ストイックダンサー、眠り姫の専属ソフレ(添い寝フレンド)になる
@ITUKI_MADOKA
1話 ストイックダンサーは眠り姫と夢を見る
「はぇ?」
目を覚ますと、信じられない光景に思わず間抜けな声が漏れた。すぐ目の前で、女の子が穏やかな寝息を立てている。
まつ毛が触れそうなほどの至近距離に女の子の顔があるという状況は、多感な男子高校生にとって、まさに夢のようなシチュエーションだ。
しかし、残念ながら俺にはガールフレンドなど存在せず、一緒のベッドで寝るような関係の女性などいるはずがない。
まさか、初対面の女と朝チュンしてしまったか?と自分の姿と手元につけている小さなスマートウォッチをすぐさまに確認する。服はダンス練習で着ている首元に少し汗が染み込んだTシャツだし、五百円ほどのデジタル盤には17時と表示されている。よし、少しまず朝チュンは回避出来たと安堵する。いや、良くないが。
寝起きのせいか混乱は収まらず、片手で髪をぐしゃぐしゃとかき上げる。その拍子に、体重をかけたベッドが思った以上に沈み込み、バランスを崩してベッドから落ちかける。
未だに意識は混濁しながらも、まずいと思い、なんとか落ちまいと手元にあったクッションを掴んだ。けれど、手に伝わるのは心地よい柔らかだけで、頼みの綱はあっけなく裏切られる。次の瞬間、俺の体は硬い地面に叩きつけられていた。視界に広がるワックスがけされた木製の床から察すするに、ここはどこかの教室なのだろう。
「いってぇ……頭打った……」
「ん、んぅ……」
俺が床に叩きつけられた衝撃がベッドまで伝わったのか、一緒に寝ていた女の子は目をこすりながら、ゆっくりと上体を起こす。
「あ、起きた、んだ……」
癖はあるものの見るだけでも柔らかさが伝わってくる羊のような長い髪。涙で濡れ、光を宿した大きな瞳。触れてしまえば壊れてしまいそうなほど華奢な体に、耳を澄ませなければ聞こえないほどか細い声。
その姿はまるでおとぎ話から抜け出してきたお姫様のように可憐で、どこか引き込まれる魅力を放っていた。
この高校の女子生徒が着る制服を身につけていることから、一応、同じ学校の生徒であることは分かる。だが、こんな目立つ子がいた覚えはない。もし存在していれば、瞬く間に学校中で噂になっているはずだ。少なくとも、俺の記憶にはない。と、そんなことを考えながら無遠慮にじっと見つめていると、視線に気付いたのか、彼女は恥ずかしそうに布団を引き上げ、口元まで隠してしまった。
「あ、あまり見られると、恥ずかしい……」
「す、すまん!そうだよな、知らない奴にこんなに見られて……悪かった。あ、俺は、
簡単な自己紹介をすると、彼女は不思議そうな顔をしてこちらを見ている?なんだ?俺、またなんかまずいことしたか?と思っていると、その小さな口からまた言葉が紡がれる。
「舞浜、くんと、同じクラス、だけど?」
「え?まじ?」
そんな、こんな美少女が同じクラス?それなりにコミュ力はある俺だが、挨拶すら交わした記憶がない。こんな子がクラスにいたら忘れないはずだが……いや、一人だけ心当たりがある。顔を見たことがなく、挨拶もほとんどしていないクラスメイトが一人。
「も、もしかして……」
「うん、隣の席の、夢ノ宮、
そう言って彼女は、困ったようにこちらへと笑いかけた。照れくさいのか、髪の隙間から覗く耳がほんのりピンク色に染まっている。
そうだ、思い出した。いつも隣の席で誰にも顔を見せず、授業中もほとんど机に突っ伏して静かに寝ていた生徒がいた。それが彼女、夢ノ宮羊。思い返せば、彼女の愛らしい顔は、ふわりと広がる長い髪に隠されていたのだ。
「ど、どうしたの?どこか、痛い?」
「あ、いやぁその、ちょっと驚いちゃって……」
さっきまで、痣ができるんじゃないかと思うほどの痛みも、目の前の衝撃の事実のおかげか、気づけば一瞬にして消え去ってしまっていた。
「てか、この教室って……」
「ここは、お姉ちゃんが、あ……」
「ん?お姉ちゃん?」
これまで彼女の素性など1ミリも知らなかったが、彼女には姉がいるらしい。また新たな発見だ。
「いや、従兄弟のお姉ちゃん……保健室の、鶴岡先生が、用意、してくれたの」
どうやら違ったようだ。へぇ、保健の先生が従兄弟の──え?
