紫鏡

 ベッドでごろごろとしながらスマホアプリに熱中していた。テストが近いのにイベントがあったり、部屋を片付けたくなったりする法則にまんまと引っかかっている。就活だとかもなんとなくの行動はしているけど、対して熱中しているわけでもない。

 人生で一番、暇を謳歌している自覚はあった。そんな中、ポーンとチャットアプリの通知が鳴る。即座に確認してみると、ものすごく久しぶりな奴らから連絡が来ていた。


『久しぶり! 同窓会企画してるんだけど参加する?』


 中学の時によくつるんでた村崎からだった。成人式当日だと来れない奴も多いだろう、と言うことで、秋くらいに開催したいのだという。

 俺はすぐにOKのメッセージを送った。大学の小試験が終わる頃で区切りも良さそうだったし、予定してる日程は俺の誕生日の前日だった。テンションが上がらないわけなかった。村崎のことだから、多分俺の誕生日も祝ってくれるんだろうなと思ってワクワクした。

 クラス全体の仲は……まぁまぁ良かったと思う。一人、ちょっと危ない宗教の家のやつが居たくらいで。ひどいいじめがあったと言うよりは、みんな触るに触れなくて遠巻きにしていた感じだった。それを除けば、団結力もあっていいクラスだったと思う。


「みんな、今何してるんだろうな」


 いつでも連絡できるとはいえ、会うのは本当に久しぶりだ。何を着て行こうかな。予算どれくらいだろ。めちゃくちゃに楽しみだった。


 ◆ ◆ ◆


 中学校の同窓会ってやつは、一番面白いと思う。小学校じゃ前すぎて覚えてないし、高校だとビフォーアフターにあまり驚きがない。中学校だと女子の代わりようが面白いし、男子は男子で妙な方向に開花したやつもいて楽しい。酒の飲み方は進学・就職した先の文化が色濃く出てるわけで、個人的には工科大に行った連中のノリが一番好きだった。女子はドン引きしていたけど、それはそれ、これはこれ。

 静かに酒を飲む一人に目が入った。例の、触るに触れないクラスメイト。来てたの!? と正直なところ思ってしまったが、そりゃ招待されていれば来るのは自由だし、楽しい時間にしたい気持ちがあったので、とりあえず絡みにいった。


「よ、楽しんでる?」


 話しかけられると思ってなかったのか、ものすごく驚かれた。俺が席についたことで、なんとなく近くにいた連中も座り始めて、そいつを囲む会みたいな雰囲気になる。各々が酒を片手に持って、何度目かの乾杯をした。奴の隣にすわった村崎は、そいつがあまりにガリガリに痩せているので、とにかく飯を勧めてた。

 最近何してる? から始まって近況を聞いてみる。詳細はだいぶ伏せられたように思うけど、高校は通信で資格をとって、働いているということだった。


「でも何か、学校いた時よりかなり明るい感じするよ」


 村崎がそう言うので、近くにいた全員でうなずく。


「え……そうか? 低所得陰キャフリーターなんだけど……」

「きっちりした自虐!」


 思わずツッコんでひとしきり笑って、一瞬静寂があった。多分、みんな同じことを考えている。別の卓に座っているグループもそれとなく聞き耳を立てている気配がする。


「お前んとこ、ほら。ちょっとヤバそうな両親だったらしいじゃん……?」


 声のトーンを落として、思い切って聞いてみた。地雷探知機で探るような言い方になってしまったが、本人は「ああ、それね」という顔をした。


「もう、縁切ったんだ。今は一人暮らししてる」

「えっ、そうなのか。良かったな! ……良かったんだよな?」

「はは、ありがと。……良かったと思ってるよ。やっと人生始められるって感じ」


 俺は急に恥ずかしくなった。当時は新興宗教のヤバいやつだと思って敬遠していたが、本人はまるでヤバそうではなかった。二十歳を過ぎてから人生を始める、という言葉の重みがありすぎたし、気楽に生きている俺は一体何なんだろうと一瞬思ってしまった。


「それってさ、ものすごく頑張ったよね、きっと」

「いや、……別に。頑張ったっていうほどじゃ……」


 村崎がじっと見つめながら、心底感心したようにそう言ったことに対し、すっかり困った顔をしていた。すみません、おかわり。と新しい酒に逃げる。なんだか、褒められ慣れていないのが健気に見えてしまう。これ以上根掘り葉掘り聞くと居心地を悪くしてしまいそうだと判断して、村崎に話を振った。


「そういうお前は、今は何してるの」

「おれ? 全然だめ」


 何がだよ、と聞くがノラリクラリと躱される。そうだった。こいつは肝心なことをいつも話さない奴だった。


「なんだよ、俺にも話せない話?」

「ん……。とにかく、おれは何にも持ってないからさ。頑張らないとならないんだよね」


 その場にいた全員が「お前が言うな」と思ったはずだ。こいつは何故かは知らないが、昔からこう言うところがあった。背が高くて、イケメンで、頭もいいのに、自己肯定感が低くて打たれ弱い。


