵐が、しかし『裁定者』との戦いでどれほど役に立つものか――そんなもので『裁定者』が倒せるのなら、最初から魔法少女は必要ない。たとえ核兵器を使用しようが、『裁定者』には傷一つつけられないだろう。

 このミサイルもどうせ、着弾させることすらままならなく迎撃されるだろう。

 あるいは箍音の初撃と同じく、まったく見当違いな方向へ曲げられるだろう。

『一番から三番! 残りも全部ばら撒いて下さい!』

 けれど、それでいい。意味を持たせるのは、ただの人間ではないのだ。

 歌声の嘶きが一際五月蠅く響き渡り、ミサイルが火花となって散ろうとも。

 不可視の攻撃が山ごと発射装置を削り、破壊された残骸が爆発しようとも。

 軌道の歪んだ一部のミサイルが、夜の虚空を照らすことになろうとも。

 頭痛を覚えるほどの国家予算が、一瞬で塵芥に成り果てようとも。

「――ナイス、です」

 およそ三秒間にも満たない時間を稼ぐために。

 一人の魔法少女の、必殺の一撃を通すために。

 渦巻く翡翠の輝きに、未来を賭けるために。

 遠方から直線、『裁定者』のコアへ向けられた銃口を隠すためには。

 その為には――たった数兆円の国家予算など、あまりに安すぎる。

『箍音ちゃん!』

 狙撃銃を構えた時、先程の叫びに呼応するような声が聴こえた。

 それだけで箍音には、しっかり伝わった。自分のすべきことが。

 だから、この一撃で終わらせなければ。

 期待には、ちゃんと応えなければ――それは嘘だ。


「貫け! 『翡翠颯嵐ヴェルデ・レイ・シュトローム』!」

 

 詠唱から一拍、ドンと短く重い音が夜闇に木霊する。

 それは空気を震撼させるほど、膨大な魔力がまっすぐに。

 一直線に撃ち放たれた、翡翠色の嵐が阻まれることなく。

 挑発的に浮くコアを、マズルフラッシュと共に撃ち砕いた残響だった。


04

「お疲れ様、箍音ちゃん」

 

 狂喜乱舞にも等しい作戦司令室の歓声が一先ず落ち着いたところで、月見里樹やまなしいつきがインカムの向こうの彼女に呼び掛けると、しばらくの間を置いて反応が返ってきた。

『……ちょっと遅いですよ、樹さん』

「ごめんね、こっちが落ち着くまで待ってたから。身体の調子はどう?」

『全然大丈夫です。まだまだ戦えますよ。なんならラウンドツーいけます』

 そっか、と――生返事に近い声で返してしまったのは、失敗だった。

 聡い彼女がそれに気付かないはずもなく、案の定不満を滲ませた声で。

『あの、本当に大丈夫ですからね? 樹さんが心配するようなこと、まだまだありませんから――それより、そっちこそ大丈夫でしたか。誰も怪我とか、してませんか』

「うん、大丈夫だよ! 箍音ちゃんのおかげ!」

 精一杯明るく振舞った樹に、今度は向こうが『そうですか』と。

 意思返しのつもりだと思うには、あまりにも元気のない声が聴こえて。

 その理由を誰よりも理解している樹は、ひっそり拳を握り締めながら訊ねる。

「ごはん、どうする? たこやき。一応機材と具材は用意しといてもらったけど」

『あー……いや、そりゃ食べますよ。食べるに決まってるじゃないですか。もうお腹ペコペコなんですから――あ、でも迎えはいいです。ちょっとゆっくりしてから、自分で帰るので。先にたこ焼き器温めておいてください。帰ったらすぐ焼けるようにしといてくれないと、私泣いちゃいますからね』

「あはは。うん、おっけー。じゃあ箍音ちゃん」

 またあとで――返事を待たずに、樹はインカムの電源を切って。

 そのまま取り外し、半ば叩きつけるような強さでテーブルの上に置いた。

「――どの口が」


 インカム越しですら、はっきり拾えた荒い息遣いを。

 明らかに弱っているのに、わかりやすく気丈に振舞う声を。

 そんな気遣いを、たった今死線を潜り抜けたばかりの少女に。

 ただ選ばれただけの女の子にさせてしまっているくせに、何が。

 いったいどの口が「大丈夫だ」なんて、安っぽい言葉を吐いたのか。


 不意に響いた激しい音に、作戦司令室にいた全員が一瞬振り返ったが――すぐ何事もなかったかのように撤退準備に戻り始める。誰も声の一つもかけはしない。

 きっと彼女も、それを望んでいると全員が知っていて。

 はたして樹も、やっぱりそれを望んでいたから。

 パンパンと頬を数回叩いて、やがて溜息を一つ――魂まで吐き出していそうな深呼吸の後、樹はゆっくりと顔を上げる。

「……切り替えよう」

 家に帰って夕飯の準備をして、ちゃんと彼女を出迎えてあげる。

 それが彼女との約束で、月見里樹という人間に与えられた役目。

 同情はしない。しちゃいけない。それは彼女も望んでいない。

 だからこんな表情、これより先には持っていけない。

 だからこんな感傷、これより先には似つかわしくない。


「だって私は、箍音ちゃんの同居人なんだから」


05

 東京に隕石が落下した『天の落日』から16年。

 成層圏にてぼんやりと輝く十の光が、ある日人類に対する“裁定”を開始した。

 滅亡か、存続か――天より降臨する試練に、対抗できるのは選ばれし一人のみ。

 これはあまりに強く、そして脆く儚い光を受け継いだ魔法少女たちと。

 彼女たちに最期まで寄添う仕事を与えられた、秘匿特殊課対終末部魔法少女係精神保健福祉担当者――通称『魔法少女の同居人』が綴った一片の記録。


 二人が出会って、共に過ごして、明日を夢見て。

 ただ終わりを迎えるまでの、それだけの物語。

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