第1話【個性爆盛り=普通に不審者】1


 場所は、水之崎大学付属高等学校みのさきだいがくふぞくこうとうがっこうの教室。


 クラスメイトたちが、バタバタと忙しなく動き回る中、桐原夕也きりはらゆうやは一人自分の席に座りながら、そんな彼らを横目に連日続いている雨で濡れている装飾の施された別校舎を眺めていた。


 毎年六月に開催される紫苑祭しおんさい

 外部から客を呼ぶわけではないので規模としては小さいが、形式としては学園祭に近いイベントである。


 夕也ゆうやの通う水之崎付属みのさきふぞくは中、高、大の一貫校で、進学校として県内でも名が通っている学校なのだが、進学校という割にイベントが多く、紫苑祭を始め、一年を通してイベントが開催されている。


 そして現在、今年水之崎付属に入学した夕也は、初めての紫苑祭に参加し、大成功で終わったイベントの余韻を楽しみつつ後片付けをするという、なんとも青春を感じる時間を過ごしていたのだが――


 楽しそうに後片付けをしているクラスメイトたちとは裏腹に、夕也は沈んだ表情を浮かべていた。


(俺、なにしてんだろうなぁ……)


 深いため息が出る。

 水之崎付属は俗に言う一貫校で、今年外部から入学した夕也にとっては既に出来上がっているコミュニティーに入り込むような形だったのだが、夕也は友達作りが得意な人間ではなかった。


 もっとも、イジメのようなものは今のところはないし、夕也自身も友達が絶対に必要だと思っているわけでもない。

 

 だから特別気にする必要はないのだけれど……それでも、普段ならいざ知らず、この文化祭という環境の中で一人きりというのは、誰だって息苦しさを感じるものである。


 夕也はそこら辺にいたクラスメイトに、「俺、打ち上げには行かないし、帰るよ」と言い残し、教室から出た。



 装飾されている廊下や教室。

 普段とは違う校舎内の雰囲気に違和感を覚える。

 何もかもがいつもと違った。

 

 どこか落ち着かない気持ちを抱えながら、夕也は階段を降りて昇降口へ向かう。


 すると、夕也以外の生徒はまだ残るつもりなのだろう。

 いつもなら帰宅する生徒で溢れているはずの昇降口は、一人の生徒すら見当たらなくて――何とも言えない疎外感が夕也を襲った。

 


 靴を履き替え、鞄から折り畳み傘を取り出すと帰路へ着く。


 空を覆う灰色の雲。

 梅雨特有の湿気と、生暖かい風。

 そして、心地の良い傘を叩く雨音。


 これで服や靴が濡れる、傘を持ってこなくてはいけない、そもそも雨がウザイという欠点がなければ、風情のある良いシチュエーションと言えるだろう。


 さらに言えば、校門の前で制服の上から羽織っているパーカーのフードこそ被っているものの、傘を差さずにびしょ濡れで空を仰いでいる”不審者クラスメイト”がいなければ、もっと良いシチュエーションだっただろう。


(なんで雨が降ってるのに、校舎の中に入らないんだ?)


 そんな当たり前の疑問。

 そして、無意識に向けてしまう怪しいものを見るような視線。


 ――――目が合った。


 正直、ここはさっと目を逸らして、校門から出て行きたい。

 面倒事に巻き込まれるのは目に見えているし、普通に不審者だし。

 今すぐにでも離脱するべき場面である。


 それが正しい選択だと誰もが知っている。

 そして、それは夕也自身も分かっていた。

 分かっていたのだが――


「こんなところで何してんの?」


 夕也は自分が濡れることを顧みず、雨から彼女を守るように傘をかざした。

 

「――え?」


 困惑したような表情。

 それを見て夕也は思う。


(え? じゃねぇーよ。さっき明らかに目が合ってたよな? なに今気付きました。みたいなツラしてんだ?)


