第6話 食事中に咀嚼音させる男はマジでえらい(三河弁で「本当にしんどい」)②

 注連野さんの先生役を仰せつかった俺はタイミングも見計らって、佐東に使われていない客室で仮眠を取るよう指示した。佐東も大あくびをかましながら手荷物を持って控室を後にした。


 うちのホテルはスタッフだけが使える仮眠部屋を一つだけ用意しているのだが、この部屋は基本女性スタッフ優先で使用している。男性だけの夜勤ならその限りではないが、今日のような注連野さんがいる場合、男性スタッフは空いた客室用の部屋を仮眠部屋として使わせてもらう。本当は満室にして先ほどまで飯を食べていた控室で眠るのがルールなのだがそこは内密にしている。


 仮眠と食事込みの休憩はあらかじめ一時間と定められているが、深夜零時を過ぎて監視する人間もいなければ、そんな口約束を守る人間もそうはいない。俺もホテルに勤めて半年くらいは真面目にルールを守っていたが、今は二人の夜勤でも三時間弱は休憩の時間として設けている。女性が夜勤として入ることも多々あるので、特に女性との夜勤は多めに取るよう心掛けている。

 入りたての20代前半の子ならなおさらだ。夜勤業務が嫌で辞めていくスタッフは大勢いるので、せめてしんどい夜勤の仕事に少しでも暇を与えてやらないといけない。


「明日の料金レート、結構高めにしてるんですね。いつもは8,000円くらいなのに」

「実際うちは休前日になるとビジネスよりも観光目的の宿泊利用が多い。明日は金曜日だから10,000円は超えておかないと副支配人が怖いからな」


 副支配人の名前を挙げたのは、うちの支店に支配人があんまり顔を出さないからだ。なんでもうちの支配人は日本中の支店のヘルプに出ているとかで、京都の支店に顔を出すのは月に一回くらいである。よって現在の京都支店の実権と運営を任されているのが副支配人なのだが、この方がとても厳しくめっちゃ怖い。自分にも厳しい人なので理不尽は感じないがとにかくめっちゃ怖い。料金の設定はもちろんその日の客室販売実数や周辺ホテルの料金比較も日々念入りにチェックしているので、売り間違いや適性料金でない間違った料金販売が発覚すればお叱りの後に即刻の訂正指示を入れてくる。これで副支配人本人がフロントにも立ってお客様対応しつつ、たまに夜勤もするというのだから、頭も体もフル活動させっぱなしの副支配人には頭が上がらない。怒るとめっちゃ怖いけど。


「私、何回か副支配人と仕事してますけど怒られたことないですよ?」

「注連野さんは気が利いて要領が良いからね。気づいてすぐ行動するところが副支配人には良く映ってると思う。逆に言われてから動き出す佐東なんかはしょっちゅう怒られてる。今度佐東と副支配人が一緒になってる勤務があるなら見てみればいい」


