二話目。「運命なんて嫌いだ。」





「──あと、皆さんに言い忘れてましたけどね、部活のですね、新入部員の勧誘期間が今週で終わりますのでね、皆さん覚えててくださいね」


 そして。

 一年弐組の教室で、ホームルームでの伝達事項の最後にそう付け加えた担任の浜寺──もとい本名倉敷は終礼の挨拶を終えるなり、早々にペタペタ足音を立てて教室を後にした。

 途端にどっ、と騒がしくなる教室の隅の方、ガラス窓を突き抜けて照り付ける陽の光は、もう昼の残滓も残らないぐらいに、青さを失っている。

 机に片肘をついてはるか遠く、低い位置を覆う霞んだ雲の下にうっすらそびえる都会の街並みを眺めながら、公音は視線だけ一瞬、自分の机の上の二枚の紙に移した。 


「今週まで、か……」


 担任が終わり際に言っていた、部活の勧誘期間のことだ。机の紙は、一枚が入部願で、もう一枚は部活の一覧表だ。入部願の部活動名の記入欄はまだ白紙。何部に入るのか、それともそもそも部活をやらないのか、なかなか決心がつかなくてペンが動かなかったのだ。


「おーい、帰ろォや」


 脱いだブレザーを脇に抱えたシュウが近づいてきて、公音は周囲を見渡した。クラスメイトの大半はもう教室を出ていたらしい。


「ぼーっとしてんな」

「ごめん……」


 急かされるまま机の書類だペンケースだを制カバンに突っ込んで、先に歩き出していたシュウの背中を追うように教室を出た。


「──そういや、部活決めた?」


 シュウが後ろを歩く公音へ振り返るなりそう問いかけてきたのは、校舎を出てから校門までの右へ左へと曲がりくねった長い一本道を、半ばまで下りたときだった。


「いや、まだ……」


 歯切れの悪い返事をした。


「シュウは……訊くまでもないか」

「おう、ウチは空手部」

「ここの空手部が大阪有数の強豪になっちゃうよ」


 はあ、とため息を一つ吐いて、公音は汗を掻いた気がする額に手をやった。乾いている。気のせいだった。

 前を歩くシュウの足元、もう表面が一部剥げかけている彼女の革靴を見て思う。

 なんでこんな山道をローファーで上り下りしなくちゃいけないんだ、しかも毎日。普通に運動靴使わせてくれよ、と。

 入学に際して配られた生徒手帳の最後あたりのページに書かれていた校則について思い出す。「登下校は学校指定の通学靴で行うこと」などと書いてあったことをみんな真面目に守っているわけだが、この妙に長くて険しい校門までの道のりを歩くには、この革靴など明らかに不適格だった。入学から一か月経った今でも靴擦れを起こすほどだ。

 通学用の革靴とは別に、学校指定の運動靴もあるのだが、それは登下校には使ってはいけないらしい。

 登下校のことを登山・下山、なんて呼ぶぐらいなんだ。この校則を考えた大人たちは、週に二回あるかないかの野外の体育しか使い道がない運動靴を、どうしてもっとマルチロールに役立てようと思わなかったのか。

 ディーゼルエンジンの重低音が後ろから近づいてくる。道の端に寄って歩く二人の隣を、すし詰め状態の生徒たちを乗せたスクールバスが通り過ぎて行った。

 バスの人らはまだ楽だよな、と思った。


「なあ、」

「なに」


 数分かけて左右の竹藪を眺めながら山道を下り、校門を出てようやようやく最寄りのコンビニを過ぎたところで、シュウの背中が公音を呼ぶ。


「オメーは何部行きたい?」

「それは……」


 公音にはシュウが言外に何を問いかけているのがハッキリ分かった。分かるからこそ答えに迷う。自分が「そこ」で迷っているから。

 歩くうちに短い橋に差し掛かり、彼は真っ赤なペンキがところどころ剥げている柵に手を置いてその下の河川敷に目をやった。一昨日の雨で今日の朝まで増水していた川がいつのまにか元の水量に戻っている。