「そういえば、中学ん時に片想いしてる子がいるとか言ってたじゃん。あれ誰だったの?」

「ん、……さぁね。今でもいいなって思ってる」


 そのくせ妙な前向きなところを見せてくるので、俺はいつも「こいつぅ」という気持ちでツツキたくなる。割りと酔いも回ってきて、口が滑り始める感覚があった。


「おまじないに手を出そうとした時は、お前マジかってガチめに思ったけど」

「うわ、恥ずかしいから言うなよそれ」


 村崎が珍しくマジに止めに入ったが、女子が話に入ってきて席が賑やかになった。多分、中学の時から好きな人が誰なのか気になって入ってきたんだろうなと思う。


「あの頃、やたら流行ったよなー。七不思議とか怪談とかもさ。女子トイレが呪われてるとか、取り壊してない焼却炉に祟りがあるとか、階段にある踊り場の鏡の前を一人で横切ってはならない、とかさ」


 あったあった、と笑い合う。自称低所得陰キャフリーターが「ぼっちに優しくないカイダン」と、ボソッと言ったセリフに村崎がツボった。酒も入って何でも面白くなるタイムに入ったらしい。


「何だっけ、鏡にまつわる話……。大人になっても覚えてたらいけないっていう」


 関連した怪談を誰かが口に出した。これもあったあった、というのだが、全員がうまく思い出せない。


「大人っていうか二十歳までじゃなかった?」

「そうだっけ?」


 怪談話に花を咲かせていたところで、居酒屋の照明がフッと消えた。代わりに流れてきたのは結構大きな音量の音楽。


「明日お誕生日のお客様のために、ケーキを用意しましたー!」


 ノリの良い店員さんが運んできたのは、特大のホールケーキだった。周辺が拍手でケーキを迎え、俺の名前が呼ばれた。 


「うおおぉ、マジか! ありがとー!」


 居酒屋で大々的に「二十歳になりました!」というのは問題になる気がしていたので、年齢は言わないようにしつつ……。お決まりのバースデーソングを歌われて、ケーキを全員で分けた。何となくわかっていたとはいえ、嬉しいものは嬉しい。素直に受け取って、さらに同窓会は盛り上がった。

 

「注目~。誕生日プレゼントを渡したいと思います」


 一次会もそろそろお開き、という雰囲気の中で幹事の一人だった村崎が挙手をして注目を集めた。俺は先程のケーキがプレゼントだと思っていたので、呆気に取られるような嬉しさが湧き上がった。

 プレゼント自体は村崎個人かららしく、紫色の小さなスライドミラーがついた洒落たキーケースに、ミニブーケをもらった。ムラサキで掛けに来てるのは間違いないし、男から男に花を贈られるとは思ってなかった。


「こういうプレゼントになるとは思いもよらなかったでしょ?」


 不敵に笑う村崎がムカつくくらいにイケメンだった。薄々祝ってくれるんだろうな、という俺の考えなんて見透かされていて、その裏をかく物を用意したらしかった。

 嬉しい気持ちと気恥ずかしい気持ちが混ざって、


「プロポーズか!」


 とツッコんだ。プロポーズに返事をするならこれだ! という悪ノリも走って村崎に抱きついて情熱的(に見える)キスをした。村崎は俺の行動が完全に予想外だったらしく、俺の背中をバンバンと叩いていたが、だんだんと静かになった。クラス中から笑い声と写真を撮る音が聞こえて、俺は楽しさに頭の芯まで浸った。

 収集がつかなくなりそうな展開を察知したのか、村崎は無理やり俺を引き剥がして、両手を掲げた。


「えー……。……締めます。お手を拝借」

「露骨なテンションの下がり具合!」


 ゲラゲラと笑いながらもどうにか同窓会は終わった。二次会も開かれて、俺の楽しいラスト十代の日は彩られていった。

 

 ◆ ◆ ◆


 二次会も終わって、夜が深まってきた。帰るのが惜しかったのと、リアルな誕生日を一緒に祝ってくれるとのことで村崎と二人で三次会に行くことにした。


「この辺だったらバーがあるかな。あ、もちろん奢るよ」

「えっ、いいの」

「久しぶりだし、誕生日だし、当然でしょ」


 0時ちょうどで乾杯したいね、とか言うので俺はものすごく顔が緩んでしまったと思う。早速もらったキーケースを開封して、ベルトに通して使っている。軽やかな音を立てているのを見て、これからもちょくちょく村崎とは会いたいな、と思っていた。