 同じミスを連発し過ぎて副支配人がブチ切れた時は一緒にいた俺が仲裁に入ったほどだ。


「でも注連野さんの物覚えは本当にすごい。正直俺がついて何か教えることなんてほとんどないくらいだ」


 心からの賛辞を贈ったのだが、注連野さんはすごく不機嫌そうになった。


「それは、溝間さんが私の先生役をしたくない、という遠回しな拒絶でしょうか?」

「えぇ……」


 注連野さんは時たまこうして子どもっぽい反応を示す。他のスタッフの前では大人びているのに。


「誉めてるんだけど?」

「京都の方は自分の気持ちを隠してお話することが多いと聞いています。ぶぶ漬けを出したり、隣の家の子どもさんは夜中でも元気ですね、とか」

「俺、京都出身だなんて言ったことないよ⁉」


 お客さんからの受けもいいので、何故たまに子どもっぽくなるのか本当にわからない。まぁそういうギャップも面白いからいいんだけど。


「とにかく、本当に注連野さんはしっかりできてるから例えば佐東と組んでも問題ないかなと俺は思ってる」

「佐東さんとですか⁉ それはさすがに私が不安です! 佐東さんたまに私に仕事の質問されるので」

「は⁉ まじで⁉」

「溝間さんが知らなくても仕方ないです。本人から黙っててくれと頼まれたので」

「しかも黙っててくれって言われたの……?」

「はい。知られると溝間さんと副支配人にどやされるから、と。私も黙っていたことは謝りますが私もまだまだ覚えたてなので佐東さんと組むのは、その」


 よし、仮眠から帰ってきたら佐東に全部仕事を振ってやろう。もちろん手伝いなど一切しない。


「とはいえ佐東のしごきは確定だとしても、注連野さんとの組み合わせは確かに早計だな。人も少ないから当分は俺とコンビ」

「はい‼ よろしくお願いします‼」

「今日一番に元気な声だな……」


 深夜3時になろうとしているのに注連野さんの声はロビー全体に響いた。これが若さか。


「にしても佐東め、注連野さんに仕事のこと聞くかね?」

「その時はど忘れしただけかもしれませんけど、夜勤中は佐東さんしか頼る人がいないので、夜勤中にど忘れされるのはちょっと」


 全部佐東のせいだが、佐東の注連野さんからの信用はほぼ皆無だった。


「それとこれは個人的な意見なんですけど、以前の日勤で一緒だった時に偶然佐東さんの食事中を覗いて、その」

「咀嚼音?」

「そうです! あれがどうしても」


 佐東。お前のライフはゼロだが不思議と同情の気持ちが湧かないのもお前の責任だ。後のことは知らん。なんとかするんだな。


「佐東、誰かと食事でもしてたの?」

「いえ、相席されていた方はいなかったんですけど、どなたかとお電話していたみたいで」


 電話しながら食事をすることに夢中で注連野さんに見られていたことに気づかなかったとは、やはり人間どこで誰が見ているかわからない。己自身も気を付けなければ。


「佐東は脇が甘いからな。アイツには後できつく言い聞かせておくよ」

「その脇の甘さが面白かったりするんで私は見ていて楽しいですけどね。本人には絶対言えませんけど」


 おそらくだが言われた本人は怒りよりもショックの方がはるかに大きいだろうから、注連野さんの思いやりは最適だ。知らぬが仏とも言うし、今回は佐東の好感度が下がって夜勤業務の再試験を設けることで良しとしよう。


「……ところで」


 佐東の話題が一段落したところで、注連野さんはおずおずと話を変えた。


「そういう意味では、溝間さんの脇は固いですよね?」


 後輩の、それも七つか八つ下の女性にそんな問いかけをされるとは夢にも思わなかった。俺はつい「え?」としか声が出なかった。


「佐東さんは勤務中も『素の佐東さん』なんですけど、溝間さんは勤務中『勤務をしている溝間さん』じゃないですか」

「素って、緩い感じってこと?」

「端的に言えば」


 間違ってないので俺は佐東の名誉よりも注連野さんの感想を尊重した。


「ほとんどの大人は真面目に働いてるからな。佐東が自由にできてるのはその他のみんながしっかりしてるからだし、俺もそう見えてるなら自信になるよ」

「ではなく! 休憩の時もですよ。溝間さん全然隙みたいな瞬間ないじゃないですか。とはいえ常に気を張ってるわけじゃないですし。ずっと自然体と言いますか」

「まぁ、ホテル勤め長いからね」


 話の内容を鑑みるに、注連野さんは俺の緩んだところをみたいと言っているのだろう。こんなおっさんの緩んだ姿なぞ見たところでなにも面白くはないと思うのだが。


「とはいえ俺も入りたてはずっと気を張ってたからな。なかなか気を抜くやり方が」


 言いかけて、俺は呆ける注連野さんの表情を見た。何が起こったのか考えていると向こうから回答を投げ渡された。


「……どうかした?」

「だもんで……」

「あぁ。そうか京都じゃ聞きなれないか。『だもんで』っていうのは三河弁っていう方言で『だから』とかそういう感じの意味」


 愛知県の生まれである俺は愛知の方言である三河弁で話すことがたまにある。愛知で生活してきた時間の方がまだ長いなので、油断すると今みたいに方言が口からか出てしまうのだ。


「都内や京都とふらついてたけど三河弁だけは染みついちゃってね。三河弁の話題になるとたまに汚い方言なんて言われて」

「……全然、ないです」

「あ、やっぱりそう? やっぱないか」

「全然汚くなんかないです‼ 私は大好きですよ三河弁‼」


 何が刺さったのかわからないが、注連野さんは目を輝かさんばかりに三河弁を気に入ってくれた。


「溝間さん、三河弁のことももっと教えてください」

「えぇ? 方言って教えるとかあるのか?」

「あります、なので是非‼」


 彼女の食いつきを見て俺は俳優を目指していた頃の仲間たちの顔を思い出していた。あの頃は日本中の俳優になりたい20代が集まっていたので、いろんな方言が飛び交う現場でもあった。その度にどこ出身か語り合う時間がはっせいしたほどだ。


「夜勤業務の合間でいいなら……」

「はい是非‼」


 理由はわからないけど地元の何かに興味を抱いてくれるのは悪い気はなしない。約束通り暇な時でも三河弁のことでも話そう。俺はそっと胸の内に秘めるのだった。

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