#3 研究者と獣狩り

「……しかし、最近の作戦はやり過ぎじゃないか?」

「この前の蜘蛛の黙獣討伐作戦が特別に大規模だっただけだろ」

 廊下を進むグレイの耳に、その話し声が入ったのは偶然だった。

「いくら危険な個体だからって新築のビルを丸ごと吹き飛ばすなんて、下手すりゃグレイさんもエイハブも死にかねないぞ。ただでさえ一般人の避難はギリギリだったのに」

「だが、あの個体はほっといたらそれこそ一般人への被害が大きすぎる。未だにどれだけの人が皮だけになって黙獣共の着ぐるみにされたのか分かってないんだぞ。お前の娘が皮だけ見つかるなんて、嫌だろ」

「……それも、そうだな。もう、家族を奪われるのはごめんだ」

 話す男たちの両目は、グレイと同じく血色の赤。

 と、ようやくグレイの視線に二人は気付いたらしい。

「おっと、これはグレイさん!今回の作戦も見事でした!」

「そうかしら」

「貴方のおかげで娘の仇が取れたんですよ!」

「それは、よかったわね」

「良ければアンソニーたちのところにも声をかけてあげてください!きっと喜びますよ!」

「それでは、自分たちはこれで!」

「ええ、いつもありがとう」

 立ち去るのを見てから、グレイはうずくまった。

嫌な場所だと、グレイは心の底から思った。誰かが誰かの仇を取ること。どろどろの憎悪が詰まったこの空間では、それだけが彼らの生きる支えなのだ。ここには復讐者しかいない。同類である自分ですら嫌になる。

「おや?何してるんだい?」

伸び放題の藍色の髪を揺らしながら、白衣姿の少女がグレイの前に立ち止まった。

「……ラザニア。な、なにもしてないわよ」

「そうかい。なにもしないのはいい事だよ」

 奇妙なことを言いながら、ラザニアと呼ばれた少女はスーツ姿の男を椅子代わりに使って座ると、幼い見た目からは想像できないほど高い度数の酒を突然呷った。

「んぐ、んぐ、ぷはぁ!やっぱ極東の酒は美味いね。惜しむらくは僕の給料が霞むくらい高いことだ」

アルコールの臭いが空気を押しのけるように広がっていく。刺すようなその臭いにグレイは思わず席を離れようか悩んだが、椅子にされている男の懇願するような視線に耐え切れず、座り直した。アル中の椅子にされた男のなんと可哀そうなことか。

「んーで、今日もハリソンに貸しを作ったのかい?」

「そんなところ。そういうあなたが研究室から出てくるのも珍しいじゃない」

「予算申請さ。ボクだって用事がないならこんな場所来たくない」

「だから飲んでる訳ね」

「飲まなきゃ書類仕事なんてやってらんないさ」

「いつも飲んでるくせに」

「そうかい?そうかも」

 視線を宙に漂わせながら、調査室で最も復讐から縁遠い少女はにへらと呑気に微笑んだ。

「で、グレイちゃん、第四干渉理論は今度もちゃんと機能したかい?」

「……おい、足をどけろや。つかなんで誰も突っ込まんねん」

「…………ああ、銀剣コレのこと?問題なかったわ。でもわざわざ刺さなくても引っ張れるようにならないかしら」

「そりゃ空中でヤカンも使わず茶を沸かすようなものだよ、君。いいかい、触媒は君の『眼』なんだ。とはいえ、『眼』の延長線上にある身体で触れないと、黙獣を捕捉できない。このラザニア様といえど、ね」

 ラザニアの瞳は、宇宙のように吸い込まれるような青色をしていた。

 黙獣は不可視の存在だと、以前ラザニアは語っていたことをグレイは思い出す。ただの人には、本来観測することさえ不可能なのだと。

 それをグレイの眼……血ノ眼と呼ばれる赤い反則イレギュラーがたまたま黙獣を捉えているだけに過ぎない。

 もっとも、捉えた獣を殺せるのは、百年先さえ見通すと自称するラザニアの技術あってこそである。

「座標を打ち込む聖釘と人のレイヤーに引っ張り出す君の銀剣。まったくこれにどれだけの金と技術がつぎ込まれてるのか、君は知ってるのかい?」

「ふぅん。でも、エイハブって拳銃だけで黙獣を殺してるわよね」

 真っ赤に顔を染めながらラザニアは喚いた。

「やれやれ、これだから素人は困るね!あんな例外を参考にしちゃいけない。いいかい、あれはズル、そうズルなんだ。タネが身体のほうにあるなんて……おっとこれ以上は怒られてしまう」