 目がガッツリ合っていたのだ。

 それは当然の思考である。


 しかし、心の中でそんなことを思っても、それを口には出さない夕也。

 瞬発的に浮かんだ無難な回答で場をつなぐことにした。


「いや、雨降ってんのに傘も差さないで、何してんのかなって……」


 そもそも夕也が彼女に話しかけた理由。

 それは単純に気まずかったからである。


 何か特別な理由があったわけでも、下心があったわけでもない。

 もちろん、優しさや親切心なんて崇高なものでもない。


 ただ目が合って、気まずかった。


 もっと踏み込むと、まるで”話しかけて下さい”。とでも言わんばかりのシチュエーションに夕也は呑まれ、負けただけだったのだ。


「えっと、うちの傘……なくなってて……」


(うーん、どうしよう。意味が分からん。本当に分からん)


 傘がないなら校舎の中にいればいいのでは?

 寒いのなら、尚更雨に当たらない方がいいのでは?


 と、夕也の頭脳がフル回転。

 直後に、ああ……これは考えても無駄なやつだと気付き、急停止。

 この間、僅か数秒の出来事。

 引き時も肝心である。


「……そっか」


「うん」


(さて、これからどうすっかな……)


夕也は目の前にいる不審者――もとい、関わりの薄いクラスメイトの河野玲奈かわのれなに対して頭を悩ませる。


 ”河野玲奈かわのれな”。

 肩まで伸びた、わずかに癖のある髪と、平均より小柄な体格。

 整っている顔は言わずもがな、何より彼女を一目見た際に印象に強く残るものは、その小さな体に対して不釣り合いなほど豊かに育っている胸元だろう。


 そうなると当然、男子からの人気がありそうなものだが、色っぽい噂を聞かないのは身持ちが堅いのか、単純に色恋に興味がないのか、それとも当人に何か重大な欠陥があるのか。


 真相は不明だが、とにかく、そんなクラスでも特に目立っている人物が今、目の前で不審な行動を取っているという事実に、夕也はこれからするべき行動を考える。


「とりあえず、屋根のあるところに行く?」


 なんともありきたりな提案に対して、しばらく悩むような様子を見せていた玲奈だが、ここにいても仕方ないと思ったのだろうか。

 彼女はコクリと頷いた。


 夕也は今すぐにでも逃げ出したいという衝動をグッと抑え込み、びしょ濡れの玲奈と一本の傘を共有すると、一緒に渡り廊下へ向かう。


 その間、会話はゼロ。

 渡り廊下に着いても、これといって記憶に残るような会話はなくて、ただ時間が経過するだけの状態――だったのだが、


「……名前」


「ん? なに?」


「だから名前。教えてよ」


 ここにきて衝撃の事実。

 夕也はなんともいえない表情を浮かべた。


桐原きりはら桐原夕也きりはらゆうや。一応クラスメイト……なんだけど」


「……そっか。桐原、ね」


「うん」


 気まずい空気が二人の間に流れる。


(こうなるから関わりたくなかったんだ。こういうとき、何を話せばいいのか……マジで分からん)


 夕也は再度頭を抱える。

 玲奈の性格がどうこうでは――いや、彼女自身にも問題はあるのだろうが、それ以前に夕也はお喋りが得意ではない。

 むしろ苦手な部類に入るだろう。


 それには色々理由があるが、とにかく夕也はこの場を乗り越えるすべを持っていなかった。

 だから――


「ほれ、傘。なんでわざわざ雨に打たれてたのかは知らないけど、そのままだと風邪引くだろうし、貸すよ」


 夕也は親切心を盾に、なんとかその場を離れようとする。

 これなら自然に立ち去れるだろう。

 そう踏んでの行動だった。


「桐原はどうすんの?」


「姉に迎えに来てもらうよ。水之崎の大学に通ってるから、長く待つこともないだろうし」


「ふーん……本当にいいの?」


「本当にいいのって、何が?」


「後々金銭の要求とか――してこない?」


 そう言って警戒するような視線を送ってくる玲奈。

 クラスメイトに傘を貸すだけで、金銭が発生するとでも思っているのだろうか。

 夕也はその価値観の違いに困惑の表情を浮かべた。


「しない。っていうか、傘を貸すだけで大げさすぎ。あとで返してもらうから気にしなくていいよ」


「……そっか。じゃあ、うちに恩を売るのが目的だったり?」


「はぁ? 何言ってんの?」


「や、前にいたんだよ。ほら、うちって、その――アレでしょ?」


 そう言って胸を抑える仕草を見せる。


(ああ、なるほど。そういうこと)


 なんとなく事情を察した夕也。


「違うから安心してくれ。まぁ、どうしても気になるって言うんだったら、あとでジュースでも奢ってくれればいいから」


「……来月でいい?」


「ん? ジュースでいいって言ってるんだけど?」


 玲奈の言葉に首を傾げる。


(コイツはなにを言ってるんだ?)


