第13話 ゆっくりと

 帰りの馬車の中、シリルは寝ぼけ眼でぼんやりとし、クッションを抱きながら右へ左へゆらゆらと揺れていた。


 初めて家族三人で参加したパーティーは、それはそれは楽しかったようだ。

 父と母はおめかしをしていつも以上に素敵だった。

 招待客の中でも一際キラキラしていて、そんな両親を自慢に思った。そして自分もいろんな人から格好いいと褒めてもらえた。


 美味しいものをお腹いっぱい食べて、探検して。そして大好きな母のナイトとして活躍できた。

 大満足な一日を過ごしたのだ。


 シリルが静かだと馬車の中での会話はほとんど無い。

 斜めに向かい合って座るエミリアとデュークの視線が交わることはあまり無く、今日一日無駄に疲れた二人はぼんやりとしていた。


 今日のデュークは格好良かった。少し怖かったけれど、自分の為に怒ってくれた姿が素敵だったな……

 エミリアは窓の外の景色を眺めながら、ぼーっと考える。しばらくするとデュークに視線を移し、気になっていたことを尋ねた。


「あの……私のせいでフォレット子爵との関係が悪くなってしまいましたよね。申し訳ございません……」


 一方的に突っ掛かってきた相手が悪いとはいえ、心苦しい。

 暗い表情で謝罪するエミリアに、デュークは穏やかに言葉を返す。


「大丈夫だ。子爵は前々からすでに息子を見限っている」

「見限って……そうでしたか。それならデューク様のお仕事に支障はないのですね」

「ああ、全く問題ない」


 それなら良かったと、エミリアは心の底から安堵した。そしてもう一つ気になっていたことも聞くことにした。


「あの、デューク様が仰っていたことですが、スーザンさんが男性に貢がせていたなどという話は本当でしょうか」

「ああ、本当だ。彼女がそうした相手は、私の友人の弟だからな」


「そうでしたか。弟さんはお気の毒でしたね。そして彼女の結婚相手も気の毒に思いますが……許すと仰ってしまいましたし、もう相手方にはお伝えしないのですよね?」


 それは自分のせいなので、エミリアは申し訳なく思った。


「ああ、それも問題ない。レイシス伯爵家の跡取りはクズだ」

「クズ、ですか」

「言うなれば同類だな」

「……なるほど」


 同類、つまりお相手も女性関係で何かしらやらかしているということ。

 問題のある者同士で結婚するのだから、問題ないということだ。


「ふふっ、そうでしたか。それなら問題はありませんね」

「ああ、君が気に病む必要はない」


 エミリアはホッとした。

 心配事が無くなると、ふと伝え忘れていたことを思い出した。

 だけどそれを伝えるには勇気がいる。


 どうしようかと悩みながらデュークをチラチラと見ていると、それに気づいたデュークはほんの少しだけ口角を上げた。


「どうした?」

「……あの、今日の出発前の居間でのことなのですが……デュークさまが私に情欲を抱いたと仰った事です」


 そう話を持ちかけると、デュークの表情は固く冷たいものになっていった。

 また罪悪感が押し寄せてきたようだ。


「……ああ、本当にすまなかった」

「っっいえ、違うんです。そうじゃなくて、あの………………あなたにそう思われるのは、その……嫌では、ありません……だから、えっと……」


 また謝罪させてしまった。そうではないと伝えたいのに、恥ずかしくて上手く言葉にできない。

 デュークにならそんな感情を抱かれても大丈夫なのだと、そう伝えたいのに。


 ええい! と、エミリアはやけくそになった。

 デュークの隣の席に移動し、彼の右手をぎゅっと握りしめた。

 そして真剣な目でじっと見つめる。


「つまりですね、私はあなたにもっとそういう感情を抱いて欲しいんですっ……!」


 勢いに任せて言い切り、ぎゅっと目を瞑り俯いた。


 そしてすぐに冷静になる。

 もしかして今、自分はとんでもない事を言ったのではないか。

 羞恥心でいっぱいになり逃げたくなってきた。しかしここは馬車の中、逃げ場などどこにも無い。


 しばしの静寂。