 慌てたラザニアをグレイは小さく笑った。

「そ。ま、いいわ。どうせ私は斬ることしかできないし」

「それでいいさ。でも気になるならこっそり聞きにきたまえよ」

「あーもうお前らいい加減どけろ言うてんねん!」

 ついに叫び声と共に足置きにされていたスーツ姿の男が立ち上がった。

「おい十番!何するんだ、ボクのお酒がこぼれちゃったじゃないか!」

「うるせえガキが!」

「なんだとこのトランプ最弱マゾ男!」

「なんじゃワレやんのか⁉」

「やいやいまた負かされて足置きにされたいのかい?」

「……バカしかいないわね、ここ」

 やいのやいの言い合うバカ共を見て、グレイは立ち上がった。

「あん?待てよ、グレイ。どや、今回のは当たりだったか?」

 グレイは答えず、ただ、十番と呼ばれるスーツ姿の男を睨んだ。

「そか。ま、あんな大物がバーガーショップに来るはずもないんやけどな。無駄働きご苦労さん」

「これ以上私を愚弄するなら殺すわよ」

 本当に不快そうに、グレイは十番へネイルガンを向けた。

「やめーや。お前がそんなことをしてもなんぼの得にもならねぇぞ?情報部の俺を殺しゃどうやって今後の獲物を探すん?」

 ニヤニヤとした笑いをやめることなく、十番は肩をすくめる。もっとも、サングラス越しの目は一切笑っていない。

 舌打ちして、グレイはネイルガンをクルリと回し、剣と共にラザニアへ手渡した。

「メンテナンス、頼むわ。それと」

「イデッ」

 ピン、と弾かれた社員証が十番の額を叩いた。

「それ、貴方のほうが有効活用できるでしょ」

「ほんまに持って帰ってきたんか」

 携帯を取り出した十番はどこかへと連絡していた。

「危うく潰されるとこだったわ。蛙の黙獣……ペイガン銀行本部の内務課長様の情報が抹消される前に有効活用することね」

「ほな、調査いくわ。三日、いや一週間待ってくれや」

 懐に社員証を仕舞い、忙しそうに十番は走り去っていった。

「で、あいつほんとに踏まれるためだけにいたの?」

「トランプで十連敗さ」

「なるほど」

 もはや予算申請すら忘れてそうなラザニアを他所に、グレイも去っていく。


 廊下の 茶番の壁一枚向こうでは、未だ老人たちの会話が続いていた。

「しかし、現実問題としてどうしようかね。あのままだとグレイちゃん、潰れるよ」

「確かに最近の任務数は尋常じゃないですからね。早急な対策が必要かもしれません」

「もういっそのこと君が先にそいつを殺しちゃうのはどうなの?知ってるんでしょ、グレイちゃんが殺したくて仕方ない、山羊の黙獣とやらの居場所」

 エイハブは困ったように肩をすくめた。

「知りませんよ。第一、知ってても余程の理由がない限り殺せません」

「ほう?そいつはどういうことだ?」

「グレイの生きる理由はもはや復讐しか残ってないからですよ。復讐さえも奪ってしまったら、どうなるのか想像もできません」

「やれやれ、まるで過去の自分を見ているようで嫌になるな」

「今も、ではなくて?」

「こりゃ痛いとこ突かれた」

 エイハブに背を向けカラカラと笑う男の表情は、分からない。

「ま、僕がなんとか潰れないようにしますよ。グレイは優秀ですから」

「へぇ、お前は個人に関心を持たないものだと思っていたが」

「僕の蒔いた種ですからね。それに、そろそろ僕ひとりじゃ立ち行かないですし」

「それほどまでに黙獣はこちらへ来ているのかい?」

「室長も街を歩いたほうがいいですよ。ロマーニャは特に多い」

 エイハブは振り向いたハリソンの血のように赤い眼を見降ろしながらそう言った。

「街中で同僚に捕まるのは勘弁こうむるぜ。あくまでも黙獣は秘匿事項なんだ」

「僕ァ一言も罪を犯した黙獣で溢れてるとは言ってないんですけどね」

「黙獣だろうと人だろうと、生まれながらに罪を持っているものだ。だが、生憎ここは人の世だからな」

 ハリソンは傲慢に笑って、エイハブの碧色の目を見上げる。

「オレはやるよ、エイハブ。君には悪いが、黙獣は全員殺させてもらう。孫の、人類の安寧のために」

「……実に人類らしい傲慢な発想だね」

 ただ、一言。本当に面白そうにエイハブはそう言った。

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