 最近物価が上がっているといっても、ジュース一本奢るだけで……来月?

 彼女の言っていることが理解できなかった夕也は、気まずそうに目を逸らしている玲奈を凝視した。

 

「お金が……お財布がピンチで……」


「――ジュースはいいや」


 そうとしか言えない。

 ジュース一本奢るのに、来月までかかるような人に奢ってもらうのは違う。

 なんというか……人としてそれは良くない。


 そんな気がした夕也は手で玲奈を制すように、手のひらを向けた。


「じゃあ、なにをすればいい?」


「お礼はいらない。傘を返してくれればそれでいいから」


「……分かった」


「じゃあ、俺は行くけど、あんまり身体を濡らすなよ? この時期でも普通に風邪引くから」


「あーーー、うん。それは傘を貸してもらったから大丈夫だと思うけど――もう行くの?」

 

「ん? うん」


「桐原、お姉さんにまだ連絡してないよ……ね? 学校まで迎えに来て貰うんだよね?」


「いや、大学はすぐ近くだし、連絡を入れればすぐ来るだろうから、適当に雨で濡れない場所で呼ぼうかなって」


 それは至って普通の理由。

 そこに更に理由をつけるなら、これ以上玲奈と一緒に居るのはツラい。という本音が隠れていることは、夕也本人しか知らなくていいことだろう。


「ここに呼ぶのじゃダメなん?」


「同じ水之崎だからって大学と高校では違うだろ。普通に部外者だし」


「じゃ、じゃあ、その場所まで傘……一緒に使う?」


「……はい?」


 そんな提案に対して夕也は言葉を失う。


 夕也と玲奈は渡り廊下まで一緒に傘を使っていた。

 だから、傘を共有することに矛盾はない。

 むしろ当然の提案だとすら言えるだろう。


 しかし玲奈に限り、そんな提案はしてこないと思っていた夕也。

 頭上に疑問符が浮かぶ。


 先ほどまでの会話といい、未だに目が合わない様子だったりと、夕也は玲奈から男性不信な雰囲気を感じ取っていたのだ。


 そしてなにより、ここは学校という学生にとっては最重要なコミュニティーの本拠地。

 色々と面倒なことが起こるのは容易に想像できるのだが――


「うちと一緒に傘を使うのは……不満?」


 コテンと首を傾げて、上目遣い。 


 玲奈の容姿が無駄に良いのが憎かった。

 そんでもって、雨でシャツが若干透けているのが余計に憎かった。


(自分の容姿を分かった上での確信犯か? だとするならば、相当凶悪だけど……しかし、どうやって断ろう。絶対に面倒なことになる)


 夕也は思考を巡らせる。

 どうすれば間接的に断ることができるのか。

 後腐れなく……自然な理由で……。


「うちと一緒に帰るのは、嫌?」


「うん…………あっ」


 手遅れだった。

 断る理由を考えているうちに無意識に返答してしまった。


 焦る夕也。

 それに対して、真正面から拒否されて、うりゅりゅと涙目になっている玲奈。

 罪悪感が夕也の心を支配した。


 こうなってしまっては、夕也の取るべき選択は一つで――

 

「途中まで傘、一緒に使わせてもらっていいか?」


 夕也の浮かべた表情。

 それは、なんともぎこちない笑顔だった。

 しかし、玲奈はそんな夕也を見て小さく頷くと、ぎこちない笑顔を真似るように、小さく微笑む。


 そうして二人は一つの傘の下、肩が触れるか触れないかの距離を保ったまま、ゆっくりと歩き出すのだった。

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