第18話 きっかけって本当に些細なところから始まるんですよね・後①

 私、注連野出萌しめのいずもには人生の岐路に立ったことが2回ある。

 一つは大学卒業前に巡った元カレとの京都観光。

 もう一つは大学受験の際に利用したとあるホテルでの出来事。

 どちらともグッドステイホテル京都というホテルで、の人に関わっているのだから、これを人生の岐路と言わないなら運命とでも言い換えてもいい。 

 特に大学受験での出来事は一生忘れることのできない想い出として私の中に残り続得ている。


 それは私がグッドステイホテル京都で大学受験のために単身宿泊していた時のこと。試験当日になってチェックアウトの準備をしていたら、あることに気づいた。


「あれ、受験票……」


 志望校である京都の大学の受験票を確認しようと学生鞄のチャックを開けたのだが、中にはポケットティッシュしかなく、鞄の中をどれだけまさぐっても受験票は見当たらなかった。

 時間は9時頃。チェックアウトの時間は11時なのでそこは問題なかったのだが、志望校の受験開始時間は10時ちょうど。

 幸い時間はまだ残されているので必死になって部屋中の思い当たる箇所を探したが、5分、10分と無情にも時間は過ぎて行く。

 藁にも縋る思いで私はフロントの内線番号を押し、ワンコールで出てくれたスタッフの人に泣きついた。


「本当にすみません、私今日の午前中に大学受験を受けるんですけど、受験票をなくしてしまって」


 パニックになる私と違って電話に出てくれたスタッフの人は「お手伝いに向かっても良いですか?」と落ち着いた口調で返答した。私はお願いしますと頼み込み、電話を切ってすぐに電話に出てくれたスタッフの人が尋ねに来てくれた。


「心当たりのあるところは全て探されましたか?」


 電話に出てくれた男性スタッフは私に疑わしい個所を聞くや、上着を脱いで床に這いつくばる姿で部屋中の隙間に目を通し始めた。

 だがスタッフの人にも手伝ってもらっているのに、20分が過ぎても受験票は発見に至らなかった。実力不足で落ちるならまだしも、自分の不手際で受験すらできないことに情けなさと悔しさが滲みだし、ついには弱音を吐き出してしまう。


「……探してくれてありがとうございます。でももう無理です。試験開始までどうあっても間に合わないです。私このまま受験もできずに」

「これ以上情けないこというなら本当に探すの止めますよ」


 弱音と涙が引っ込むくらい意外な一言を返され、私は男性スタッフの方に視線を向けた。


「お客様のご出身は都内ですよね」

「どうして、それを」

「宿泊の際、我々スタッフはお客様の情報をいくつかいただいております。事前に我々はお客様が今日の大学受験を受けられることも存じております。宿泊の際のメッセージにも書いてあったのでよく覚えています」


 私以上に親身になって男性スタッフは汗まで流して部屋の隙間を見やり、私に語りかける。


「わざわざお一人で関西の志望校を受けに来られたということは、それだけ本気だということ。勉強も必死に頑張ったはずです。なら今ここで諦めるのはあまりにももったいない」


 立ち上がり、私の目を見ながら男性スタッフは折れかけた私の心を奮い立たせた。


「私がなんとかします。だから諦めず受験票を探しましょう」


 結論から言うと、受験票は客室の机の中の雑誌の間に挟まっていたことがわかり発見に至った。昨晩なかなか寝付けなかった私が机の中にあった旅行雑誌に付箋代わりに受験票を挟んだのが原因だったのだ。

 昨晩の自分を引っ叩きたい気持ちをなんとか堪えたが、時間は9時半頃でホテルの最寄駅から志望校までの電車の時刻を大幅にロスしていて、どれだけ早く向かっても受験会場に間に合わないことは明白だった。

 せっかく見つかるまで探してくれたのに、結局私の凡ミスで男性スタッフの人まで無駄足を踏ませてしまい、引っ込んでいた涙が再び湧き出ようとしたところで、彼はもう一度こう言った。


「まだ諦めるのは早いですよ。言ったでしょう、私がなんとかしますって」


 彼は客室の内線電話で誰かと話した後、私に身支度を整えるよう指示し、私の準備が終わると私の手を掴んでエレベーターに乗り込んだ。1階まで下りてスタッフオンリーの扉を開いて外に出ると、一台の車と初老の男性が待ち構えていた。男性スタッフの人は「副支配人、ありがとうございます」と答えて私に「乗って」と指示する。

 あろうことか彼は私のために社用車を借りて志望校まで送り届けてくれたのだ。

明かな過剰サービスにさすがの私も断ろうとしたが「それだと受験に間に合いませんよ」と言われ、あらん限りのお辞儀を何度もして、車中にいる間は予想される問題を男性スタッフの人に問われては私が答えて緊張をほぐし続けた。

 車を走らせること10分弱。運よく信号に引っかかることなく私は15分前に志望校にたどり着いた。


「俺にできるのはここまで。あとは注連野さんのこれまでを普段通りに引き出すだけだ。気楽にやりな」


 最後まで、彼は私に“頑張れ”と言わず私を送り出してくれた。

 どこまでも優しい彼に対して私はあらん限りの声を出して感謝した。


「ありがとう溝間さん! 私、絶対受かるから! 絶対今日のこと忘れないから!」


 それが彼と交わした最後の言葉。以降私は彼と会ったことはない。

 私が無事受験に合格し、臨んだキャンパスライフを送れたことも彼は知らない。

 いつの日か、またどこかで彼に会えたなら、私は彼にこれまでのことを余すことなく話したい。

 その時こそ、私は彼に。

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