「あ」


 煌びやかな繁華街から少し外れる方へ向かう途中。路地を曲がった所で、閃くように思い出した。

 紫色の鏡。怪談。キーケースに付けられた紫色のスライドミラーが何か言いたそうに光る。


「やっべ、思い出しちゃった」

「何が?」

「さっきの怪談のやつ。あれ紫鏡。あースッキリした」


 都市伝説、紫鏡。病院にいた女の子が手鏡を何故か紫色に塗ってしまった話。成人してからもその話を覚えていると呪われるだとか、そう言う類の話だったはず。喉に支えていた小骨が取れたような爽快感だった。


 カチリ。


 秒針みたいな音が、耳元で響いた。


「ふふ、ふふふ……! 思い出してくれたんだね!」


 妙な音がしたかと思うと、村崎はケタケタと笑い出した。街灯も電飾もあるはずなのに、いやに暗い。一本道の繁華街だというのに、辺りは急激に明かりをなくしていって、鳥肌が止まらなくなる。


「たくさん、頑張ったんだよ。同窓会を企画して。君の二十歳の誕生日前日にして。二人きりになれるように流れを選んで!」


 細々とした準備がこうして実を結んだんだ! と興奮気味に語る姿は、とにかく異様で。全身が、とにかくこいつから離れろと叫んでいるのに、足の裏が縫い付けられたみたいにびくともしない。


「おれは何も持ってない。人間として生きるのにも、好きな人に振り向いてもらうためにも、ぜーんぶ自分で用意しなきゃならない。だから努力しなきゃいけなかったんだ」


 今までどう言うことを頑張ってきたかが語られた。中学の頃につるんでいたのも、高校で時々遊んでいたのも、大学に入ってあえて連絡を取らず、今日の同窓会で確実に思い出してもらうために潜ませた数々……。


「諦めてた。普通に大人になったらもう関われないから。でも、思い出しちゃったんだから。仕方ないよね」


 路地裏に引っ張り込まれたかと思うと、ビルの壁に押さえつけられた。覆い被さるような影が見えたのも一瞬で、村崎の唇が俺の唇に重ねられた。


「ン、んん……!?」


 俺のおふざけのキスなんかとは比べ物にならないくらいと分かった。ねっとりと口内を舐め回して、逃げようとする俺の身体も、舌も、押さえつけてくる。舐られ、吸われ、摩られ、擦られ、……舌の動きとは思えない刺激ばかりだった。

 ぐじゅ、ぢゅる、じゅる、ぐぢゅ。水っぽい音はどんどん大きくなって、比例するように力が抜けていく。ミニブーケが足元に転がっていったけれど構っていられない。


「ん、んんっ、ぁ、はぁっ、……!」


 気持ちがへし折れそうだった。壁際に追い詰められたままでは逃げ出せないが、逃げた先に何があるのかもわからない。周辺は知っている繁華街じゃない。もっと暗くて、何もなくて、薄暗いどこかだと肌で感じていた。

 村崎が変になって、怯んだのが間違いだった。村崎が紫鏡の……何か、お化けみたいなモノなんだ。様子のおかしさからこれがドッキリじゃないことくらい分かる。

 息継ぎのために一旦離されたが、すぐに長い舌が捩じ込まれた。


「ぁ、なぁっ、も、もう、んぅ……ッ!」


 何も言わせてもらえない。強い執着だけを感じる瞳はギラギラと輝いて、身体がすくんでしまう。身動きできなくて、好き放題されて、また力が抜けて……このままではどこにも戻れなくなるような気がした。


「はぁ、ン! ……はっ、はっ、はァっ」


 上顎をさすられて、舌を奥まで押し込まれる。口を閉じていられなくて、村崎の舌が口の中全部を占めているような感覚がした。とうとう立てなくなって、半分寝転ぶような体勢になったまま、激しいキスは続けられた。

 逃げ場がない。違う。村崎が徹底的に潰しているのだ。村崎はもう、クラスメイトじゃないのに。この世のものかどうかも分からないのに。


「はぁぅ、あ、んっ、んぁ……」


 もう抵抗する気も起きなかった。視線の強さはますます増していて、気持ちよさと恐怖で訳が分からなくなった。お互いの涎が混ざって飲み込めない。顎にまで垂れて、シャツが濡れてしまった。


「かぁわいいなぁ」


 甘い台詞がかえって怖い。地面に転がったミニブーケから紫色の花を抜いて、俺の耳に掛けた。それをうっとりと眺める姿に、震えが止まらなくなる。

 よくわからないけれど、多分俺はずっと目をつけられていたんだ。


「なん、で」


 やっとの思いで言葉を紡ぐ。言語なんて忘れ去ってしまったように頭が溶けていて、ぼーっとする。


「何で、俺……?」


 朦朧とする意識を何とか保とうとして、しがみつく。馬乗りになっている村崎に助けを求めてるみたいで、これじゃ意味がないのに、とも思った。

 村崎はまた、心から可笑しそうに笑った。

 

「はっきりした理由なんて、怪異ぼくらにも人間みんなにも、あるわけないよ」

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