「まじか!?あの鶴岡先生が従兄弟!?」
「ひゃっ……」
「あ、ごめん。急に大きな声出しちゃって……」
保健室の鶴岡先生と言えば、
そんな誰もが魅了されてしまうあの鶴岡先生が、まさか従兄弟だったとは──。確かに、あんなにも美人な従兄弟がいるのであれば、こんなプリンセスのような女の子がいても不思議ではないと、勝手に納得してしまった。
「私、過眠症なの……」
「過眠症?」
聞いたことがある、一般的な人よりも過剰に睡眠が必要としたり、突然眠気に襲われる症状だと記憶している。
「うん、私は、ナルコレプシーと、特発性過眠症、どっちも……だから、おね……鶴岡先生が、放課後とか、ここで寝ていいよって、用意してくれたの」
「そうだったのか……」
だが、まだ謎は残っている。俺がそんな彼女にとっての聖域のような場所になぜいるのかだ。
「で、俺がなんでここで寝てたのかな?」
「それは、隣の教室で、舞浜くんが、倒れちゃった、から……私が、連れてきたの」
俺が倒れてた?と一瞬疑問符が頭に浮かんだが、それはすぐに消え去った。そうだ、俺は教室で次のダンスバトルに向けて、ジャンルとそのバトルで使うルーティンを予め確認していた時、突然視界が歪んで気づけば目の前に木目が飛び込んできた。その瞬間、まるで電源が切れたように意識が途切れたんだった。それにしても、隣の教室だとしても、身長差も体重差を考えると、倒れた俺の体をここまで運んだのは相当な力を必要としただろう。
「意外かもだけど、結構、力持ち、なんだ」
そう自慢げに言いながら、細い腕をパンパンと軽く叩くその姿は、投げたボールを取ってきてくれた祖母の犬のようで、つい撫でたくなる衝動を覚えた。
「そっか、ありがとう。夢ノ宮さん」
「どう、いたしまして」
と、全ての謎が解明されたし、眠ったおかげか体が軽くなったように感じた。下校時間までまだ時間があるはずだ。夢ノ宮さんにも悪いし、この教室から出て、練習を再開しようとしたそのとき、とてつもない絶叫が教室内にこだました。
「ああああああああああああああああ!!!!!!!」
その声の主は紛れも無い、目の前にいる夢ノ宮さんだった。さっきまで消え入りそうな声を出していたせいで、完全に油断していたし、その音圧でまた倒れそうになった。ここまでの音圧は、重低音の多いブレイクのバトルでも一度も耳にしたことがなかった。
「ど、どうしたの?夢ノ宮さん」
「それ、私の抱き枕……」
「え?」
彼女が指さした先には、俺が握り締めていた大きめのクッション、いや、もはや抱き枕だったものがあった。ベッドのどこかに引っかかったのか、ビリビリに破けて、中の綿は漏れ出ている。ベッドから落ちた衝撃で破けた音が聞こえなかったのか、今まで全くそのことに気づいていなかった。
「あ、あぁ……」
お気に入りだったのか、無惨な姿に変わり果てた抱き枕を見て、今にもぷっくりと柔らかそうな涙袋が決壊しそうなほど、彼女の目が潤んでいた。
「ご、ごめん。夢ノ宮さん、俺が弁償するかr──」
「……くちゅう」
「え?チュウ?」
「特注のやつなの」
「え」
「プレミアなの」
「あ」
「二十万円するの」
「へ」
それは、並の男子高校生には到底払えないほどの大金だった。とっさに両膝を地に着け、床に額を擦りつけ、この国で最上級と謳われる謝罪の姿勢を取る。
「ほ、本当に、ごめんなさい!俺、絶対なんとかして弁償するから!」
「この抱き枕はね、一つ一つ海外の職人さんが丁寧に作ってるの。予約しても届くのに時間がかかってしまうの」
「あ、あぁ……」
「どれくらいだったかな……私が頼んだ時はだいたい半年かかったけど、今からだと倍はかかるかも」
俺が壊してしまったのは、なんてとんでもないものだったのかを、ようやく思い知った。てか、夢ノ宮さん、さっきまでしどろもどろだったのに、めっちゃスラスラ流暢に低い声で喋っててなんか怖い。
「ほ、本当に、申し訳ありませんでした!俺、夢ノ宮さんのためなら、授業中のノート取りでもパシリでも、いや、なんでもします!」
「へぇ、なんでも……じゃあ」
彼女の虫も殺せないような小さな手に、俺の顎は持ち上げられ、否応なく視線を絡め取られる。夢ノ宮さんの目は、先ほどとは比べ物にならないほど、憎悪を孕み、氷のように冷たく、吸い込まれそうなほど深淵の闇に沈んでいた。俺は理解できていなかった。これから二人の間に交わされるのは、悪魔の契約であることを。
「舞浜銀牙くん、私のソフレになってよ」
彼女から発せられた声は、その幼い容姿に似合わないほど、どこか淫靡で、果てしなく妖艶に滲み、抗えぬほど甘美で、無意識のうちに屈してしまうほど蠱惑的なものだった。
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