「……まだ決まってないんだ。何をやりたいかって意外と自分でも分かんなくて」

「ほんじゃあウチと空手部やなァ」

「やめてよ、あのこと思い出したらまだ痛くなるんだよ。心が」


 あのこと、とは当時三歳の頃に、公音に深く刻まれたトラウマだ。シュウと一緒に空手の体験を始めて、初めての組手をシュウとやった。


「……手も足も出なかったよ、ほんと」


 そして、当時でもハッキリしていた体格とセンスの差でシュウに滅多打ちに叩きのめされて、それはもう、逃げ回って見に来ていた親にしがみついて大泣きした。それで辞めた。

 そんなことがあって、それを覚えていたのに、小学生になって些細なすれ違いで彼女に売られたケンカを買った当時の公音は正真正銘の大馬鹿で、ガキだったんだろう。


 まったく、勝てるとでも思ったのか。


 河川敷をきゃあきゃあ騒ぎながら走り回るおそらく学校帰りなのだろう小学生の集団をちらと見て、彼らに近い年頃だったあの頃の自分を嘲笑した。


「空手は二度とやらない」

「ははっ、いつのこと引きずってんねん」

「入るなら文化部だよ」

「へえェ~」


 シュウは公音へ振り返って鋭い目を細めて笑いをこらえていた。どういう意味の「へえ」なのかはやっぱり分かった。

 なに「それ」から目を逸らしてんだよ、そういう笑みだ。


 ……トラウマなんだよ、「それ」も。


「なんだよ、結構楽しそうじゃん。美術部とか文芸部とか、あとは軽音もちょっとやってみたい。アニメ流行ったし」


 軽音は楽器が高いらしいし、そもそも楽器の扱いがからっきしだから難しいけど。


「まあ、公音は絵上手いしな」

「意外と友達作りで役に立ったよ」


 絵は公音の数少ない特技だ。そして、入学当初から休み時間など暇なときに雑多に色々描いていると興味を持ったクラスメイトが話しかけてくると気付いてからは、コミュニケーションツールとしても扱っている。

 シュウもその様子を思い出した。


「下弦のなんちゃらとか描いてたもんな」

「主人公より先にそいつ描くことになるとは思わなかったけど」


 そのキャラはクラスのノッポの山田がリクエストを出してきて描いた。


「でも文芸部って、なんかそれらしい関わりあったっけ」

「ないけど、単に興味がちょっとあるだけだよ」

「ほォーん」

「……なんだよ」


 細めた目で見下ろしてきて、思わず公音は問いかけた。


「いや、オメーって意外と好奇心旺盛やなって。さっきから川の方ずっと見とるし」

「なんか、大きめの河川敷って青春モノに必ずと言っていいぐらい出てくるよなって思って」

「河川敷で殴り合いとか見たことあるもんな、ウチもやってみてェー」

「オレはやりたくないよ、物騒だな」

「なんでや、青春……アオハルやんけ」


 ……そうなのか?


 公音は橋を渡り切った横断歩道で信号を待ちながら首を傾げた。

 周りでは、同じ古野富田林高校の制服姿のいくつかのグループが二人と同じように信号が変わるのを待っている。

 二人の前にいる、上の学年らしい男子生徒らはどうやら最近リリースされたばかりのゲームの話題で盛り上がっているようで、この集団の中でもひときわ賑やかだ。


「なんか、男子ってあーいうのばっかやな」


 シュウが彼らを顎でしゃくって公音に言った。

 中学でもよくつるんでいた男子がゲームの話を振ってきた思い出がある。

 公音も前の集団の足元を少し見て、「まあ……」と小さく零した。

 彼らに限らずゲームの話題は一年弐組の男子の間でもよく上がる。朝のホームルームの前とか、昼休みとか、先生たちの目を盗んで固まって、みんなでスマホのゲームで遊んでいるのは日常風景だ。

 公音はというと、どちらかというとゲームの話題はよく分からない人間だった。家が厳しいためにゲームで遊ぶ習慣がないのと、遊ぶにしてもプレイ操作があまりにも下手くそで、すぐに飽きてしまう。それもあって彼のスマホは、いっそ清々しいぐらいにゲームアプリが皆無だった。


