第29話
——?
遠慮がちにドアをノックする音がした。気付けば曇天の空も夜の姿へと変わりつつある。眠っていたわけでもないけれど、知らないあいだに時は過ぎていたみたいだった。
私はノックへの返事をせず、上半身だけを起こしてドアに目を向ける。もうこのまま居留守を使ってもいい。今は誰とも話せる気分じゃない。……そうとは思いつつ、だらしなく這うようにベットから降りてドアを開いた……。
「スクナ、今話せる?」
腕組みをしたミリヤは、やれやれと言った表情を浮かべ、こちらの様子を伺っている。素性が知れたあの日から、ミリヤは少女ではなく大人の女性に見えていた。
「ミリヤの部屋に行くって約束したのに。……来てもらっちゃってごめんね」
「いいのよそんなの。……入るわよ?」
部屋に入ったミリヤは、パニエで膨らんだワンピースの裾を摘み上げ、姿勢正しく小さな椅子に腰掛けた。大きな丸襟のケープも小柄なミリヤにはぴったりで、やはり彼女には、お人形さんのような可愛らしさが詰まっている。
「さてと。その顔はどうしたの?」
言い逃れができないほどに、自分でも今の顔が酷い状態だろうと感じていた。……なにしろさっきまで、涙が全然止まってくれなかったわけだから。
「自分のことが嫌すぎて、堪らない感じかな」
ミリヤは黙って聞いてくれているけれど、これ以上私に話せることはなかった。今何か気持ちを言葉にしてしまったら、込み上げるものが止められない。
せっかく話せる機会をくれたミリヤに、泣いてばかりもいられなくて、私はこの状況と無関係の話を持ち出した。
「そういえばミリヤって何歳なんだろう? ……ずっと気になってて」
「え? 今それ聞く? とりあえず私は、この制服を着用して良い年齢ではないってことだけは伝えておくわ」
制服に適正年齢があったとは……。だけど、ミリヤが言うことにも一理ある。ここに居る訓練生達は、十代がほとんどだと思うから。なんにせよ、人としても、召喚士としても大先輩。たまに感じていた、ミリヤの大人びた余裕も納得できる。
「年齢なんてどうだっていい。全ては見た目なんだから。ってそんな事より、まどろっこしいのは面倒だから、簡潔に話すけど……私がここにいる理由はね、ある人がそう望んだからなの。スクナがこの訓練所でやっていけるかを見守るために」
……私を見守る。ミリヤが常に私を気にかけてくれていたのは分かってた。だけど、それが誰かの望みで、その為にわざわざ潜入しているというのは一体どういうことなんだろうか。
「……ある人が望んだっていうのは、誰かに私を見守るよう頼まれたってこと?」
「いいえ、頼まれたわけではないの。ただその……その人がそうして欲しそうだったから……」
ミリヤは珍しく頬を赤く染め、それを手で覆い隠している。はにかんでいるようにも見えるけど……。
「……と、ともかくっ! 前にも言ったけど、私はスクナの味方。あなたに何かあれば私が黙ってない。変な虫が寄りつかないようにしてたのは、スクナだって分かってるでしょ? ただ、イマリとの契約は誤算だった。……防ぎようもなかったんだけど」
「……いつも、守っていてくれたよね。ミリヤ、本当にありがとう」
ミリヤは組んでいた腕を解き、小さな手を膝の上に置いた。鳴り止まない雨音に耳を傾けながら、少し申し訳なさそうに私を見る。
「……スクナは、それを望んだ人が誰なのか聞かないのね」
「……うん。もちろん気にはなるけどね。でももし、その人の事をミリヤが答えられるのだとしたら、既に話してくれてるだろうな……って。それにね、その人が望んでもできない事を、頼まれてもないミリヤが代わって、いつも私を見守ってくれてる。色んな人から守ってもらってばっかの私が、簡単に踏み込んで良い事情でもない気がして……」
ミリヤは口元だけ微笑んで、ベットに座っていた私の目の前に立ち、額に向けて指差した。
「聞き分けが良すぎるのも問題ね……」
そう言ってミリヤは、私の額につんと指を押し当てた。
そのまま私の隣に立ち、ゆっくりと腰を下ろす。
「——で? スクナは自分の何が嫌なの? 大人はね、お子ちゃまの悩みを聞く権利があるの」
ミリヤは優しく微笑む。そんな姿に、私は色んな感情が混じって、溢れるものを止められそうになかった。
奪われてばかりのイマリを、全てから守ってあげたいのに、私にできる事が何ひとつ無いこと。力を避けてきた自分が、今になって力にすがっている不甲斐さ。イマリの身にいつ何が起きてもおかしくないという恐怖……。
嗚咽で支離滅裂になっていたはずの私の思いを、ミリヤは黙って聞いてくれていた。涙でぐしゃぐしゃの顔を隠すために、丸まった私の背中をさすりながら。
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