 エミリアにとってはとてつもなく長く感じる静寂の後、デュークは口を開いた。


「エミリア」

「っっはいっ」


 呼び掛けられ、おずおずと目を開き顔を上げると、冷ややかな瞳と目が合う。


「私は君に触れたい」


 デュークは静かな声で想いを口にした。



「……はい、いくらでも触れてください」


 涙目で微笑みかけると、デュークはエミリアの涙をそっと拭った。

 そのまま頬に優しく手を添えると、じっと見つめあったまま、自然と二人の顔は近付いていった。


 静かな空間は甘い空気で満たされていき……




「わぁ! らぶらぶですね!」


 不意に間に割って入った無邪気な可愛い声に、甘い空気は霧散した。


 座席で横になり、もう完全に眠っていると思われていたシリルの目が爛々と輝いている。

 甘い雰囲気を醸し出している両親の姿に目が覚めたようだ。


「ちちうえ、ははうえ、らぶらぶですね!」

「……そうだな」

「そう、ですね……」


 前のめりにされた質問に何とか答えるも、とてつもなく気まずい。


「わぁ! それじゃあ、『じょうねつてきないちやをともにする』ですか?」

「……そうだな」

「……」


「わぁい! そうしたら僕にきょうだいができるってダフマンが言っていました!」


 嬉しさですっかり眠気が飛んでしまったシリルは、弾けるような笑顔を両親に向けた。


「……そうか」

「……」


 デュークは何とか返事をしたが、エミリアは耐えきれなくなり両手で顔を覆った。

 その後も興奮ぎみな息子の質問は止まらない。

 デュークは辿々しくも何とか答え続けた。

 満足すると、また眠気に負けてウトウトしだしたシリルにホッとし、大きく溜め息を吐きながら窓の外に目をやった。


「……帰ったら、きつく言っておかないとな」


 静かな声で、しみじみとそう呟いた。





  * *




 その日の夕食後、自身の執務室を訪れたダフマンに、デュークは冷たく言い放つ。


「シリルの前で余計なことを言わないでもらえるか」

「おや、余計なこととは一体何でしょう」


 にこにことしながら朗らかな声で言葉を返され、デュークの眉間に皺がよった。

 おや、自分の主人がここまで不機嫌なのも珍しいと思いながらも、ダフマンはいたって冷静である。


「一夜を共にするだとか、そうすれば兄弟ができるだとか、そういう話だ」

「なるほど。しかし本当にそれは余計なことでしょうか? お二人は夫婦です。そういう関係になるのはごく自然なこと。そうしたらご家族が増える可能性は大いにあって、それはシリル様にとってはとても重要なことでは」


 デュークはダフマンの言葉に納得しかけた。しかし負けじと反論する。


「彼女が困っていた。彼女を困らせるような話はしないで欲しい」

「おや、エミリア様は本当に困っていたのでしょうか?」

「……どういうことだ?」


「恥ずかしくなっただけで、困ってはいないと私は思います。エミリア様は子供が欲しくてあなた様と結婚したのですよ。つまり、子供が増えることを望んでいると考えるのが自然です。しかし彼女の方からそんな話を持ちかけるなどできないでしょう。……さて、いかがなさいますか」

「…………」


 デュークはダフマンの主張に納得し、しばし考えた。



「……ダフマン、私はどうすれば良い」


「そうですね。そろそろ寝室を共にするべきかと。デューク様の方から話を持ちかけない限り、何も先に進みません。もちろん無理強いにならぬよう慎重にです。上手く伝えられないのなら、手紙をしたためればよろしいかと」


「……そうか、そうだな」


 デュークは納得した。

 そうやってお互いの気持ちを確認しあえばいいのだと。


 今日もお節介な執事に上手く丸め込まれ、デュークは胃を痛めながら手紙をしたためる。


 そうやって、契約結婚から始まった二人は、ゆっくりと愛を深めていくのだった。


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