「あ、もう青なるわ」


 シュウが言った直後に信号が変わり、制服姿の塊が散り散りに崩れて横断歩道の向こうへ流れ始める。

 駅に向かう集団に混じって二人も歩き、田舎な風景に相応しいちっぽけで寂れた駅に入る。

 間もなく電車が到着いたします、というアナウンスを聞き流して改札を通り、ホームのベンチに座ろうとしたところで、「ん、」とシュウに呼び止められた。親指で自販機を指さしている。


「いや、オレはいいよ」


 カバンの中に学校で飲みそびれた炭酸飲料があるのを思い出した。それを引っ張り出している傍らで缶コーラを買ったシュウが戻ってきて、二人はベンチに並んで腰掛けた。少し経って、ギィギィガチャガチャ音を立てながら型式の古い電車がホームに到着する。

 風圧で、二人の髪がふわりと舞い上がった。


「すわ──」


 口を開いたところで電車がプシュー、と、とんでもなく大きな音をかき鳴らしたものだから思わず肩がびくついた。それを目の端に捉えたらしいシュウが一口含んだコーラを吹きそうになっていて少々ムッとした。


「──あの、諏訪山さん、」


 そう呼ばれて、今度はシュウがムッと目尻を釣り上げて彼を見る。公音はつい顔を背けた。


「さっき学校でも思ったんやけど、」


 がなるような声色だ。


「その呼び方やめろや、なんかすっげェ距離感じんねんけど」

「……いや、まだ久しぶりって感覚が抜けなくてさ」

「だからって、ンな他人行儀になるこたァないやろ、シュウでええわ」

「そう、ごめん……」

「苗字に「さん」付けなんて間柄やないやん、ウチら。もっとフランクにいこーや」

「……うん、分かった」


 馴れ馴れしく肩を組んできたシュウに頷いて、公音はギョッとした顔でこちらを見て通り過ぎた同じ高校の誰かが、この絵面に何を思ったのか想像した。

 女番長に絡まれる猫背の根暗男子みたいに見えたのだろうか。

 始業式の翌日にシュウと一緒に居たところを、自分たちの幼馴染事情を知らずに勘違いしてシュウに突っかかっていた楠のことを思い出して、少し笑えた。

 ちなみに、シュウと楠は中学が一緒だ。お互いにお互いをバカだと思っていたらしく、偏差値六十四のこの古野富田林高の受験の合否発表で再開して、二人してびっくりしたのだとか。

 乗客の乗り降りが終わって、黄昏に染められた電車の扉が閉まる。そのまま電車はゆっくり駅を抜け出して行ったが、二人はまるで気にしていなかった。

 別に談笑に夢中になって電車を逃したわけではない。ホームで一本二本電車を飛ばして、ガラガラに空いた電車に座る、というのが彼らの日常なのだ。

 そうでなくとも公音は、今は立ち上がりたくなかった。


「ンで、どした?」

「ああ、うん……」


 開封したコーラを喉に流し込みながらも呼ばれた理由を問うたシュウに、公音は刹那、少し声を震わして言葉を詰まらせた。

 他人に訊くことなのか。訊いても、良いんだろうか。

 フランクに、と言われたばかりなのだが、今思っていることを口にするには少し、勇気を振り絞らないといけなかった。

 顔を背けたまま言いかけて、黙ってしまった幼馴染にシュウは「あ?」と首を傾げる。

 そんなに迷うことか、と。

 ふっ、と息を吐いて、公音は首を正面に戻した。


「その、すッ──シュウ、はさ。どうすればいいと思う?」

「……」

「オレ、どうするべきなんだろ……」


 

 呟くようにそう言って、公音は安堵したように息を吐いた。


 ウチって、そんなに怖いんかな。


 ペットボトルを握る彼の手が力を込めるように震えているのを見て、シュウは少し悲しくなった。

 同じ高校に通うことになって、毎日毎日こうして公音に話しかけてきたが、びっくりするぐらい目が合わなかった。自分の目を避けている、そう感じた。

 小学校の頃の公音はこんなやつではなかった。目だってちゃんと合っていたし、こんなに暗い声ではなかったし、こんなに俯きがちでもなかった。

 そんな風に変わってしまっていても、別に構わない。昨日見たアニメの話とか、そういう他愛もない雑談をしているときは、人懐っこかったあの頃の面影があったから。ただ、だからこそ、彼が自分を「諏訪山さん」と呼ぶのはどうしても嫌だった。

 距離が離れた、と実感したくなかった。ずっと、相棒でありたいし、相棒でいて欲しいから。


「分かんねェけど、……やりてーことやりゃええやろ。金曜まであと四日あるんやし」


 公音がつまり何を言いたいのかは分かる。シュウも部活動一覧表で同じものを見たから。でも、どうして公音が「それ」に対して極端にネガティブになっているのかはよく分からなかった。

 こっぴどい挫折をした。それ以上のことは知らなかった。


「……それは、分かってる」

「オメーが突然野球部とか行ってもウチは……つーか誰も怒らんし、やれともやめろとも言わんわ。びっくりはするやろーけど」

「それも分かってるんだ。……けどさ、ずっと区切りがついてなくて。ほんと、びっくりしたよ。──トランポリン部があるってことに」


 部活動一覧表、今までも存在していた部に加えて、新しく創設された部も記載されていた。それが軽音部、華道部、ダンス部、そして競技トランポリン部だった。

 未経験者も経験者も、部員募集中。私たちと一緒に宙を舞いませんか。

 部活の説明欄にはそう書かれていた。

 よりにもよって、トランポリン。

 一度逃げたはずの競技に、手招きをされている気分だった。

 もう一度向き合ってこい、という意味なのか、罪悪感に付け込む悪魔の囁きなのか、公音にはこの巡り会わせを作り出した運命の意図が想像できないでいた。


「──もともと活動していたけど何年か前に廃部になって、今年から復活したらしいんだ」


 ホント、中学で……いや、トランポリンで何があった。どんな挫折をした。


 公音にそう尋ねたかったが、できなかった。ここまで分かりやすく落ち込んでいる彼にトラウマを掘り起こさせるのはさすが気が引ける。


「誰が復活させたんだろう」

「入部したら分かるやろ」


 ぼんやりと零した公音にそう答えてみた。


「ガチャじゃないんだから」


 笑いかけながら即答されて、安心した。ついでに小脇を肘でつついてさっきから少し気になっていたことを伝えてやることにした。


「つーかさ、カバンから出したならはよ飲めや。とっくにぬるなってるやろーに、これ以上自分の手であっためてどないすんねん」

「あっ、そうか」


 公音が蓋を開けると、明らかに炭酸が抜け切った音がした。公音は嘆息して口に寄せたペットボトルを傾ける。


「げほっげほっ!?」


 思いっきりむせた。シュウが呆れ顔で言う。


「なんで強炭酸行ったんや!」

「ごほっ……いや、ライチ味って書いてあったから、気になってさ」


 はあ、と一息ついて二口目。今度はむせなかった。次の電車のアナウンスが鳴った。


「次来るので帰ろ-ぜ、駅も空いてきたし」

「そうだね」


 シュウが缶の底に微妙に残っていたコーラを一気に飲み干して、空き缶をゴミ箱へ放り投げた。缶は一度ゴミ箱の縁で真上に跳ね返り、そのまま穴に吸い込まれるようにゴミ箱に入っていく。

 バスケあたりも向いてそうだな、と公音は感心した。

 ベルが鳴って、ガッタンガッタンと連結部を軋ませながら、古びた電車が到着した。車体の小豆色と白のツートンカラーが、やはり外から差し込む夕陽のオレンジに塗りつぶされて分からなくなっていた。

 二人は立ち上がり、扉の空いた電車へ歩き出す。

 と、公音は一瞬立ち止まる。


「──でも、もうきっと跳べないよ。僕は」


 ……「跳べない」んだ。「そういう奴」なんだ。


 電車の排気音に紛れた公音の弱々しい呟きは、シュウには届かなかった。

 彼のペットボトルの外側にいた結露の雫が下へ下へと滑って、そのまま地面に落ちられずに底に張り付いてゆらゆらと揺れていた。


 ……落ちずに耐えていた。





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